村の友からの誘い

県境の村に移住した友人が広い敷地の一部を自由に使わせてくれます。その代価は草刈と庭の手入れ。そこに街では植えることの出来ない大きな木や花を気の向くままに植えています。村からと言うのはそこでの見聞をお知らせしています。

街ではウサギ小屋の住人です。友のお陰で村に行けば庭を得ることができます。村の生活の面倒を持たない気軽な身です。しがらみの無い街の人間の目と生き方で村の生活が楽しめます。街に帰っての生活は村の日々との一つながりの生活となります。ウサギ小屋の中に村の花が咲き持ち帰った山の幸が生活の一体感を高めるのです。今日も街から村の草花を思っています。村と街の二つを行きつ戻りつ、違和感無く二つの生活を一つにまとめることが出来るようになっています。まずは村からの便りを先に進行させてだきます。県境からは南に行っても北に行っても時間は違いません。ただ、那須は観光客の町でメイン・ストリートは一時の清里状態です。静かな良い場所ももちろん有りますが、私の好みは北に向かえと言っています。歴史の重みと言う点からも福島県南の町は興味深いものがあります。どうしても食事も安いし静かな方をご紹介する機会が多くなります。

此処で使っている村と言う言葉は具体的な場所ではなく、街と対照的なという意味で使用しています。住む人が少なく互いがどこの誰かをかなり知ってる。 無償で人の世話をやきたがる人々が住み(あからさまな善意ばかりと言っているのではありませんが)、訪れる人の目で汚れていない場所を意味しています。少し具体的に言えば山がある町と言えます。

仕事をし寝起きをする街、そこですごす時間が今までの私の生活のほとんどでした。転機の始まりは突然訪れました。数年前中学時代の親友が広い土地と自然に惹かれてこの県境の村に移住した頃から話ははじまります。

友人も、住み始めた頃にはこの広い土地が悩みの種になるとは思っていなかったようです。共にウサギ小屋の住人であるだけに広い土地そして青空、よだれが出るほど魅惑に満ちた言葉です。ところが一夏を越すころには、そこでの生活のほとんどが住居エリアにも押し寄せてくる雑草との生活境界線を争う戦争となったのです。仕事を持つ身では戦いに供する十分な時間がありません。そして最大の弱点は地元の農家の人々の根気と技術が足りません。一時、草刈をシルバー人材センターに依頼しましたが、それも度重なると費用もかなりのものとなります。負担は面積に比例する事ですから。

それで私に話が来たわけです。土地は自由に使用してよいから庭の管理と草刈をお願いしたい。私には喉から手が出る程の申し出でした。訪れる時には、菓子折り一つです。それだけで大きな顔をして広い土地を我が物のごとく手に入れることが出来たからです。忙しい彼はすべてを私の自由にさせてくれました。小さな彼の庭の手入れと私が支配者となったそれより広めの土地の手入れ、これが菓子折り一つで手に入ったわけです。持つべきは太っ腹の親友です。

友達にしても、近所付き合いという馴染みのない苦労があります。更に、よそ者という目がどこかからうかがっているようなストレスもあるようです。葬儀には夫婦で一週間もその家の手伝いに通うという話。街の人間には分かっていなかった事が多かったと、環境の素晴らしさだけに目を奪われて移住を決めた浅はかさを悔いているようでもありました。訪れる私との話は大きな慰めになっているようです。心を開いて愚痴を聞いています。それでも大根が根を張るごとく日々にこの地に根を下ろしていく感じはしています。移住していない私にはそれらの気苦労は皆無です。申し訳ないようです。

愛用のカメラです。これで殆どの写真を三脚なしで撮影しています。ピントのぼけた写真が多いのは技量の未熟と機材の不足によります。那須山で倒してレンズを割ってしまい、これは2代目です。思い出の詰まった一代目が大変良かったので、同じカメラの現在のモデルを買いました。

 

ここは栃木と福島の県境、山に近く海もけっして遠くなく、温泉はよりどりみどり。私も彼も仕事をしていますので、余暇に訪れるだけですからそれほど訪問先は多くありません。近所の人々の情報に頼って訪れては、よそ者の

厳しい目でチェックを入れています。温泉は掛け流しでなくては、沸かし湯はいけないとか硫黄の匂いも強くない方が良いとか(体に効いた感じが強い硫黄臭も懐かしく、時には訪れますが)・・贅沢になるばかりです。話に出てくる温泉は街に住む人の基準に合わせて選んでいるつもりです。何時でも温泉を訪れることができるこの村の人々は以外と掛け流しや沸かし湯等にはこだわらないことを発見しました。日帰り入浴の部屋とか食事とかが判断の基準のようです。栃木と福島の県境どちらにもいけるのですが、北に行くほどのんびりしています。混雑を避け心に湿り気を与えるためにはどうしても北に向かうことが多くなります。歴史の物語を辿るにも、北に多く手がかりが残っています。写真は矢吹町のあゆり温泉の露天風呂です。

村を回ればそこにあるのは自然であり木であり花であります。川であり海であり山であります。街を車で走れば、路地であり人々の生活であり、そこに生きる人々に馴染まれた商店であります。そのような場所に立って感じる街の香り、私にはどこも少しだけ違う気がしています。街でのそして村でのそれぞれの感動を書いてみたいと思っています。今だ時間にゆとりがありませんので、殆どが仕事の途中の素通りに近い滞在です。それでも感じようと思えば、心を動かす対象があれば、仕事の合間のちょっとの時間でも十分だと思っています。そのようなわけで、記録としては正確性に難点がありますので、その点を割り引いてご高覧下さい。

よろしければご感想をお聞かせ下さい
03/21/2015