白河市の狛犬・彫刻師・野田平業に付いて  改定 2017年10月25日
 

↑上の写真が白河近辺の狛犬ではしばしば目にする白河市横町の彫刻師・野田平業の都々古和気神社の狛犬。1928年・ 昭和3年・ 野田平業、30歳の作品です。

野田平業リンク・マーク:各ページのこのマークはこの”野田平業に付いて”のページへのリンクマークです。
*(禁)全てのページのデータの無断使用   

白河市の石工として、その精緻な彫の技巧が図抜けている野田平業(のだ・へいぎょう、本名・野田豊吉)のお孫さんにあたる方から突然メールをいただきました。この拙いウエッブ・サイトをご覧になったとの事でした。そしてそのメールには驚くような情報が書かれていたので、情愛に満ちたお孫さんのメールと共にここにご了解を得て紹介させていただきました。

併せて野田平業の作品を各ページから抜粋して一覧にしました。

何故、彫刻師と自らを称したかの謎が少し見えて来たようです。素人の推測で間違っている可能性もありますが、画家”稲香”としての一面があったからと思われます。また、本名の”野田豊吉”と石工としての雅号・野田平業の二つの名前を彫っていたことも判明しました。

白河を代表する石工の一人の方の姿を知る事となり大いに驚き喜んでいます。情報が追加された時点で加筆修正させていただきます。 2015.07.27

白河市の狛犬・掲載リスト(同名神社が複数あります) 改定 10/25/2017野田平業狛犬
スライド
都都古和気山神社 春日神社 鹿島神社@ 白河神社 角折神社
厳島神社 熊野神社 神宮寺 五龍地神社 八幡神社(関辺)
南湖神社 聯芳寺 坂本観音 諏訪神社 羽黒神社
境の明神 鹿島神社 近津神社(ちかず) 角折神社 羽黒神社
八幡神社 金毘羅神社 都々古和気神社 角折神社 国津神社
矢越神社 庭渡神社 桜と狛犬・南湖神社聯芳寺 白河天神 杜八幡神社
八雲神社 三柱神社 白山姫神社 妙関寺 八竜神神社
 
白河の石工・野田平業(本名・野田豊吉)狛犬マップ

白河市横町に居住していた野田平業は本名が野田豊吉・更に画家としての雅号は稲香と称していました。

非常に完成度の高い多くの狛犬には石工としての雅号として野田平業と彫ってあります。

訪問に便利なようにマップを作りましたのでご参照ください。印は野田平業銘の狛犬。マップ上段のを押すと一覧表、を押すと地図が拡大できます。

 
野田平業は野田豊吉だった・そして画家としての雅号は稲香
 
祖父・野田平業への思いのこもったお孫さんからのメールです
 
#1・2017年10月07日00時45分(土)

・祖父の名前(野田豊吉)を何気なく検索したところ、こちらに辿り着きました
祖父は白河市の石工で、籠掘りの玉をよく彫り、自宅にもその玉を持つ狛犬は置いてありました。
野田平業さんと言う方も、祖父も白河市横町の出身です。祖父と平業さんがどのような関係にあるのか、父や叔父にも聞いてみたいと思います。機会があれば狛犬を訪ねてみたいと思いました。
大変 懐かしく嬉しく、メールした次第です。ありがとうございます。

#2・2017/10/07 18:23

・この度は早急なお返事を頂きまして、ありがとうございます。うれしく拝読いたしました。
実は、その後 進展があり、ご報告いたしたく再度メールいたしました。

私の父に問い合わせたところ、野田平業さんは
野田豊吉つまり私の祖父と同一人物でした。祖父の石工としての雅号が「平業」、画家としての雅号は「稲香」というそうです。

父が、観賞用の狛犬を出して来てくれましたが、高さ30センチの可愛らしい狛犬です。籠彫りの玉も持っています(写真添付)
わたしは幼い頃、祖父がよくこの籠彫りの玉を作っているところを、傍で眺めていたことをはっきりと 覚えております。
このご縁に、うれしくて涙が出そうです。

この夏は、父と叔父たちで、祖父の作品を辿ったそうですが、こちらの話をしましたところ、とても喜んでおりました。
叔父にも連絡しようと思います。
いま、私も父も白河を離れた関東地方に住んでおります。父は90才になり日々 体力も衰えていく中、ぜひまた白河の地を訪れて野田平業さんの狛犬巡りをしたいと思っております。

#3・2017/10/09・20:47・野田平業の写真です

祖父の情報の追加です。

生年月日 明治31年10月6日 没年月日 昭和56年10月23日(没年83才)
父から3枚 写真を借りましたので添付いたします。

1枚目は、「参百對制作記念」と書いてあり、「彫刻師 野田平業作」と記されています。後ろはポストカードになっています。招待状として使ったのでしょうか。 *筆者注・永倉神社狛犬(野田豊吉)・昭和17年(1942)42歳作品の狛犬はこの絵葉書に極似しています。

2枚目は祖父制作の二宮金次郎像の前で、祖父と私のいとこの写真です。

 

3枚目は、自宅でのスナップ。 右から祖父、わたくし、母です。祖父は65才です。 以上です。


父から写真の掲載許可はもらっていますが、私のいとこだけ連絡が取れず、今回のことは話していません。(筆者注・この部分は顔が識別しにくいようにしました)

父からもお礼申し上げるようにと言付かっております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

筆者注)白河の狛犬にご興味のある方に野田平業の写真を拡大して掲載しました。私も初めて目にする”彫刻師 野田平業”の銘が刻まれたあの精緻な彫の狛犬を作った石工の姿です。

雅号”稲香”としての掛け軸、拡大してみました。龍の爪らしいものが見えます。

感想

写真の自製と思われる記念はがきは300対(つい・セットだと思うのですが)もの石像を作った記念と言うことのように感じます。狛犬だけでは多分難しいかもしれないので、墓地の花差し・ローソク立て等のセットも含まれて居る意味なのかもしれません。更に地蔵尊や他の写真の二宮尊徳の石像等の1個の石像が含まれて居る可能性も考えられます。

昔の学校の校庭には二宮金次郎の石像は必ずと言ってよい程置かれていたので成程と思いました。 それにしてもぼ膨大な数の石像を製作したものだと思います。

#4・2017年10月21日 15:53・件名: 祖父 野田平業について

野田平業のお孫さんに当る方から、私の不躾な質問に対する返事をいただきました。加筆・修正の上ご了解を得て掲載しました。

こんにちは。 台風が近づき不安定な天気です。しばらくお時間を頂きましたが、祖父に関するご質問の件で以下の点を父と叔父に聞いてみました。

【筆者からの質問】 @ 野田平業の“平業”の読み方。 A 彫刻師と銘を彫る石工の腕を磨いた師匠はいたのか。 B 弱冠18歳で関辺の八幡神社、24歳であの素晴らしい南湖神社の狛犬を請け負った事から、代々の石工の家系か少なくても先代はいたのか。 C 石川の小林和平、浅川の小松寅吉などの石工の人々とは何か繋がりはあったのでしょうか D 日本画や彫刻を専門的に学んだのでしょうか。 E 絵画は、日本画が中心だと思いますが、作品を販売もしていたのですか

【回答】

@ 野田平業の平業は“へいぎょう”で日本画の銘の野田稲香の稲香は“とうこう
A 師匠はいません。追加情報に野田豊吉(本名)は子供の頃から祖父の4代目の弟子の仕事を見様見真似で習っていたと書かれています。
B 平業(豊吉) で6代目です。先代5代目の豊吉の父は、石工ではありませんでした。
C 祖父からお二人の名前を聞いたことはないそうです。繋がりはないと思われます。
D 美術関係の学校で学んだ事は無かったようです。ただ、絵師になる事が許されなかったものの諦めきれず、絵師の先生には習っていたようです。
E 販売はしておりません。襖絵、巻物が中心です。

 筆者注:県境の村の知り合いの話では、この辺りでは、昔赤子の誕生時や、特に長男・長女、祝いの折りに、親類縁者が掛け軸の類(巻物)を贈ったそうです。手書きでそれを描く絵師達が居たとの話です。

追加情報 ( 叔父からのメール一部抜粋筆者注・お孫さんの叔父さんにあたる方です )
豊吉は子供の時から四代目の弟子の仕事を見よう見まねで覚えていたそうです。 豊吉は晩年まで、絵師になりたいと母親に懇願したそうです。家庭の諸事情により、絵師になる事はは許されなかったようです。

野田平業のお孫さんからの追加情報: 母(平業の)の許しを得て、当時白河在の絵師の先生に夜間絵の書き方を学び“稲香”の号もらったと言っていました。最後になりますが、祖父(野田平業)は絵が描けなければ彫刻師になれない。(絵を学んだ事で)好きな絵描きと、石工で彫刻師として生活ができた。墓石だけでは将来人が作るのではなく機械が作るとよくいっていました。息子達には七代にするつもりはないと、話していました。

感想

野田平業の予言通り、現在は墓石の文字も狛犬までもが機械で均一に作られています。
やはり、弱冠18歳で白河市関辺・八幡神社、24歳で南湖神社の仕事を請ける事が出来たのは平業の腕もさることながら、4代目の平業の祖父からの繋がりも力を添えたと思われます。
小松寅吉・小林和平との直接的な繋がりは無かったように思われますが、当然その石像は見る事が可能であったでしょうから何らかの影響を受けた事は考えられます。

全くの素人の印象ですが、幼い頃から見様見真似で祖父の弟子の仕事を見ながら彫っていた事や、長じて夜間・白河在の絵師から絵を学んだ程の情熱の持ち主であった事を考えると、県内のみならず江戸の石工の作品も直接熱心に見たか、本で見たかしたような気がしています。この推測はとんでもない勘違いかも知れませんが、私の幾つかの平業の狛犬の印象が非常に彫りが鋭利、繊細で洒落ているように見えるのです。お孫さんの話では籠彫りに拘った様子が見えます、派手に見せつける事無く密かに腕の冴えの跡を玉に残したように思えます。

 
野田平業(野田豊吉)狛犬一覧

私が見た範囲で野田平業の狛犬を時系列に並べてみました。台座部に年号や名前が無かったり見つけられなかった狛犬が含まれているので正確ではありません。

時系列に並べると幾つかの事が浮かんできます。野田平業と本名の野田豊吉の名前の使い分けは本名が新しい事が分かります(野田平業銘の狛犬の玉は籠彫りになっている事も分かります)。

年代が分からなかった八幡神社の狛犬より大正11年の南湖神社の狛犬が古いと推測した理由ですが、全くの素人の推測ですがE鮫川村・八幡神社(野田平業)はF白河市南湖神社狛犬(野田平業銘の信じがたい事ですが弱冠24歳の作品です)大正11年を見て氏子の人達が依頼したのではないかと思いました。

白河市と鮫川村は福島県の西と東で当時の交通事情から考えればかなりの距離になります。腕の程が分からずにこれ程離れた場所に住む野田平業に依頼するのは無鉄砲に思えます。

南湖神社の狛犬は個人的には流石と思われる出来でこれを見れば、氏子の人々にはかなりの大きな経済的負担であったでしょうが遠く離れた白河の石工に依頼しようと決断したと思えるのです。そしてそれは目論見通り現在でも大変出来の良い狛犬と言われています。

E鮫川村・八幡神社(野田平業)の狛犬が大変素晴らしいと言われているのは事実ですが、年代や南湖神社の作品との関連は素人の私の推測ですので間違っている可能性もあります。分かり次第訂正いたします。

野田平業のお孫さんから、私が想像を逞しくしている幾つかの推測に付いての情報がもたらされるのではないかとワクワクしているところなのです。

 
野田平業年表・ 明治31年(1898年)10月6日〜 没年月日 昭和56年(1981年)10月23日(没年83才) ・年代や銘が不明の狛犬は推測で並べました。
1898年 明治31年   10月6日・誕生
1916年 大正5年 18歳 白河市関辺・八幡神社の狛犬(野田豊吉)
1922年 大正11年 24歳 白河市南湖神社狛犬(野田平業)
鮫川村・八幡神社(野田平業)
1928年 昭和3年 30歳 白河市 都々古和気神社(野田平業)
白河市表郷・羽黒山神社 銘(野田平業?)・年号不明
1930年 昭和5年 32歳 白河市・鹿島神社(野田平業)
1940年 昭和15年 42歳 諏訪神社狛犬(野田豊吉)
1940年 昭和15年   矢吹町・矢吹神社(無銘・推測です)
1940年 昭和15年   矢吹町・八幡神社(白河市横町の野田平業)
1942年 昭和17年 44歳 西郷村永倉神社狛犬(野田豊吉)
1981年 昭和56年 83歳 没年・10月23日
@西郷村永倉神社狛犬(野田豊吉)・昭和17年(1942)44歳
カーナビに入れる住所は西白河郡西郷村長坂長坂36。長坂が二つ入るのが正しいようです。一つだと阿武隈川右岸の集落になります。

白河IC方向から来た場合、長坂集落の手前に溜池があります、そこを過ぎて集落に入って行く道が90度に曲がる角に永倉神社はあります。車は邪魔にならないようにして道路脇に止める以外ないようです。

集落の人々の暮らしの中にある神域です。そこは人々の暮らし・風情等が目にする事が出来る事から、私の大好きな神社の有りようなのです。

1200年の歴史を持つ古い神社のようです。氏子の人々が奉納した三対の狛犬を見る事が出来ました。 2015.07.27

 

野田豊吉・昭和17年の狛犬

入口の鳥居の後ろに置かれている阿像、石工 野田豊吉の銘が刻まれています。奉納されたのは昭和17年(1942年)のようです。

すぐ近くにある、ページ上段の、諏訪神社の狛犬に似ているように見えます。表情には神社の守り神に値する力を感じます。

子供の狛犬が2頭彫り込まれています。昭和17年に奉納されているようです。大東亞戦争記念の文字が見えます。吽像の表情も良く出ているように見えます。2015.07.27

 
A白河市・諏訪神社狛犬(野田豊吉)昭和15年(1940)42歳

朝9時30分、白河農協の直売所・り菜庵で買い物をしました。農協直売所での買い物が県境の村を訪れる大きな楽しみの一つなのです。

駐車場でカーナビに入れた諏訪神社の住所は福島県白河市飯沢268番。これで新幹線の高架下に到着すると思います。高架の下に車を止めるとすぐ目の前に狛犬が置かれています。

1度目はカーナビが新幹線のガード下で目的地を告げたので引き返してしましました。2度目でやっと見つけました。草刈りがされていた事と、下調べで新幹線の際にある事が分かっていたので何とか見つける事が出来ました。
福島県のHPでの説明では白河市横町の野田平業の初期の狛犬があると書かれていました。

これは野田平業が未だ野田豊吉と言っていたころの作品の意味だと思われます。これらの状況を合わせるとこの狛犬は昭和15年の野田豊吉(後の野田平業)の作ったものと推定できます。

場所の意外性に度肝を抜かれます。当然神社が先で新幹線が後から出来たと思うですが、良い神社でした。二の鳥居までそなえた山の斜面を少し登る気持ちの良い神社でした。写真左上に東北新幹線の高架が見えます。車は高架の下に止める事が出来ます。目の前が一の鳥居の前になります。2015.07.27

諏訪神社の野田豊吉(野田平業)昭和15年の狛犬
阿像、かなり猛々しい印象を受けました。昭和15年(1940年)の文字が彫られていますが、野田平業の名前が見つけられませんでした。白河ではしばしば目にする人で”彫刻師”と彫り込む事が多いように思います。十分迫力と躍動感のある狛犬に見えました。

都々古和気神社の狛犬はこれより古く昭和3年、籠彫と呼ばれる網目状の手の込んだ玉です。更に鹿島神社の狛犬などと比較すると玉が唯の丸です。これについては、例え腕の良い石工側では如何ともしがたい依頼側の経済的な限度が原因しているかもしれません。

吽像、子供が2頭彫られています。 

目の上にイナゴが止まって動きません。厳しい暑さで気力も無くなったのでしょうか。目の上のタンコブならぬ目の上のイナゴです。20015.07.27

   
石段を登り出すと二の鳥居が現れ道は右に曲がって更に登りが続きます。 2番目の石段の途中に山百合が咲いていました。草刈りをした氏子の方が此処だけ残したようです。その心づかいは嬉しい事です。

二の鳥居まで下りてくると東北新幹線の北方向にトンネルが見えました。鳥居とトンネルを同時に撮影しようとカメラを構えると、黒い穴から突然新幹線が東京駅を目指してすっと通り過ぎて行きました。何とか撮影が叶ってラッキーでした。撮り鉄の人でも此処は知らないだろうなと一人で満足しています。今日は暑い一日です、参道を登って大汗を描きました。2015.07.27

 
矢吹町・矢吹神社・昭和15年(1913年)

この狛犬に付いては年号が彫られていましたが石工の名前が見当たりません。2015年に初めて見た時に全くの素人の推測ですが野田平業の作品と感じました、間違っている場合もあります。

矢吹神社住所:福島県西白河郡矢吹町中町21。神社は国道4号線から矢吹駅に向かう賑やかな町の中にありました。鳥居の前に車を止めるスペースらしきものがあったので止めさせて貰いました。鳥居の前に。今はひっそりと眠ったようなフィリピン・パブ、良い組み合わせです。夜はサゾカシネオンが輝く事でしょう。2015.12.08 

 

2番目の狛犬・阿像・昭和15年(1943年)

籠彫りの玉を足下に収めた阿像です。年号は見つけたのですが、石工の名前が見つかりません。

白河市の野田平業ではないかと推測しています。知識が中途半端ですので間違っているかもしれません。2015.12.08 

白河市の石工・野田平業について

↑画像は2017年10月に白河市の石工・野田平業について  に掲載してある野田平業が自製した絵葉書に描かれた狛犬の写真です。この矢吹神社の狛犬とほぼ同じデザインだと思われます。説明の文字が下の年号のように旧式に右から書かれていました。

左に置かれた吽像の子供の表情などはまさにそっくりに見えます。個人的には野田平業の狛犬だと思いました。素人の推測ですので間違っているかもしれません。

年号と奉納した人の名前が見えますが石工の名前がありませんでした。2015.12.08 

2番目の狛犬・吽像・昭和15年(1943年)
子供の獅子もやんちゃな顔付です。細部にわたって緩みのない彫りが見られます。白河市の石工・野田平業について
 
矢吹町・八幡神社・野田平業・昭和15年狛犬

穏やかな日差しが差す参道の石段の脇に狛犬がいました。白河市横町の野田平業の狛犬です。色々事情はあるのでしょうがちょっと力を抜いた程々の狛犬に見えます。2015.12.08

 

阿吽像に冬の光が一杯にあたっています。岡の下には木立の間から行き交車が忙しく動いています。

静寂が広がる境内、ここは時間が止まったような場所です。2015.12.08

 
 
B白河市・鹿島神社・(野田平業)・昭和5年(1930年)・32歳
 

野田平業と言う人は白河市横町にいた石工と福島県の説明にありました。今でも白河石の石切り場がある土地ですから、当時市内に多くの石工が居た事は当然な事でしょう。この名前が彫られた狛犬はかなり多く存在するようです。神社入り口の鳥居近くの狛犬です。毛並みが美しい意匠です。少し立った姿勢の為に見上げるような感じになります。確か銘などが記されていなかったと思います。初めての狛犬を巡る旅なので様子が分かりません。2015.06.29

こちらが吽像です。
2回目の鹿島神社参拝です。

鳥居をくぐると長い参道が見えます。すぐ地元白河市の石工(この人は大体彫刻師と彫っています)・野田平業の大型の狛犬が置かれています。阿像の精巧な玉は残念ながら破損しています。表情豊かな厳しい狛犬の表情が活き活きと表現されているように見えます。2015.10.27

 
 
C白河市・ 都々古和気神社(野田平業)・昭和3年(1928)30歳
福島県白河市表郷三森都々古山 都々古山1番地とカーナビに入力すると神社の鳥居の前に戸着します。そこに白河の野田平業の狛犬があります。
鬱蒼と杉並木が続く参道がぽっかりと口を開けています。鳥居と狛犬が置かれています。今回の地震でも大きな被害は無かったように見えます。
 
吽像の狛犬のシルエットが大変美しいと思いました。違和感を感じません。細部の彫の線もスムースな感じがします。心地よく対面が出来る狛犬です。2015.06.29
 
口を開けた吽像の狛犬を正面から見ています。親しみを感じる姿に見えます。
 
吽像の狛犬です。一部の石の部分に苔が付いています。ふっくらとした姿です。
吽像の狛犬を正面から見ています。細部の作りに緩みが見られません。
 

建立年月日が昭和3年、寄贈者が芳賀さんと言う方のようです。白河市の横町に住んでいた野田平業の名前が彫り込まれています。

杉並木の続く爽やかな参道を緩やかに登って行きました。本堂までの道は行き止まりを左に登ります。
神社本殿の横に縁起が書かれていました。かなり由緒のある神社のようです。
本殿を後にして車に戻ります。数時間の狛犬巡りでしたが十分驚きと感動を得る事が出来ました。県境の村からそれ程遠くない場所にまだまだ多くの楽しみが埋もれている事が分かり、今後の訪問が待ち遠しくなりました。2015.06.29
 
 
D白河市表郷・羽黒山神社
 
カーナビに入れる住所:白河市表郷番沢御殿ケ入41。道路脇に石燈篭、この道の先に狛犬が見えます。多分車も参道の終わりまで入れるのでしょうが、石で底を擦りそうなので車を道路の脇に置いて歩きました。美しい作りの社まではかなりの距離があります。

トウモロコシ畑の中を真っすぐ伸びる道を進むと比較的大きな狛犬が見えてきます、一見すると新しいようにも見えます。地震の被害があったようで一部が補修されていました。

これが右手にある狛犬で通常は阿像になるのでしょうが、口を開き子供を背中と手の下に2頭纏わりつかせています。一般的にはこれは吽行の仕様だと思うのです。五龍地神社と同じ阿像と吽像が入れ違っているように思います。彫は若干甘いようにも見えますが、バランスと表情は悪くないように見えます。台座が高く詳細が見えません。

 
 

吽行の位置に置かれた狛犬です。篭彫と言うそうですが、技術の高い玉を足下におさめています。表情も彫も中々の物に見えます。

口が開き気味です、一般的には阿像の形態を持っているように見えます。

阿吽の位置が入れ替わっているように思いますが五龍地神社と此処にもある事を見ると間違いとは言えないように感じました。

鳥居は地震の振動で折れてしまったようです。地面にまとめられていました。

 
吽像の位置にある狛犬の後ろです。 阿像の位置にある狛犬の後ろ姿です。確りと彫られているように感じまし。

後日他の方のHPを見ると白河の野田業平の良い狛犬(震災前の)がここに置かれている写真がありました。同じ作者の都々古和気神社の狛犬に良く似ています。現在の狛犬と少し違うような印象を受けました。どうも一見してどこか新しい石像に感じたので、もしかするとオリジナルは地震で崩壊したのかもしれないとも思っているのですが確かではありません。改修時に苔を落として綺麗にしたとも思えるのです。

木立が影を作る気持ちの良い参道をかなり歩いて本殿の石段の昇り口までやって来ました。 石段を登ると本殿があります。お参りをして辺りを見回したのですが、目立つような建物は見えません。本殿の裏に回って見ました。
 
 
E鮫川村・八幡神社(野田平業)

村のメイン・ストリートのような道に出ました。郵便局があります。カーナビは目的地としきりに告げるのですが鳥居が見えません。通りがかりの人に尋ねるとこの道沿いにあるとの事、30mも進むと鳥居と狛犬が道路脇に見えました。道の膨らみ部分に止めさせて貰いました。風格のある神社です。2015.10.27

 

社までは狛犬から長い石段を登ります。一つ目の石段を上ると広場、更にこの2つ目の石段を登ります。木漏れ日の差込む心地良い石段が続きます。

八幡神社住所:東白川郡鮫川村赤坂中野道少田162。道路脇に鳥居と狛犬が見えます。

野田平業・狛犬阿像

白河の野田平業の精緻な彫りが美しい狛犬です。当時としてはかなり遠くまで仕事で呼ばれたものだと思いました。腕を見込まれたと言うことなのでしょうか。白河市・ 都々古和気(つつこわけ)神社の狛犬を思い出しました、これは更に彫りが細かいように見えます。2015.10.27

阿像の台座に白河市横町・彫刻師・野田平業の彫り込み。
野田平業・狛犬吽像
 

狛犬自体も若干大き目で風格が感じられます。足下の大きな玉の籠状の彫りが極めて精緻です。多くの野田平業の狛犬でこの籠状に彫られた玉が見られますが、これはその中でも最も美しいものかもしれません。

年号が見られませんでしたが、白河市・ 都々古和気(つつこわけ)神社の狛犬が作られた昭和3年前後の作かもしれません。 2015.10.27

 
吽像の後ろから阿像を見ています。右下がメイン・ストリートになります、と言っても喧騒とは無縁の静かな町の佇まいが続きます。撮影2015.10.27
木製の鳥居をくぐり社でお参りをしました。かなり大きな社です。
境内から鮫川村を見ています。かなり登ってきた事が分かります。秋の日差しが斜めに村に差込んいるようです。日暮れがあっという間にやってきそうな気配です。

本殿の後ろに回ると更に奥の院がありました。小さな石段を登ってお参りをしました。

今回も最大の目的である、農協での買い物では希望の品が大量に手に入れることが出来ました。秋晴れの空の下、清々しい小さな社と狛犬を巡る旅は何時もの通り村での楽しい思い出が一つ増えました。

日暮れ前には県境の村に帰らなくてはなりません。明日の早朝には街に戻るのであれこれと後片付けをしなくてはなりません。村の狛犬を訪ねて・そのZ終わり。 撮影2015.10.27

 
F白河市南湖神社狛犬(野田平業)大正11年(1922年)24歳
1回目 2回目 3回目

筆者注)野田平業のお孫さんからのメールで野田平業が1898年に生まれた事が分かり、それぞれの作品を制作した年齢が特定できることになりました。

私の見た野田平業の狛犬では2番目に古い年代ですが、24歳でこれ程の作品を作ったとは驚きです。これだけの作品を完成させるには基礎工事・台座の据え付け等多くの石工達の差配を伴うでしょうから24歳の年齢の青年(当時の風潮では十分な大人と考えられていたかもしれませんが)が行ったとはたいしたものだと思いました(いまでもエクセルの計算が間違っていたかと半信半疑なのです)。

南湖神社は松平定信を祭神として祀る神社で、市内に多くの古くから住まいする目利きの氏子の人々がいる神社と思われますから、24歳にしてその人々が任せるに足る技量に加えて信用があった事になります。もしかすると野田平業は少なくてももう一代前から続く石工であったのかもしれないとも思いました。台座の年代の11年の前に二十の古い漢字が入ったのかなどと案じてしまいます。いずれこの謎が解けるかもしれませんが・・・

 

国道4号線沿いの”り菜庵”から南湖神社はすぐ近くです。何度も南湖神社は訪れているのですが楽翁桜の折々の記憶は鮮明に残っていますが狛犬の記憶が全くありませんでした。2016.12.05 

南湖神社住所:福島県白河市菅生舘2。松平定信を祭神として祀る神社で南湖の際にあります。南湖の湖畔からは那須連山が湖面の先に聳えています。おっとりした良い神社だと思います。お参りを済ませて狛犬を見上げました。2016.12.05 

野田平業狛犬阿像・大正11年(1942年)

かなり大きくて迫力のある狛犬です。野田平業の地元、白河の氏子の人達の依頼ですから、技巧に秀でた野田平業の見事な彫りに更に腕によりをかけた作品に仕上がっているようです。大きく開いた口の中の牙が活き活きとした表情に見せてくれます。細部も緩みなく彫られていると思いました。2016.12.05 

 

木陰の中に置かれた阿像は台座が立派で高い上に狛犬自体が大きく全体が脚立でもないと撮れないようです。横からも写してみました。現在は同じ白河市内になる表郷の都々古和気神社(つつこわけ)鮫川村の八幡神社の完成度の高い野田平業の狛犬を思い出しました。何時も狛犬と向かい合うたびに、作者の技量と地元の氏子の人々の手厚い寄進があってこそ、素晴らしい石像を見る事が出来ると感謝の念がわいてきます。2016.12.05 

 

 

大正11年の年号と、野田作品にしばしば見られる”彫刻師”の肩書に”石材”が加えられています。

弱冠24歳の青年の作品との推定は大正11年の年号に依っています。どこかでまちがっているのではと、少し不安な気がしています。2016.12.05 

野田平業狛犬吽像・大正11年(1942年)
左に置かれた吽像と思われる狛犬は少し柔和な印象を受けます。野田平業の狛犬にしばしば見られる透かし彫りの玉を足下に抑えています。地震の為か一部破損していました。日を浴びてまるで生き物のように見えます。2016.12.05 
阿像から吽像を見ました。参道にも人通りはわずかです。2016.12.05 
 
 
G白河市・八幡神社(野田豊吉)・大正5年(1916年)18歳作品
カーナビに入れる住所: 福島県白河市関辺大久保1。車のすれ違いが難しいような細い道を奥へと進んで行くと集会所が左にあって右手の山の上に目的の神社がありました。
 
八幡神社の狛犬(野田豊吉銘)・大正5年(1916年)18歳作品

阿像の位置に置かれた狛犬ですが、子供を足下に納めた吽行に見えます。白河市では阿吽の位置が逆の場合があるようです。

少し立った姿勢、中々姿の美しい狛犬です。 2015.07.27

 
吽像の位置にある狛犬ですが玉を足下に納めた阿像のようです。彫は力強いような印象を受けます。中々美しい狛犬に思えます。台座の半分ほどまで彫が施されていて丁寧な仕事だと思われます。 2015.07.27
左・吽行の位置に置かれている阿像の台座には”彫刻師 白河横町”と彫られています。白河市横町在の野田業平が同じく”彫刻師”と彫っている狛犬が都々古和気神社(昭和3年)鹿島神社(昭和4年)にあります。

右・吽行の位置にある阿像の台座には”野田豊吉”と彫っています。この名前は,今朝、訪れたばかりの西郷村の永倉神社の狛犬にも彫られています。野田業平の別称なのでしょうか、それとも別人なのか不思議です。因みにこの狛犬は大正5年(1916年)に奉納されたようです。永倉神社の狛犬より26年前の作品と考えられるのでしょうか。余りこのような事に拘ると、ゆったりと狛犬と神社とその土地の風情を楽しむ事がおろそかになるので、程々にしなくてはと反省しているところです。

木漏れ日の漏れる心地よい参道を登ります。眼下には青々と波打つ水田が広がっています。何故かこのような景色を見ると懐かしさがこみあげてきて心の緊張が緩みます。 2015.07.27
 
辺りは緑に溢れています。やはり、小高い山の上の神社はどこか日常を離れた心持がして、若干気分が高揚するように思えます。本殿の前で手を合せました。たいそうな事を言いながら、相も変わらず家内安全、健康であるようにと俗事のお願いをしているのです。
 
境内の左端に稲荷神社があります。

稲荷神社と本殿の間に更に石段が続いていました。登って見ると平らな台地に出ます。石の社が祀られていました。右には何故か蛇が彫られた石塔が祀られていました。車を止めた神社入り口の木陰の下で昼の弁当を食べる事にしました。狛犬を探していると食事をする場所から離れてしまうので弁当持ちで出かけています。 2015.07.27

 
10/25/2017 トップ・ページへ
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved.
本日カウント数-
昨日カウント数-
Provided: Since Oct.10,2007