佐伯泰英・”吉原裏同心”の舞台   吉原の物語① 

何度目かになりますが、又佐伯泰英の”吉原裏同心”を読んでいます。土手の伊勢屋を訪ねた折に何度か物語の舞台となっている吉原の事が気になってはいました。

以前にも吉原の通りを歩いてみようと見返り柳まで行ったのですが、入り口の交番の前でどうも雰囲気がおかしいので戻ってきたことがあります。いい年をしてだらしのない事です。

1週間前、日本橋の社を回った時に偶然元吉原のあった人形町を訪ねました。それもあって今回は、意を決して前から尋ねたかった近くの樋口一葉の跡を辿る事と併せて吉原を巡る事にしました。加えて、吉原神社で狛犬を見る事にしました。浄閑寺は、今日の忙しない気分で訪れる事を遠慮することにしました。この物語にもしばしば登場する吉原の遊女達の人生の最後に登場する寺です、浄閑寺をご参照ください。

当然吉原には都電に乗って三ノ輪から土手通りを歩く事になります。久し振りに土手の伊勢屋で天丼を食べようと思います(のんびりしていた昔とは違って行列が出来ているので心配です)。2018.02.13

文中の錦絵は錦絵でたのしむ江戸の名所(http://www.ndl.go.jp/landmarks/)国立国会図書館ウェブサイトから転載

物語の主人公は吉原の自治と3000人の遊女の安全を守る神守幹次郎と年上の女房・汀女、吉原の遊女の頂点に立つ薄墨太夫。幕府公認の唯一の遊郭吉原には江戸町奉行所の隠密同心が詰める面番所が大門の左手にありました。右手には7代目四朗兵衛が頭取を務める四郎兵衛会所が置かれており、その下で働く幹次郎は時として幕府同心に代わって刃を持って処断する事があります。その事から吉原の裏同心と呼ばれています。篭の鳥の遊女たちの喜怒哀楽が物語の本筋を形作っているようです。

   

三ノ輪橋駅から吉原大門までは土手通りを1km程です。

大門から吉原神社までの仲之町通りはどこにでもある普通の通りです。

神社からの帰路は国際通りに出て鷲神社や樋口一葉記念館等に立ち寄ると楽しい散歩になるかもしれません。

広重の吉原と日本堤の錦絵です。左から右に日本堤と堤の上を歩く人々が描かれています。

堤の上には見返り柳、見返り柳から堤を下る道が衣紋坂(五十間道)です。将軍が鷹狩りの折に通る日本堤から見えないように3か所の曲がりがあると伝えられているようです。土手下に見えるのは浅草田圃と思われます。

右が浅草方面で、左が三ノ輪・千住方面になります(投げ込み寺の浄閑寺の方向です)。手前が2万700坪、縦の長さは京間で135間(約256m)x横は京間で180間(約342m)の敷地を鉄漿溝と塀に囲まれた中で遊女3000人が暮らした吉原でしょう。日本堤は現在は跡形も無く土手通りになっています。

(錦絵・国立国会図書館ウェブサイトから転載)

石浜神社 まっちやま 千住大橋 今戸神社 azumabasi 浅草神社 隅田川 見返り柳

嘉永六年(1853年)の江戸地図は大変興味深いものです。山谷掘と日本堤は今は土手通りになってしまいその姿は幻のように消えてしまいました。地図の一部の場所にはリンクが張られていますのでご覧ください。隅田川岸の真崎稲荷は現在石浜神社の境内に鎮座しているようです。(絵地図・国立国会図書館ウェブサイトから転載)

 
吉原を訪ねる

東京で唯一の都電、三ノ輪早稲田線に乗って終点の三ノ輪橋駅にやって来ました。人家の軒先を掠めるように走しる都電の景色は見飽きる事がありません。三ノ輪駅の終点も人々の暮らしが見られます。線路にくっついたようなレストランやこの小さなお稲荷さん、この後ろの路地を抜けると商店の連なるアーケードがあります。都電に乗って吉原大門へ2018.02.13

都電の一日パスです。何度乗り降りしても¥400、1回は¥170ですから4回乗り降りすると元がとれます。近頃海外の観光客も利用するらしく切符も洒落たデザインに変更されていました。2018.02.13
都電三ノ輪橋永輝から吉原大門

マップをご参照ください。

都電三ノ輪駅から明治通りと昭和通り(国道4号線)の交差する大関横丁を渡り浅草方面に向かいます。

明治通りは200m程先の泪橋で二股に分岐して左に曲がり白髭橋、スカイツリーの方向に進路を取っていきます。直進して浅草に向かう道がかって日本堤があった土手通りになります。

土手通りを吉原大門を目指して進みます。上の写真は車が走る左側が土手通り、右から脇道が合流しますが土手通り側が少し高く見えます。合流する道は多くが緩やかな坂になっています。土手の名残りのようです。目指す大門の先にスカイツリーが空に聳えています、どこか灰色がかった街の中では異様な姿に見えます。2018.02.13

土手の伊勢屋で天丼

三ノ輪駅から約1km程歩くと吉原大門前の土手の伊勢屋があります。珍しく行列がありません。

それならと外の椅子に座って待つことにしました。昔は地元の人が多く、そして年齢の高い人が多かったのですが今や何時も行列する店になっています。2018.02.13

天丼は¥1,500、¥2,000、¥2,500、色々な味噌汁が¥200のようです。私は¥1,500の天丼となめこの味噌汁を頼みました。

エビが2本、イカのかき揚げ、キス、しし唐の天婦羅が乗っていたようです。迷いなく¥1,500にはどんぶりからはみ出すアナゴは付いていません。先週食べた日本橋の天丼・金子半之助を比べてみようと思いました。家人の言う通りで、伊勢屋の天丼と味噌汁はかなり美味しかったです。

土手の伊勢屋の天丼は今やご馳走、金子半之助の方はランチのご馳走でしょうか。伊勢屋ではほとんどの人が高い天丼を頼んでいました。日本橋ではかなりの勤め人の人が食べ慣れたランチとして食べているのが目につきます。それにしても¥980の天丼の味と中身は驚きです、ランチとしては十分すぎる美味しさだと再確認しました。個人的な感想です。

これから吉原を回り、続けて幾つかの社を回るので大急ぎで食べて店を出ました。2018.02.13

吉原大門から仲之町通り
土手通りのガソリンスタンドのある角から大門の道に入っていきました。これが五十間道の名残りのようです、左右に道が曲がっているのが分かります。2018.02.13

カーブが終わると右に交番がありました。鉄漿溝と大門の事を訪ねると丁寧に教えてくれました。

交番から見た大門があった場所のようですが、もしかするとこの大門の標識があった交番の辺りなのかもしれません。そうだとすると仲之町通りと交差する左右の道は江戸町通りになり、右が一丁目、左が2丁目ということになるようです(現在は千束4丁目)。

裏同心に挟みこまれている吉原の古地図や鉄漿どぶの位置関係からもこの推測の方が合理的に見えます。この辺りに物語の舞台の四郎兵衛会所や引手茶屋山口巴屋が有ったようです。鉄漿溝の石積みの遺稿は交番の角を右に曲がるとあるとの事でした。

太夫の位の花魁が、大門入り口に並ぶ引手茶屋に揚がった客を出迎えに向かう花魁道中の通り道がこの仲之町通り。それだけが分かりましたが他の通りは判別が出来ませんでした。鉄漿溝の遺稿は交番の人が教えてくれたので右に通りを折れて進んでみました。

公園の手前のマンションの角にそれらしいものが見えます。何の説明等がありませんが後から調べるとこれば鉄漿溝の石組の名残だそうです。2018.02.13

吉原神社

仲之町通りを国際通り方向に進んでいきます。どうも道路の反対側を案内の紙らしきものを手にして歩いて行く女性の3人組も吉原見物の人のように見えます。

案の定吉原神社で後から入ってきて御朱印を受けていました。私は入り口の狛犬が専ら興味の中心です。女性の参拝が続くの大急ぎでお参りを済ませました。

吉原神社の後、私が弁天池に行くとその3人組の人も後からやって来ました。弁天池ではかなりの女性が参拝に訪れています。前回私が大門で進むかどうか迷って引き返したことがバカ臭い決断だったようです。

弁天池

吉原神社から仲之町通りは左にカーブしながら国際通りに向かいます。50m程進むと左に沢山の幟が立っていました。弁天池のある吉原弁財天のようです。花園のような艶やかな境内です。

中央に大きな弁天蔵が石組の上に置かれていました。2018.02.13

弁天堂でお参りをしました。とにかく色彩が溢れているお堂です。遊女の為のお堂らしいと思いました。
弁天堂の壁にも綺麗な色彩画が描かれています。艶やかな江戸の遊女達の姿が浮かんできます(売られてきた心の中は別にして)。2018.02.13

境内を熱心に清掃をしている人が居たので天女池の事を訪ねてみましたが、知らないという返事でした。物語の中で、薄墨太夫が吉原の遊女たちの安全を祈願しに訪れる天女池は、仲之町通りの右手ですからこの場所とは道路を隔てた反対側になります。多分現在は埋め立てられているのかもしれません。

同じ空間にある弁天池の僅かな水面を見ていると、姉の遊女小紫の不始末を償おうと苦界に身を沈める禿の小花を共に、野地蔵に花を手向ける薄雲大夫の姿が頭の中に浮かんできました。

弁天池の中には鯉が泳いでいました。寒いのに水道の水であちらこちらを洗っています。もっと大きかった弁天池で子供の頃に魚釣りをした話を伺ったので多分この土地の生まれの人なのかと思いました。

弁天像の下にも浄閑寺のように亡くなった遊女が投げ込まれていた話もしてくれました。何かのいわれがあってお堂の管理をしているのかと思いました。勝手な言い分ではありますが、最後にそのような人に出会えて少しほっとしました。2018.02.13

弁天池(花園池)での痛ましい出来事が記されている台東区の説明板です。江戸時代も幾度かの大火に見舞われ似たような悲劇が繰り返され、篭の鳥の遊女達が亡くなっています。

幕府がただ一つ許した官許の遊郭・吉原、この物語の舞台は跡形もなく消えていました。通りからはマンションや家並みが見える普通の街の景色が広がっています(通りの奥にはそれらしき建物も見えますが)。

この後、吉原とゆかりの鷲神社や樋口一葉記念館等に立ち寄りながら都電三ノ輪橋駅に向かいました。途中、幾度か親切な東京の下町の人々に道案内を助けられたことは楽しい思い出の一つになりました。2018.02.13

  裏同心 たけくらべ
吉原の物語①
08/15/2018
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