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↑東京都足立区北千住・本氷川神社の狛犬

28年2月15日、秋葉原のヨドバシカメラでカラー・プリンターのトナーを買う用が出来たので、朝早めに家を出て北千住の狛犬を見る事にしました。27年3月の、海までのジョギングの折に立ち寄ったのでこれで2度目になります(この時は旧日光街道を歩きました)。その時には狛犬に全く興味が無かった事を今では不思議な気がします。

地下鉄千代田線に乗り換えるために西日暮里におりました。ふと、駅前の斜面を見上げると諏訪神社を思い出しました。年末に訪れたのですが、正月の用意で境内に鳶の人達が作業をしていたので狛犬をしっかり見る事が出来ませんでした。それならば立ち寄ってみようと不思議な通路を通って諏訪神社の石段を登ります。2016.2.16

諏訪神社の狛犬  1回目
飲食店が並ぶ線路の東側の道を上野駅方向に進みます。 100m程進んで右に道を折れ、駐輪場を兼ねたトンネルを進みます。 トンネルを出ると緩やかな石段、左手は新幹線や電車がひっきりなしに通り過ぎていきます。
諏訪神社の境内
諏訪神社住所:東京都荒川区西日暮里3-4-8 。神社正面の入り口に立つ鳥居。谷中は寺社が密集しています。この前の道は上野の山に続く台地の頂上部にあたります。2016.2.16

本殿の前に昭和43年作の新しい青銅製狛犬が一対据え置かれています。

←左は正面入り口の鳥居の横に立つ、諏方(訪)神社の由来が書かれた看板。2016.2.16

諏方(訪)神社の狛犬・阿像・文化13年(丙子・1816年)

昨年12月に訪れた折はテントで塞がれているので近づけませんでした。今回はゆっくりと周囲を回って観賞できました。私には腕の良い石工の彫った作品に見えます。立体的な彫りが石像に重厚な印象を与えているように思います。石工の名前は見つけられませんでした。2016.2.16

 

台座に”れ組”(本殿前の鳥居にもこの名前が彫られていました)が奉納したと彫られています。右阿像、左の吽像、吽像については前回も詳細に見る事が出来ました。2016.2.16

台座の彫込みは文化13年(丙子・1816年)と読めるようです。もしかすると文化1年かもしれません。

今回は阿吽の狛犬をしっかりと撮影することが出来ました。江戸の狛犬の一つの特徴である大きな団扇のような尻尾が際立っています。力強さを感じさせる造形です。2016.2.16

綺麗に化粧された二つの狛犬は曇り空の下でもよく目立ちます。2016.2.16
諏訪神社・稲荷神社狛犬

諏訪神社の右側に小さな末社を見つけました。前回は気がつきませんでした。明治38年、稲荷神社社殿落成記念と彫られています。

末広稲荷神社、銭降稲荷神社と名づけられた、なんとも直截な希望が込められた名前が彫られています。それはそれで微笑ましく思えました。2016.2.16

鳥居の後ろに、稲荷神社に石灯籠を奉納したという石柱が立っています。それには稲荷大明神と彫ってあります。2016.2.16
稲荷神社の前の小型ながら表情が生き生きとした狛犬。頭の上には角の変形なのか頭の上に丸いこぶ状の彫りが見えます。彫りも中々良いと思いました。尾も立派な団扇状で全体のバランスがしっかりと保たれています。残念ながら石工の名前や年号は見つける事が出来ませんでした。形や社の建立年などからの江戸から明治の狛犬と推測されます。 2016.2.16
境内にある案内板、このあたりが諏訪台と呼ばれていることが書かれています。上野から続く台地は所々で切れながらも延々と北に延びて荒川の岸まで続いています。2016.2.16 神社の西側に谷中を通り上野まで続く道が伸びています。西日暮里駅の西側を急角度に曲がって登る道が台地に続きますが、その坂を地蔵坂と呼ぶようです。2016.2.16
神社境内からは新幹線、山手線、京浜東北線等の電車がひっきりなしに通ります。2016.2.16 右、上野方面を望むと、再開発の日暮里駅前のビルが見えます。観光用でない本当の駄菓子の問屋街がお陰で無くなってしまいました。繊維問屋街がかろうじて残ったのはそれでも幸いです。2016.2.16
西日暮里・浄光寺(雪見寺)

浄光寺(雪見寺)住所:荒川区西日暮里3-4-3 。諏訪神社の入り口に出てみると隣接して浄光寺がありました。明治以前はこの寺が諏訪神社の別当寺だったようです、神仏習合が表れているようです。江戸の六地蔵の一つ(古い時代の六地蔵のようです)があると書かれていたので山門をくぐってみました。2016.2.16

左・文化6年(1808年)の西村和泉作座像

説明によれば、左の座像が説明板の青銅製の地蔵菩薩のようです。後ろに諏訪神社の鳥居が見えます。

本堂横の元禄4年の像は見落としてしまったようです(もしかすると右側の地蔵菩薩立像青銅像が元禄4年、空無上人によって開眼された古い時代の江戸六地蔵の一つなのかもしれません。(もしくはこれはレプリカで本物は本堂の横にあるのかもしれません)。2016.2.16

六体の石の地蔵様がいます 銅製の地蔵の横には石板が立っています
諏訪台地の最も高い場所にある諏訪神社と浄光寺前の道、写真の正面方向・南に進むと谷中から上野に出る事ができます。七福神の寺、経王寺天王寺がこの道の左側にあります。2016.2.16

浄光寺の前を右に折れる坂が富士見坂です。たぶん昔はここから富士山が見えたのでしょう。台地から西に下ると根津方面、今では夕焼けだんだん周辺が観光地になっています。そして谷中七福神の道です。2016.2.16

足立区千住・本氷川神社

千住本氷川神社住所:東京都足立区千住3-22。西日暮里駅に戻り地下鉄千代田線で北千住に向かいます。初めて訪れた北千住は、新しさと旧来の町が混在した活気あふれる一帯でした。それは想像以上で、江戸時代、江戸4宿の内最も栄えていたという千住宿の賑わいを感じさせてくれました。駅から旧日光街道に向かって直進、三菱UFJ銀行の角を右折、小学校の先に神社が見えてきました。

今日はごみ出しの日のようです、社の前にごみが積まれていました。町の人々の社の感じがとても好ましく思えました。千住七福神の大黒天になりようです。2016.02.16

鳥居をくぐると正面に米俵が積まれた社が見えてきます。見上げると嬉しい事に梅が咲きだしていました。右に目を転じると社の前に狛犬の姿が見えます。直ぐ狛犬に行きたいのを我慢して、楽しみを先延ばしにしながらその時を待つことにします。2016.02.1
梅はまだ2分咲き程度のようです。2016.02.16
大黒天でお参りをしました。2016.02.16
いよいよ社に向かいます。狛犬と右手には咲き出した紅梅がみえます。辺りは鎮守の森のかわりに家が密集しています。2016.02.16  
千住本氷川神社狛犬・右側の像
 

   ←画像クリック

       素盞雄神社(すさのお)の狛犬

 

がっしりとした体と空に立ち上げた尾を持つ堂々とした姿の狛犬です。口を閉じているので吽像かもしれません。この姿は隅田川を挟んた反対側ある南千住の素盞雄神社(すさのお)の狛犬と極めて似ています。ゆったりと構えた落ち着きのある姿です。画像をクリックすると素盞雄神社の狛犬が見られます、クリックするたびに交互に入れ替ります(大きな狛犬が本氷川神社のものです)。多分同じ石工の作品だと推測されます。

この尻尾の形状は何処か出雲の狛犬にもイメージが似ているように感じました。2016.02.16

千住本氷川神社狛犬・左側にある像

口を開いているので阿像かもしれません、もしそうだとすると阿吽像が一般的な位置と逆になっているようです。

江戸の大型狛犬の印象である、胴が太目でどっしりした安定寒を感じさせてくれる姿です。2016.02.16

吽像と思われる右の狛犬から阿像と思われる左の狛犬を見ています。大変良い狛犬を見る事が出来ました。2016.02.16

社の右の咲き出した紅梅を見ながら、一対の躍動する狛犬の姿をしみじみと鑑賞しています。春の気配を知らせてくれた嬉しい一時でした。2016.02.16

次の神社に向かうべく社で頭を垂れ、入り口の白梅を眺めました。次の氷川神社に向かうことにします、千住には沢山の氷川神社があるので間違えてしまいそうです。2016.02.16
03/16/2019
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