里山のふもとには植林された杉の林が広がっています。残念ながら人間が植えた杉林の中は静寂が支配する一帯です。昆虫も棲まず鳥も飛んでくることはありません。緑の杉の葉が空を覆う単層の世界が広がっています。那須の水害の折りには、余りにももろくこれらの自然は破壊されてしまいました。この山道を、大量の山崩れを起こした土砂が流れ下りました。この杉林を抜けると青空が見渡せる自然の森があります。そこに立つとそそり立つ杉に圧迫されていた心の緊張がとれてきます。
日の差すことのまれな杉林もシイタケ栽培には最適の地です。ここは水源地の沢が横を流れているので更に適地なのでしょうか。山道の左にある林の中には、林の持ち主の2,000本以上と思われるシイタケの原木が置かれています。その一角に間借りしている60本程のこの原木は知り合いのものですが、今では私の物のようなものです。空耳かもしれませんが、あげるといった気がしてもいます。どちらにしても、気前の良い友達は取りにも来ませんから春の収穫期になればごっそりシイタケをいただいています。かなりの年月、新しいシイタケ菌を注入していないで他の人のシイタケに比べると、取れる数が少ないような気がしています。時にはこの左側に置かれた2、000本以上の原木からちょっといただいています。この林の持ち主の方とも交誼を絶やさないようにしているので、取っても良いと言われています。村の暮らしの贅沢をこのような時に強く実感します。繋がりを大切に保つことで成り立っている村の暮らしから与えられる恵みと喜び、大切にしなければと気を引き締めています。性根を値踏みされているような気がしないでもありません。こう思うのは、あけっぴろげな親切心に接することがまれな街で暮らす者の心の貧しさ故かもしれません(勿論、それも私固有のですが)。2007.12.10