裏の通りにまで枝を伸ばしている桜、人の目に慣れていない桜。藤沢周平の多くの短編の中でも好きな話の一つ“山桜”の一編を思い出してしまいました。
物語では寺からの帰路遠くに見える桜の枝を折ろうとあられもない格好をしている主人公。“浦井の野江どのですな”と手塚弥一郎に声をかけられる場面があります。
遠くから見て手が届くと思った桜の枝がはるか高い所にあるのです。枝を手折ってくれた弥一郎は聞くのです”今は幸せか”と。二度の恵まれない結婚の末に、心から案じてくれていた弥一郎の真心にすがって桜を持って家を訪ねるくだり、桃色の桜が物語に大きな彩りを与えてくれています。
その家は藤沢作品ではお馴染みの五間川を渡った禰宜町にあります。ちなみに”山桜”は新潮文庫の”時雨みち”に収録されています(愛読者の方々には蛇足ながら)。
日陰の桜を見て物語を思い出し、私は二重の喜びを与えられたようです。この街の寒桜はカンザクラとオオシマザクラの交配種だとの事です。カンザクラは今が満開の季節を迎えたようです。あちらこちらで濃いピンクの花が空を塞いでいます。そこに住む人々が見るでもなく当たり前の顔でその下を潜り抜けていきます。私には好ましい風景です。何気なく街の中に溶け込んでいるカンザクラが今年の花見の幕開けです。仕事の合間のわずかに時間にカンザクラとムラサキ・ゲンカイ・ツツジと云う横綱クラスの春の花を見ることが出来たのは何と云う幸運でしょう。
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