一年前の春、ほぼ花が終わっていたヒゴスミレを行きつけの植え木の町の山野草専門店で見つけて買い込みました。薄桃色の大きな花弁に惹かれ、翌年の春の楽しみを一つ見つけたような気分でした。浮き立つようだったその時の春の気配は一変しています。この大災害は気配もなくこの村の幾つかの家を倒壊させ、顔なじみになった人々は今も大きな余震に怯えています。この花を植えた時とは私の心持も一変しています、どこか虚ろです。
災害の気配の濃い村でも春が来ればヒゴスミレは可憐な花を一杯に咲かせるのです。沈んだ辺りの気配、お構いなしに華やかに咲く花の姿は残酷な気もします。それでも私は花の清楚な美に引き込まれて見たいと思います。少しは救われるかもしれません。
エイザンスミレのように大型の花はスミレらしくないのですが、華やかな美しさのお陰で辺りは春の気配に満ちています。薄い桃色もおしつけがましくなく心地良い色合いです(咲き始めはもっと桃色がはっきりしています)。冬の雪に耐えられるかと案じた心細げな一輪のヒゴスミレは種をちらしてコロニーを作りつつあるようです。雑草と競うように花弁を広げる姿にたくましささえ感じてしまいます。2011.04.25