堀切菖蒲園

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(スライド写真は合計5種類です)

久しぶりに日比谷で映画を見る機会が出来たので、散歩がてら今が満開の堀切菖蒲園に立ち寄って見ることにしました。個人的には混雑する公園は余り好みではありません。撮影する時に他の見物の人々の邪魔にならないかとそればかりが気になって落ち着きません。今回は初めての場所ですし、今が盛りでもあるので大混雑が予想されます、困ったと思ったのです。でも昭和が残っている街が見られるかもしれないと言う事で出掛けてみました。早目に出掛けたお陰で、写真撮影も人の居ない場所を探してはさっと終わらせる事が出来ました。私の技術ではゆっくりカメラを構えても大して効果があるわけでもないのでそれはそれで十分なのです。やはり満開の花の公園での撮影は気疲れしてしまいました。だんだん混雑してきたので一回りしてさっさと外に出て駅までの街の散歩を楽しみました。

私の好みから言って、商店の人々が懸命に頑張っている姿が見られる堀切菖蒲園駅までの街はやはりとても楽しい散歩になりました。京成の堀切菖蒲園駅は京成上野駅から6つ目・距離は8.8キロ、運賃は¥180、荒川の長い鉄橋を渡ると直ぐです。駅からはピンクの派手な看板が沢山出ていますので間違うことはありません。昭和の雰囲気が残る商店街を歩いて荒川方向に向かって15分ほどでしょうか。例年6月中旬が見頃です。

住所:葛飾区堀切2-19-1 公園管理事務所電話:03−3697−5237 休園日:年末年始 入園無料

開園時間: AM9〜PM16:30(6月は開園時間が延長される)2008.06.16

面積約7,700uに約200種、6,000株の菖蒲が植えられていると説明にありますが、私にはもう沢山と言う程の密集度でした。 江戸時代には多くの人々が訪れる菖蒲の名所だったそうです。そのような事から広重の版画にも描かれています。私が気に入ったのは街の中にあって、地元の人々が協力して守っている温かみを感じた事にあります。前にはマンションが建っています、定番の布団干しが見えます。

入園料が無料なのも気持が良いものです。花の美しさと利潤を求める事の違和感を感じずに済みます、目にする多くが善意です(管理の費用が必要なのは重々承知なのですが・・・・、感謝の気持ちが湧いてきてそれが心地良くさせてくれるのでしょうか)。無料だからといって隅々まで手入れが行き届いていて弛緩した印象がありません。大層な沢山の松も、大きな池も滝もありませんが、人の手の愛情が狭い園内だけにふんだんに込められている印象を持ちました。番号がマウス・ポイントされると画像が変わります。

菖蒲、あやめ、カキツバタの違いが分からないのは私だけではないようです。菖蒲園に親切な説明版がありました。菖蒲園で貰えるパンフレットから抜粋しました
私には大変珍しい色の菖蒲です。花が黄色で葉っぱも少し黄色がかっています。名札には”愛知の輝”と書かれていました。
堀切と花菖蒲:伝承によれば、堀切における花菖蒲の栽培は室町時代にさかのぽります。江戸末期には江戸種と呼ばれる花菖蒲発祥の地として多くの浮世絵に描かれ、紀行文にも登場する新名所となりました。明治維新とともに欧米に輸出された花菖蒲は、日本の花として世界の人々を魅了しました。明治末期には小高・武蔵・堀切・観花園・四ツ木吉野園が並び立つ全盛期を迎えます。昭和期に入ると都市化と戦時下の影響で相次いで閉園を余儀な<されました。第2次世界大戦後、唯一復興を果たした堀切園は昭和35年東京都の公園、昭和50年以降は葛飾区立堀切菖蒲園として江戸の面影を今に伝えています。菖蒲園の入り口で販売していた¥500の葛飾区郷土と天文の博物館・ポストカードの説明から抜粋。お土産としては菖蒲園の歴史的な成り立ちを理解できて大変嬉しいものでした。 黄色のヘメロカリスが園内の一角に植えられていました。村の庭のオレンジのヘメロカリスはどうしているだろうかと、主の居ない庭を思い出してしまいました。何故か何時も白い虫が一杯にたかるので消毒が欠かせません。
堀切菖蒲園までの道
京成堀切菖蒲園駅です。左に向かうと日暮里・上野方面になります。 目に入らないわけにはいかない程派手なピンクの目印です。ありがたい事に、目が悪くてもこれなら分かります。町の美観より、訪れる人には分かりやすさが一番です。格好より実を重んじるこの街に好感を感じます。

一年中ピンクの看板ではないのですから。6月だけのお祭りです。下町の猥雑な雰囲気がとても懐かしく感じます。

直進すると葛飾菖蒲園駅に向かいます。手前が堀切菖蒲園です。この少し手前に天祖神社の菖蒲七福神があります。
天祖神社の菖蒲七福神
菖蒲園に向かう途中に真新しい七福神の石造が並んでいます。菖蒲七福神と呼ぶようです。一度に七福神参りが出来るという事です。 堀切十二子神と言う十二子の石造が別の角に立っています。その形が非常に現代的でリアルなフォルムなのです。何れ人気を呼ぶかもしれません。
天祖神社の摂社として、大正12年に鎮座した毛無池弁天社としてこの地の氏子に敬われていたと石碑に書かれていました。弁天に併せて他の6神を祭ったと言うことのようです。 平成6年6月建立と記されているので真新しいのも無理ありません。この神社のやる気を感じさせるものです。
6/21/2008
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