築地居留地中央通から隅田川・御宿かわせみの舞台を尋ねてA @へ Bへ
出典:国立国会図書館書誌データ・築地外国人居留地図・2024年3月22日取得 https://dl.ndl.go.jp/pid/2542226/1/2 ・縮小・加筆加工

上記の当時の地図は”御宿かわせみ”の舞台が推定できる大変貴重な地番が記入された絵地図です。江戸末期の地図ではないかと思われます。地名には加筆してあります。私には物語が生き生きと動き出すような錯覚を起こさせてくれる大変嬉しい地図です。オリジナル画像では地名が不明瞭の個所もあり読み間違いがあるかもしれません。オリジナルの地図に個人的な推測で現在の地名の説明も付けましたが違っている場合も有りますことをご高配ください。尚、この絵地図は左が北になっています。●印の現存する箇所にはリンクが張られていますのでクリックしてください。

絵図面に新御宿かわせみの舞台と推定される幾つかの場所にその名前を記入してみました。尚ページ番号は文庫版の本のものです。

現在の"築地川公園"北側に軽子橋があった事や築地カソリック教会の説明等から築地外人居留地の地図の新高橋から続く道が現在の居留地中央通と推定できそうです。本文中現存する築地カソリック教会が居留地35番と36番に聖堂が献堂されたとの説明が見られます。下記のグーグル・マップで現在地を推測する事が出来るでしょう。絵地図の川は殆どが埋め立てられています、従って橋も痕跡が推測できるだけになっています。因み絵図中、新御宿かわせみの主人公・麻太郎の務めるバーンズ診療所の前を流れていた鉄砲洲川は現在埋め立てられて鉄砲洲通りとなっています。

@印築地居領地16番が主人公、イギリス帰りの医師、麻太郎の働くバーンズ診療所。鉄砲洲川(現・鉄砲洲通)に面していたと思われます。”花世の立春・明石橋の殺人”P17、同作品中P35に上記地図右端のD明石橋が出てきます。

A地図左上の”ヘーレン屋敷”・居留地31番と32番。かっては村上藩下屋敷であった場所です。新御宿かわせみ3・”花世の立春”中の”俥宿の女房”文庫版P42で源太郎がヘーレン屋敷北側(左側)の通りで麻太郎を待っています。オリジナルの絵地図にも赤い文字で”ヘーレン”と記入されています。

Bヘーレン家右隣のスミス(地図記載の名前とは異なる)・新御宿かわせみ”築地居留地の事件・P30”

CA六番館女学校・居留地6番・花世はやがて教師になる。新御宿かわせみ”花世の立春”・明石橋の殺人P20。物語の中で花世がしばしば麻太郎と出会う理由が分かりました。作中の所在地・学校名を含めて実在した女学校のようです。P31 花世がA6番館女学校のジュリア・カロザス先生の生徒で近ごろ助手の仕事。済側添いの道に面して建っている。

D明石橋(俗名・寒さ橋):新御宿かわせみ”江梨香という女・P236 ”・麻太郎がが江梨香に声を掛けられ居留地16番のバーンズ診療所まで歩く様子を花世に見咎められる。

  2月下旬、体が運ばれそうな強風の中での毎週恒例の土手のジョギングの翌日、近くの歯医者さんへの帰路太腿が痙攣してしまいました。それがきっかけで膝と腰までが痛くなりその症状が中々収まりません。今まで経験した事が無い出来事で整形外科のお世話になりました。それでも無理は出来ず1週間程は薬を飲みながらジョギングを取止めていると歩く事には大きな支障が出なくなりました。近所をテストで歩いても問題は無さそうなので、毎春恒例の中山道から海までジョギングの下調べを兼ねて築地に出かけてみる事にしました。

 

築地には江戸幕府開港の折の外国人居留地の有った街、加えて私の好みの”御宿かわせみ”の舞台にもなっている場所で以前かから気になっていました。”御宿かわせみ”の物語を胸に浮かべながら築地居留地を尋ね歩けば物語の感動が更に増す事は間違いないと確信して、この機会に散策してみる事にしました。出発は築地の本願寺築地場外のお寿司屋さんで昼食をとり居留地中央通りに残る記念碑を辿りながら”かわせみ”の舞台であろうと素人の知識で推測した隅田川の川岸にある新川跡までの道を歩いてみました。物語の場所を探しながらの日比谷線・茅場町駅まで約6km程の楽しい散策でした。

居留地中央通りは、聖路加病院が大きなスペースを占めて居る事もあってか観光客で込み合う築地場外とは異質の静かで品のある古い東京の街の風景が広がっていました。行き交う人も殆ど見られない静かな通りの散策を存分に楽しむ事が出来ました。

この地は”御宿かわせみ”の中でもの表題が付いたおるいさんと東吾の次の世代の麻太郎や源太郎が主人公となる物語の地になります。隅田川を上流に辿る程に江戸の物語の舞台の地に向かう事になります。参考に写真撮影時の時間を表記してあります。

 

芥川龍之介生誕の地

12:45・住所:中央区明石町1−25。聖路加国際大学脇の居留地通りに静かに案内板が立っていました。

案内板の文字を楽しく読ませてもらいました。芥川龍之介が牧場で生まれたとは初めて知りました。

2024.03.18

人通りが疎らな静かな東京の町の中の通りにさり気なく立つ案内板です。案内板の向こうは海苔屋さんです。通りを渡りその店の前から案内板を写しました。

2024.03.18

トイスラー記念館
12:49:住所・中央区明石町10。芥川龍之介生誕の地の立つ聖路加国際大学の敷地内には立教女学院発祥の地やアメリカ公使館跡の記念碑等の居留地に関する記念碑が見られます。聖路加国際病院の創設者であるトレイスラーの記念館もその一つです。

2024.03.18

トイスラー記念館に向かって右側に設置されているトレイスラー記念碑の右側文章部分を拡大しました。

2024.03.18

辺りに大きなビルが立ち並ぶ一帯、そんな尖った風景を和らげるようにトレイスラー記念館が緑の木立の中に見えます。

緑の多い周りの景色に溶け込んむように何処か洋風の印象が感じられるこじんまりした建物が建っています。

2024.03.18

トライスラー記念館前の説明版を2分割して掲載しました。

2024.03.18

2024.03.18
アメリカ公使館跡
12:53・住所:中央区明石町10−1。トイスラー記念館に向かって左にはアメリカ公使館跡の記念の石板が飾られています。

2024.09.25

アメリカの国鳥・ハクトウワシと思われる鳥が彫り込まれた石板が見られます。

 

2024.09.25

説明版を写しましたが識別できるほどはっきり写す事ができませんでした。

 

2024.09.25

デザイン化されたのではないかと思われる星条旗が彫られた石板が見えます。このデザインを以前見たような記憶がありますが確かではありません。

 

2024.09.25

カトリック築地教会 

12:57(撮影時間)・住所:中央区明石町5−26。・居留地中央通りを再度北にすすんで少し前に訪れた築地外人居留地案内板のある交差点に戻ってきました。道路の反対側にカソリック築地教会の建物が目に入りました。交差点を渡ってみました。
2024.03.18

交差点の角に建つカトリック築地教会の北側に隣接して”カトリック築地教会聖堂”が見えます。

2024.03.18

入り口に建つ案内板を写してみました。絵地図の築地外国人居留地35番と36番に聖堂が献堂されたとの説明が見られます。絵地図のその位置にカソリック教会の文字を記載したました。この説明版でこの通りが現在の居留地中央通りで有る事が確認できました。

2024.03.18

 

聖堂は36番にあります。

2024.03.18

歴史を感じさせてくれる石組の入り口。入り口から聖堂と鐘がみえます。中に入らせてもらう事にしました。

教会の内部に入るのはこれで2回目になります。神社の参拝には馴染んでいますが、教会はこれが2回目になります。一回目の英国での教会は昔しばしば尋ねた英国ラドロー市内の美しい尖塔をもつパリッシュ教会でした。扉を叩いて仏教徒だが中に入っても良いかと尋ねると、躊躇なく優し気な態度でどうぞと招じ入れてくれました。その記憶があるので今回もそれほど躊躇することなく聖堂に進んでみました。

2024.03.18

聖堂の門を入ると右側に”江戸のジャンヌ・ルイーズ”と名づけられた大きな釣り鐘が置かれていました。歴史と風格を感じさせる大きな鐘です。

2024.03.18

 

鐘の横にある説明版には、明治9年(1876年)フランス・レンヌで鋳造された鐘でその後日本に送られたと書かれています。

2024.03.18

美しい聖堂の佇まいから私もてっきり石作りの建物と思っていましたが説明によれば木造モルタル造りとの事、未だ江戸の職人の腕が残っていたとしみじみと良い建物だと見惚れてしまいました。

2024.03.18

聖堂入口の”聖ペトロ像”の説明が教会歴史コーナー入口の案内板に書かれていました。画像からははっきり判読できませんので概略だけを書き出してみました。

このペトロ像は明治11年(1878年)献堂された天主堂に聖ヨハネ・聖ヨセフ・聖パウロの三像と共に納められていたところ、大正13年(1923年)の関東大震災で堂が焼失。このペトロ像だけが残ったとの事です。

 

2024.03.18

天主堂の中に入って手を合わせ祈らせてもらいました。説明に見られる美しい柱が見られます。右側の小部屋の教会歴史コーナーに進んでみました。

2024.03.18

歴史コーナーと名付けられた小部屋では興味深い歴史的な遺物を見る事が出来ました。殆どが江戸時代のキリスト教徒迫害の印かと思れます。

2024.03.18

踏み絵のレプリカ、初めて踏み絵の形状を見る事が出来ました。多分色々な形があったのではないかと思われます。

2024.03.18

高さ50cm程の子安観音像を装ったマリア観音像、頭の後ろに十字架が彫られているとの事です。

2024.03.18

マリア館の海野説明です。

2024.03.18

切支丹訴人の懸賞を知らせる高札。

2024.03.18

高札の説明文を読むとかなり高額の報奨金が充てられていた様子が分かります。江戸幕府が異教徒を大いに恐れた状況が理解できます。

2024.03.18

居留地中央通り

カソリック教会の鈴かな天主堂での祈りと興味深い歴史コーナーの見学を存分に楽しむ事が出来ました。居留地中央通りに出てこれからおるいさんや東吾が活躍する”御宿かわせみ”の場所と推測される街に向かうことにします。

2024.03.18

居留地中央通りの両側には相変わらず静かな街並みが続きます。

2024.03.18

473号・新富晴海線に出ました。右に向かうと佃大橋になります。道路横切る陸橋の上から佃大橋とは反対方向の新富町・西銀座方向を写しました。

足の調子を見ながらここまで進んできましたが不都合を感じませんので、これから御宿かわせみの舞台となったかっての大川端町に進みます。

2024.03.18

”新御宿かわせみ”の舞台を歩きながら物語の世界がよりリアルな姿で胸に浮かんできました。麻太郎、源太郎、花世に千春達が活き活きと通りを行き交う姿が目に浮かぶようです。

これから向かうおるいさんが活躍する大川端の街でも同じ楽しさが味わえるに違いないと確信しています。

2024.09.25

 

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築地居留地中央通から隅田川A
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