ラ・ラ・ランド(La La Land)トップ・ページに戻る

 

3月21日、雨が降る一日でしたが所用が出来たので赤坂の親類の家を訪ねました。村で作った梅酒の大きな瓶をデイ・パックに詰めて地下鉄に乗ります。置き方が悪かったらしくデイ・パックから梅酒が少し染みだしていました。赤坂駅で待ち合わせて、親類の家に梅酒を置いてから裏道を抜けて近くの氷川神社から乃木神社、天祖神社を案内してもらいました。

若い頃は新宿が、大人になったら銀座が私の好みの街だったので、この辺りは車で通過するだけの場所でした。さすが地元の人で、少し裏に入ると普通の人が暮らす街が残っていて、どこに行っても出くわす坂道と生活感がある街にすっかり感動してしまいました。途中の乃木神社では枝垂桜が蕾を膨らませていました。

地元の人お勧めのランチの一つ、中華の店”チム・サー・チョイ”を案内してもらいました。これが安くて上手くて驚いてしまいました。ランチの後、六本木の駅前でお土産のパンをいただき銀座に出ました。この日は、ずっと見たかった”ラ・ラ・ランド”を見る事が出来ました。2017.03.21

六本木・チム・サー・チョイのランチ・点心セット

住所:港区六本木7丁目17−1712。点心セット¥1,080を頼みました。 最初のスープで上手いと叫んでしまいました。一見の客より馴染みの人が多いようです。
6種類の点心が1個ずつ、最後の濃厚なデザートの杏仁豆腐。御飯が美味しく3杯お代わりしてしまいました。

親戚の人が六本木駅前のパンパドールで美味しいからとパンを買ってくれました。

日比谷線の六本木駅から日比谷で降りてシャンテ・シネで映画の切符を買ってから、銀座7丁目のニコンのサービス・ルームに向かいました。紛失した電池カバーは¥118と言われて余りの安さに呆れてしまいました。大変親切で、レンズ・フィルターが破損するほどの力で落下した為にレンズががたつくから直した方が良いと言われたので依頼して帰りました。

家人は別に2丁目の伊藤屋に向かい、近くで手に入らない鉛筆を買いに出かけて映画館の前で待ち合わせをしました。お互いの銀座での用か手際よくすんで得した気分です。2017.03.21

 

日比谷・シャンテ・シネ

評価が高そうで自分の好みに合いそうな映画をただ見るだけなので、俳優の事等の詳細には全く詳しくありません。楽しかったか、印象が後まで残ったかどうかが評価の基準なのです。

雨の日だし、ロードショーが始まって大分経つからもう空いているだろうと思ったのですが、劇場はかなり混んでいました。それに若い人が多く、映画の性質からさもあろうと思いました。

アメリカ映画でしばしば題材に選ばれるハリウッドでの夢物語。叔母の影響から女優を目指し、大学を中退してコロラドから出てきたミア(エマ・ストーン)とジャズ・ピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)の夢を目指す物語だと思いました。互いの夢を叶えようと励ましそして愛し合う二人の純粋な心に胸を打たれました。

冒頭のフリー・ウエーの圧倒的なダンス・シーンから引き込まれてしまいました。ロスアンゼルスの夜景が見える丘の上のダンス、沢山のダンス・シーンと力強く心地よい音楽が上映中の劇場に流れ続けています。何も考えずに、ただそれを楽しめば良いと映画に没頭しました。

二人の挫折からコロラドに帰ったミアへの俳優協会からの連絡がセブの元に入ります。二人の転機となるその知らせを持ってセブはコロラドまで車を走らせます。アメリカ大陸中央に位置するコロラドまでの往復はかなり大変な事なのですが、女優を諦めかけるミアの夢を実現させようとセブはやってきます。互いの夢の実現と引き換えに別々の道を歩き出した二人、最後は夫婦の現実の愛とは別の決して消える事のない純粋な愛情を確かめ合ったように思いました。

たった4日の心が通い合う恋の後、2度と会う事のなかったフランチェスカとキンケードの物語、”マデイソン群の橋”の切ない二人を唐突に思い出してしまいました。フランチェスカは生きている間夫の為に生きたから、死んだ後はキンケードと共に生きると言い残して遺骨の灰を思い出の橋から流してもらっています。ミアとセブもそうかもしれないと思ったのです。感動的なラストでした。

映画が終わってシャンテ・シネの外に出ましたが雨は降りやみませんでした。傘を差しながら帰路に付きました。

夕暮れの晴海通りを渡って有楽町駅に向かいます。空の方向は皇居です。薄暗い道路を歩く人々が映画のようにまるで踊りだすような錯覚を感じました。

それほど楽しい映画だったのです。2017.03.21

 
03/25/2017
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved.
本日カウント数-
昨日カウント数-