村の山桜が満開 |
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①標高400メートルの村
久しぶりの村です。標高400メートルのこのあたりでも一月遅れで春が訪れています。私を和ませてくれたのはひっそりと咲く山桜の木々です。華やかなソメイヨシノが春の訪れの前触れであることはそうなのですが、あまりにも囃されると食傷します。いわゆるソメイヨシノの名所は見せるために植えられたものが殆どです。それも、桜の終わる頃に飽きが来る原因かもしれません。
②自然の山桜
ヤマザクラはほとんどが植えられたものではありません、自然の営みの結果そこに生えてきたのです。花が咲くまでの長い成長過程で周りの景色と念入りに馴染んでいるので違和感を感じません。目立ちすぎず、時が来たので咲いただけ。目に入る自然と一体になって私の心に春を感じさせてくれます。柔らかく春の到来を告げるのです。 暮らす村で近辺に用足しに出かけた折に目に入った景色です。取り立ててどうという事もないありきたりの景色です、だからこそ感覚的にはとても身近ですっと心に入り込んできます。 2009.04.27
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カーブを曲がるたびに山桜の塊が目に飛び込んできます。立ち止ってそれを見る人もいません。ごく当り前の景色なのでしょう。
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帰路は違う道から村へと向かいました。標高がさがるほどに春の花が道路のあちらこちらに姿を見せてくれます。山吹の黄色はむせかえる様に道路脇のあちらこちらを黄色に染め分けています。2009.04.27 | |||||||
食べきれずに取り残されたナバナでしょうか、すっかり花が咲いてしまっています。春の種まきの頃には引き抜く以外ありません。 岩魚を釣りに出かけて、結局は桃色の山桜の花を愛でて終わりです。それでも短い花の季節に出会えた幸運に感謝しています。たまにしか村を訪れる事の出来ない私には十分すぎるほどの心の洗濯の一時でした。岩魚釣りはカゲロウが飛び、蛍が飛ぶ頃が最盛期、未だ時はあります。 |
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06/19/2016 | |||||||
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