奈良逍遥・正月のヤマトの国逍遥B奈良市内 @法隆寺 A山の辺の道 C飛鳥寺 D長谷寺  
東大寺・南大門の巨大な金剛力士像・鎌倉時代を代表する運慶や快慶の作

 

全く勝手な個人的好みなのですが、他人の決めたスケジュールで旅をする事がどうも好みに合いません。従って、団体旅行の一人旅となる家人にはしばしば嫌味を言われるので、出雲と奈良なら行くと言い逃れていたところ、数年前に出雲の旅に引き出されました。これが思っていたより団体旅行も自分勝手に楽しめる事が分かって大いに観光臭の薄い静かな松江の街を大いに楽しむ事が出来ました。

今年の正月はいよいよ奈良と決められて下調べをと思ったのですが、多忙でままならずかって読んだ本の記憶を頼りに慌ただしい出発となりました。お陰で、私の日本の中では尋ねたいと思う出雲や山陰と奈良が繋がり大いに楽しい旅となりました。

無秩序な人の波は奈良市内近くの東大寺と春日大社程度で、多くは神域らしい重厚かつ嫋やかな佇まいの中での社寺巡りを存分に楽しむ事が出来ました。最も楽しみにしていた山の辺の道の散策では地元の方々の親切に助けられヤマトの国の始まりに思いを馳せながら三輪から巻向駅まで一駅分の古道歩きを存分に堪能する事が出来ました。我が身をあたかも大神(おおみわ)神社の大物主大神や7世紀の世界に漂よわせるような中身の濃い思い出が出来ました。帰ってから妻に斑鳩なら又行っても良いと申し出たほどでした。

正月のヤマト逍遥
@1月2日・法隆寺唐招提寺薬師寺
A1月3日・A:山の辺の道 JR奈良駅⇒三輪駅⇒大神(おおみわ)神社大直禰子(おおたたねこ神社)大美和の杜展望台山の辺の道國津神社箸墓古墳JR巻向駅⇒JR奈良駅
B:B興福寺氷室神社・春日野町1−4⇒東大寺春日大社奈良町散策・奈良市勝南院町住吉神社元興寺率川(いさがわ)神社
1月4日・C樫原神宮飛鳥寺⇒D長谷寺⇒室生寺⇒


1月3日午後の奈良市の差散策のマップを添付申し上げました。ルート:興福寺氷室神社・春日野町1−4⇒東大寺春日大社奈良町散策・奈良市勝南院町住吉神社元興寺率川(いさがわ)神社
興福寺

興福寺住所:奈良市大路町48。

朝から始まった山の辺の道の三輪駅から巻向駅の散策で、存分に奈良の歴史に覆われた風景に大きな満足感を感じてその余韻が未だ収まりません。極めつけの御馳走ですっかり満腹した気分です。奈良駅に戻り昼食をとったのですが興奮状態のせいか道を間違え午後訪ねる奈良町方向と反対側に向かってしまいました。

戻る道で妻は足が痛いと奈良市内の散策を放棄してホテルに戻る事になりました。

私も大神神社の鎮座する三輪山からの山の辺の道、纏向遺跡の散策とこれ以上の感動は多分望んでも叶えられないのではと思いましたが、折角の旅なので奈良町の風情だけでもと一人で出かける事にしました。過去の真実を探求する歴史の本にもその風情ある町並みが書かれていたので是非訪ねたいと思っていました。

近鉄奈良駅近くにやってくると観光の人達で道路は溢れていました。今まで見てきた奈良の景色とは異なる余りの人混みに恐れをなしてしまいました。計画を縮小して行けるところまで行ってみる事にしました。

坂道を緩やかに登っていくと右に猿沢の池が望まれます。左手がこれから訪ねる藤原氏所縁の興福寺、五重の塔が見えます。改修工事中のようです。中を見る事がかなわないので外から高い塔を見上げてみました。

2034.01.03

五重塔の左に建つ東金堂、此方も同じく改修工事中でした。

2034.01.03

近年になって再建された美しい姿の中金堂が見えます。今回は時間が無いので外から手を合わせて境内を更に先に進みます。

2034.01.03

金堂を右に見ながら更に進んで行くと八角形の瓦屋根の南円堂の前にやってきました。江戸時代に現在の姿の4度目の再建が行われているとの事です。

2034.01.03

南円堂の中のお詣りをする場所・"入所"で手を合わせました。それなりの人達がいるので次の東大寺に向かう事にしました。

 

2034.01.03

氷室神社
氷室神社住所:奈良市春日野町1-4。神社の御由来によれば和銅3年(710年)に春日山に鎮祀(地鎮祭のような祭事)が行われた後、貞観2年(860年)に現在の場所に奉遷(ほうせん)されたとのこと。

午後1時59分・東大寺に向かって進んでいると道路の左手に神社があります。下調べで立ち寄りたいと思っていた神社の一つの氷室神社です。お目当ての狛犬が参道の石段の登った所に見えてきました。時折参詣の人が訪れますが、通りの混雑程ではありません、

 

2034.01.03

若干小高い丘陵状の岡の上に神社は鎮座しています。その石段の先に狛犬が置かれていました。

2034.01.03

下調べて狛犬が奉納されている事が分かっていたので初めて見る奈良市内の石像を楽しみにして参拝に訪れました。鳥居の前には二つの石像が見えます。

右に置かれた阿像の顔付は私が見慣れた狛犬と少し異なる印象を受けました。

2034.01.03

 

左の吽像の閉じられた口の形が少し私の馴染んだ狛犬と異なるようです。尾は幾つか見たこの地の石像と同じく立気味の意匠でした。

2034.01.03

台座に昭和17年(1942年)の奉納と思われる文字が刻まれていることから、各地で見られる所謂紀元2600年の祝賀に奉納された狛犬と推測されます。奈良市のこれ程の歴史ある神社にこのような由来の石像がある事は驚きです。

2034.01.03

拝殿の上から鳥居の方向を写しました。右に向かうと三条通りをJR奈良駅方面に向かい、左に向かうと東大寺の参道方向になります。

2034.01.03

拝殿の前に進んで参拝をさせていただきました。正月の初詣なのか地元の方々と見える人達が途切れることなく参拝に訪れていました。

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拝殿の入口に氷室神社の名入りの提灯が飾られていました。大晦日からの初詣の参拝の人達の為と思われます。

2034.01.03

東大寺

氷室神社での参拝の後、東大寺の参道に進むと今までの奈良の旅では見た事もない程の人の波が行き交っていました。明るい内にホテルに戻れるかが分からなくなりました。一旦は諦めたのですが行けるところまで行って見る事にしました。人込みをぬうようにして何とか威風堂々とした大きな作りの東大寺南大門に到着。

2034.01.03

人混みの参道歩きにいささかうんざりしてしまいましたが、南大門の巨大な金剛力士(仁王)像の漲る力を感じさせる見あげる程に大きな木像を見てすっかり魅せられました。

説明を読むとやはり鎌倉時代を代表する運慶や快慶の作との事、それでこの驚きに納得ができました。此方の右に置かれた木像は口を確りとむすんでいる様子から吽像と思われます。

 

 

2034.01.03

強大な吽像の木彫が収められている東大寺南大門の高い柱の木組にも驚かされます。昼間でも暗い天井近くの空間には魑魅魍魎が押し込められているのではないかと思える程の不思議な深い闇の世界が広がっていました。

2034.01.03

左に置かれた木像は右の吽像と異なり大きな口を一杯に開いて幻のような雄たけびが聞こえる程の迫力を感じます。金剛力士像を見られた事で人込みに挟まれながらの東大寺を参拝した甲斐がありました。

 

2034.01.03

 

南大門を抜けると中門(中門)が出迎えてくれます。人混みと大門の運慶・快慶の金剛力士像の迫力に圧倒されたこともあり少し集中力が散漫になりました。

残念なことに中門の毘沙門天等も像を見る事を忘れてしまいました。

2034.01.03

中門から東大寺大仏殿が見えます、子供の頃の修学旅行の記憶がおぼろげに頭に浮かんできました。中門の金網越しから見る大仏殿の前には更に大きな人の波が見えます、金剛力士像を見られた事で良しとしなくてはならないようです。

参拝を諦めて次の春日大社に向かう事にしました、

2034.01.03

春日大社

参道が幾つかあるせいか東大寺の参道から藤原氏所縁の春日大社に進む参道はそれ程の人波が見られません。参道から辺りの景色を見ながらのんびり参拝を楽しむ余裕が出来ました。参拝を楽しみながら拝殿に向かって進んでいきます。前方に大きな春日大社の二の鳥居が見えてきました。

赤い鳥居の脇に狛犬が奉納されていました、通常のサイズより少し大きめに見えます。年代はそれ程古い時代の造りではないようです。

右に置かれた阿像は私にもお馴染みの意匠と彫にみえます。高く出来の良い台座の上に置かれているのではっきりと確認は出来ませんが口に小さな玉が彫込まれているように見えました。

2034.01.03

左に置かれた吽像 、しっかりむすんだ口から歯が除いています。

2034.01.03

台座には奉納された昭和43年(1968年)の文字が彫り込まれていました。この意匠はかなり各地で見られる様式で約55年程前に彫られた石像のようです。

2034.01.03

春日大社の拝殿に向かう人の波が増えてきて先に進まなくなりました。暫く進むと係の人がロープで参詣の人の数を調整している事が分かりました。

暫く列の中で待ちながら参拝を済ませましたが残念ながら春日大社での参拝の記憶が殆ど残っていません。

2034.01.03

猿沢の池

帰路は三条通りをJR奈良駅方向に戻りながら風情があると言われている奈良町界隈を尋ねる事にしました。

道路脇に往路目に入れておいた興福寺の前にある猿沢の池に立ち寄る事にしました。

2034.01.03

采女神社住所: 奈良県奈良市樽井町15。奈良町散策の為に猿沢の池から近鉄奈良駅方向に向かうと猿沢の池際に小さな采女神社が鎮座していました。

2034.01.03

神社の塀の前に説明版が置かれていました。旅の僧が参拝した奈良春日明神は春日大社の事と思われます。

2034.01.03

奈良町

猿沢の池から元興寺(がんこうじ)を探して奈良町の街並みの中に足を運びました。商店街が並ぶ路地を通り北に進みます。路地には観光客の姿も見られますが地元の方が利用する店も多く並んでいるので、落ち着いた町のたたずまいが広がっていました。正月休みのせいか町は静まり返っていました。

2034.01.03

路地は車一台が何とか通る事が出来る程狭い道幅です。地元の方々の暮らしが見える家並みの中に時折特徴のある店などが点在していて歩く楽しさを感じさせてくれる町でした。観光を売り物にした薄っぺらな街とは異質のじっくり散策を楽しむことができました。

2034.01.03

住吉神社住所:奈良市勝南院(しょうなみ)町5番地。路地の脇に突然艶やかな神社が現れました。勿論地元の氏子の方々が大切に護持し続けてきた綺麗に守られた神社と分かります。

2034.01.03

説明板では元興寺(がんこうじ)境内で創建・その年号は不明、宝徳二年(1450年)焼失後この地に創建されたと書かれています。

飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が養老2年(718年)平城京に移されて元興寺(がんこうじ)と名を変えたのですが、この一帯はその元興寺と関連が強い場所だったようです。

2034.01.03

氏子の人達の暮らしの中に鎮座する親しみを感じる神社の狛犬は小型のサイズの石像です。

2034.01.03

右に置かれた阿像の意匠もこの地の他の狛犬と多くの類似性を感じます。これがこの地の狛犬の形であろうと推定できそうです。

2034.01.03

左の吽像の口の形などにもこの地の他の狛犬との類似性が感じられます。

2034.01.03

左の吽像から阿像を写しています。境内の隅々まで行き届いた手入れが行われている様子が見て取れます。狛犬の奉納された年月などの記録は見られせんでした。推測ですが昭和10年代の狛犬ではないかと思われます。

元興寺(がんこうじ)を目指して更に北に向かいます。

2034.01.03

元興寺(がんこうじ)

元興寺(がんこうじ)住所:奈良市中院町11。

飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が、和銅3年(710年)の平城京遷都の8年後の養老2年(718年)に平城京に移って元興寺(がんこうじ)と名を変えたと元興寺(がんこうじ)で頂戴した説明書に書かれています。

私の読んだ本では、この折、金堂と塔の一部は法興寺(飛鳥寺)に残ったようで、当時の飛鳥の勢力がかなり抵抗した気配が感じられるようです。

 

2034.01.03

趣の漂う奈良町を歩いて進むと目指す元興寺(がんこうじ)の築地塀が見えてきました。塀に沿って進むと山門がありました。辺りには奈良町から続く人々の暮らしが広がる落ち着いた場所に鎮座しています。

2034.01.03

今までの奈良市内の寺院とは異なり、手を合わせゆっくり見上げる仏さまへの祈りが出来る場所にやってきました。靴を脱いで本堂に上がり心を静めて阿弥陀如来坐像と思われる仏像に祈りました。

2034.01.03

 

元興寺(がんこうじ)での参拝を終えて風情ある奈良町の裏通りを率川(いさがわ)神社に向かいます。

黒い板塀が延々と続き蔵までもが見える大きな民家が現れ奈良の旅に彩を添えてくれました。辺りに観光客の姿は見えません、さり気ない静かな街の暮らしが有るばかりです。

このページを製作する折にこの美しい建物を調べると、室町末期創業の”古梅園”(奈良県奈良市椿井町7)と言う墨の製造・販売の店だと分かりました。残念ながら正月で店は休みだったようです。

ホテルに帰ってから、この日の夜、家人をこの落ち着いた居心地の良い奈良町を案内するために再度訪れましたが、残念ながら正月の事もあり殆どの店が早仕舞していて途中で引き返す事になりました。

2034.01.03

率川(いさがわ)神社

推古元年(593年)推古天皇創建の神社。御由来には奈良市内最古の神社(奈良県ではありません)と書かれています。

2034.01.03

率川(いさがわ)神社は奈良町の裏通りの道がが太い”やすらぎ通”に出た位置にありました。神社は直ぐに見つける事が出来て大助かりです。

2034.01.03

拝殿で参拝をさせてもらいました。時折参詣の人が訪れる程度で静かな神域です。

2034.01.03

拝殿の参拝を済ませてから事代主神(恵比須)を祀る摂社の阿波社でお参りをさせていただきホテルに戻る事にしました。目の前の太い”やすらぎ通り”南に進み三条通りに出ます、後はJR奈良駅を目指して進みました。

未だ、辺りが明るい内にホテルに戻る事が出来ました。

2034.01.03

奈良の旅の二日目は午前中の山の辺道を辿り、ヤマトの国の始まりと思われる深い歴史で包まれた三輪駅から巻向駅への散策を存分に堪能することが出来ました。これからは、ヤマトの本を読んでも述べられた歴史的事柄の中により深く没頭できそうです。奈良市に戻って、出だしは人の波の中の参拝でしたが帰路の奈良町と元興寺(がんこうじ)周辺の落ち着いた町並みの散策で再度大きな思い出を作る事が出来ました。

出かけるときは果たして自由行動の一日が無事に楽しめるかと大きな不安を感じながらの出発でしたが、地元の方々が暮らす歴史の街を存分に楽しむ事が出来て望外の充実感が胸に残った一日でした。

2034.01.03

03/12/2024
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正月のヤマトの国B
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