湯島聖堂@(湯島聖堂Aへ)
神田明神と通りを隔てたこの建物の美しい壁が何時も気になっていました。御茶ノ水駅は馴染みの場所ですが、駅前のこの建物が何だったかは長い間分かりませんでした。御茶ノ水駅はここから50メートルほど先の信号を左折します、左折したら左に聖堂の入り口・直ぐ駅前の信号です。それを過ぎて下り坂になる左カーブの(すぐ右に曲がる危険な個所です)道の30メートル程先、ニコライ堂の角を右折するために注意しないとなりません(今は曲がれなくなりました)。その為、この建物の入り口を見ている余裕はありません。左側にはタクシーの列、右折は信号がないので、外堀通り方向のカーブから出てくる対向車に細心の注意が必要です。ここを通る方には状況がご理解いただけると思いますが。尚この湯島聖堂の先は本郷通り方面になります。

神田明神を見た帰りに、たまたま看板が出ていて湯島聖堂だと分かった次第です。この坂道の壁は非常に美しいですね。中はまるで森のようです。時間が無いので裏口だけの観察です。まことにしまりのない話ですがお許し下さい。いづれ表から入って中をじっくり見てみたいと思います。それは何度か繰り返し読んだ、藤沢周平の長編”市塵”に大いに関連する場所だと分かったからです。登場する場所に立つことで物語のイメージは立体的に膨らんで来て、小説を読む楽しみが更に増します。

余談ですが、数日前からNHKで放送された”居眠り磐音・江戸草子”を読み出してみました。字が大きくて読みやすいので仕事の休み・電車の中で読んでもかなり先に進みます。今日2巻にあたる”寒雷の坂”の終わりの第5章・蒼月富士見坂に掛かりました。主人公が殺された同志の婚約者と会って敵討ちを誓う場所がなんと神田明神でした。ウエッブに掲載したばかりの馴染みの場所でしたので(この湯島聖堂の向かい)直ぐイメージが浮かんでその部分を読んでいて心が躍る気分になりました。安い単行本でこんな経験ができるなんて、うんと得した気分です。

湯島聖堂の元は1690年上野に林羅山がたてた孔子廟、それを五代将軍・犬公方として記憶に残る将軍徳川綱吉が移築・改築したものだそうです。あわせて林家の学問所がこの湯島聖堂に移ったとの事です。”市塵”は新井白石が間部詮房と共に六代将軍・家宣を助けて綱吉の政治を変革していていく物語です。前政権との葛藤は話の中心の一つです。綱吉とそれを支えた林大学、対する白石との激しい争いは”市塵”の中で何度か語られています。それで詳細に見てみたいと思ったのです。

なんとも不謹慎な話ですが湯島聖堂裏門横にあるこの公衆トイレ(下の写真)は何度か利用させてもらいました。随分落ち着いた壁の建物だとは思っていましたが。ここは中山道でも車が止められる数少ない場所です。タクシーが数台止まっているのを良く見受けられます。尚この裏門は左下案内図写真・下端部の赤い四角の印の場所です。2007.11.07

11/29/2007
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