白河市の狛犬を訪ねてbRの@・白河市の狛犬
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↑上の写真が白河近辺の狛犬ではしばしば目にする白河市横町の彫刻師・野田平業の都々古和気神社の狛犬。1928年・ 昭和3年・ 野田平業、30歳の作品です。

この地の石工達の卓抜な技術と造形が生み出す石像群に圧倒されてしまいました。そしてその時の大きな感動がいつまでも残りました。野に立つ石像は長年の風雪にさらされ、石工たちが腕をふるった彫り跡が掠れてきています、追い打ちを掛けるように今回の大震災で多くが打倒されました。神々への感謝の気持ちを、普通の人々の寄進によって形にしたこれらの石像のそれが運命だったのでしょう。そこに暮らす人々が守ってきた鎮守様であったからこそ石工達のこのような創作が許されたとも言えるかもしれません。野にある石像郡のエネルギーに圧倒された旅でした。 2015.07.27

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白河市の石工   白河市狛犬データ・ベー・ス年代別一覧表
白河市の狛犬・掲載リスト(同名神社が複数あります) 改定 05/05/2019
都都古和気山神社 春日神社 鹿島神社@ 白河神社 角折神社
厳島神社 熊野神社 神宮寺 五龍地神社 社八幡神社
南湖神社 聯芳寺 坂本観音 諏訪神社 羽黒神社
境の明神 鹿島神社 近津神社(ちかず) 角折神社(つのおり) 羽黒神社
八幡神社 金毘羅神社 都々古和気(つつこわけ)神社 角折神社 国津神社
矢越神社 庭渡神社 桜と狛犬・南湖神社聯芳寺 白河天神 杜八幡神社
八雲神社 三柱神社 白山姫神社 妙関寺 八竜神神社
グーグル・マップ訪問地点明細(地図のポイント表示マークは色分けされています)
  各回のホーム・ページ見出し名一覧 実施期間
第1回 @関の城下町 A小峰城と金毘羅神社 B借宿・羽黒神社 2015.6.29〜30
第2回 @中島村周辺 B白河の関周辺 B浅川町周辺 2015.7.13〜14
第3回 @西郷村~白河市 A国津神社・羽黒神社 B鐘鋳神社と貫秀寺

2015.7.27~28

第4回 @白河市大信 A白河市近津神社他 B二つの角折神社

2015.8.17〜18

第5回 @西郷村4つの社 A石川町八幡神社他 B小松布孝と小林和平 2015.9.7〜8
第6回 @西郷村から白河市 A白河大信から天栄村 B浅川町 C棚倉町 2015.9.28〜9
白河市・諏訪神社

朝9時30分、白河農協の直売所・り菜庵で買い物をしました。農協直売所での買い物が県境の村を訪れる大きな楽しみの一つなのです。

駐車場でカーナビに入れた諏訪神社の住所は福島県白河市飯沢268番。これで新幹線の高架下に到着すると思います。高架の下に車を止めるとすぐ目の前に狛犬が置かれています。

1度目はカーナビが新幹線のガード下で目的地を告げたので引き返してしましました。2度目でやっと見つけました。草刈りがされていた事と、下調べで新幹線の際にある事が分かっていたので何とか見つける事が出来ました。

福島県のHPでの説明では白河市横町の野田平業の初期の狛犬があると書かれていました。筆者注・狛犬には銘が見つけられませんでしたが、この説明はほぼ正しいと思われます。野田平業と野田豊吉は同一人物で、籠彫りの玉が添えられた狛犬に野田平業と銘を付けるのではないかと推定されます。従ってこの狛犬は野田豊吉銘の42歳の作品と推定出来ます。白河の石工・野田平業に付いてを参照ください。

場所の意外性に度肝を抜かれます。当然神社が先で新幹線が後から出来たと思うですが、良い神社でした。二の鳥居までそなえた山の斜面を少し登る気持ちの良い神社でした。写真左上に東北新幹線の高架が見えます。車は高架の下に止める事が出来ます。目の前が一の鳥居の前になります。2015.07.27

諏訪神社の狛犬・昭和15年(1940年)・野田豊吉銘の42歳の作品
阿像、かなり猛々しい印象を受けました。昭和15年(1940年)の文字が彫られていますが、野田平業の名前が見つけられませんでした。白河ではしばしば目にする人で”彫刻師”と彫り込む事が多いように思います。十分迫力と躍動感のある狛犬に見えました。

都々古和気神社の狛犬はこれより古く昭和3年、籠彫と呼ばれる網目状の手の込んだ玉です。更に鹿島神社の狛犬などと比較すると玉が唯の丸です。これについては、例え腕の良い石工側では如何ともしがたい依頼側の経済的な限度が原因しているかもしれません。

吽像、子供が2頭彫られています。 

目の上にイナゴが止まって動きません。厳しい暑さで気力も無くなったのでしょうか。目の上のタンコブならぬ目の上のイナゴです。20015.07.27

   
石段を登り出すと二の鳥居が現れ道は右に曲がって更に登りが続きます。 2番目の石段の途中に山百合が咲いていました。草刈りをした氏子の方が此処だけ残したようです。その心づかいは嬉しい事です。

二の鳥居まで下りてくると東北新幹線の北方向にトンネルが見えました。鳥居とトンネルを同時に撮影しようとカメラを構えると、黒い穴から突然新幹線が東京駅を目指してすっと通り過ぎて行きました。何とか撮影が叶ってラッキーでした。撮り鉄の人でも此処は知らないだろうなと一人で満足しています。今日は暑い一日です、参道を登って大汗を描きました。2015.07.27

福島県西郷村永倉神社  2回目
 
カーナビに入れる住所は西白河郡西郷村長坂長坂36。長坂が二つ入るのが正しいようです。一つだと阿武隈川右岸の集落になります。

スライド 西郷村の狛犬をスライドでご覧になれます。画面下のボタンを押す事でスピード、BGM等が任意に変更・設定できます。

白河IC方向から来た場合、長坂集落の手前に溜池があります、そこを過ぎて集落に入って行く道が90度に曲がる角に永倉神社はあります。車は邪魔にならないようにして道路脇に止める以外ないようです。

集落の人々の暮らしの中にある神域です。そこは人々の暮らし・風情等が目にする事が出来る事から、私の大好きな神社の有りようなのです。

1200年の歴史を持つ古い神社のようです。氏子の人々が奉納した三対の狛犬を見る事が出来ました。 2015.07.27

 

野田豊吉(野田平業の本名)狛犬・昭和17年(1942年)・44歳の作品

入口の鳥居の後ろに置かれた阿像、石工・野田豊吉(野田平業本名)の銘が刻まれています。奉納されたのは昭和17年(1942年)のようです。

すぐ近くにある、ページ上段の、諏訪神社の狛犬に似ているように見えます。表情には神社の守り神に値する力を感じます。

子供の狛犬が2頭彫り込まれています。昭和17年に奉納されているようです。大東亞戦争記念の文字が見えます。吽像の表情も良く出ているように見えます。2015.07.27

白河の石工・野田平業に付いてを参照ください。

 
人家の間を10m程進むと参道は右に曲がります。左には竹林、参道の竹の落ち葉がふわふわして心地良いです。更に石段を登り二の鳥居をくぐります。石段の手前に狛犬が奉納されています。

永倉神社石段下の狛犬・大正13年(1924年) 野田平業26歳作品

石段下の阿像です。入口の狛犬より一回り大きく見えます。神社入り口に置かれた丸みを帯びた柔らかな印象の狛犬に比べて、より直線的な威厳のある姿を感じました。

台座にかすかに大正四年(はっきりしませんが)と読める年号が見られるように思うのですが、神社入り口にある野田豊吉の昭和16年作狛犬より古いと言う事なのですが、この狛犬の方が新しい感じがします。全体が木々で覆われていたことから、風雪を防げたのかもしれません。足に抱えた玉には模様が彫られています。

 
足下に2匹の子供を抱えた吽像。彫は甘くは無いように見えます。堂々として重量感のある狛犬に見えます。阿吽像の周りを見ましたが私には石工の名前を見つける事が出来ませんでした。 2015.07.27

石工について:この写真を撮った2015年の折は台座の文字をちゃんと見なかったかもしれません。かなりの数を見てきた現在では野田平業の狛犬ではないかと推測しています(玉の彫が籠彫りでないのは平業らしくないのですが)。扁平な顔の意匠などは平業の大正時代の作品の特徴がみて取れます。

年号については”大正4(?)年”らしく、年号と”伊勢参拝記(”念”は苔に隠れているかもしれません)”が見えます。年号が”四”ではなく”丑”とすると大正14年(1925年)になり、野田平業の他の作品類とのつじつまがあいそうです。一応大正4年(1915年)と記載しました。思い違いがもしれませんので、機会を見つけて不明な点を確認をしたいと思います。

2019年4月24日、気になっていたので再度確認に出かけました。台座に”彫刻師 白河之住 野田平業作”と”大正13年 12月之建”の文字を台座に確認しました。左の年号の画像は取り違えた可能性が考えられます、1924年の平業の狛犬でした。

 

二の鳥居の右手に稲荷神社がありました。細やかなお願いごとが籠った雑多なお供え物を見ると微笑ましくなります。

巻物らしきものを咥えた狐が一対、昭和58年2月・石工 今井”登”と彫られているように見えますが登がはっきり見えません。

永倉神社・もう一つの狛犬

参道入口の鳥居下の狛犬を過ぎると右に曲がります。そこに一対の狛犬が置かれています。鑑賞眼の乏しい私が見てもちょっと甘い彫に見えてしまいます。昭和36年2月・伊勢参拝記念と彫られているのが製作年代かもしれません。台座に彫られた”坂上清勝”と言う人が彫ったのでしょうか。当時東海道新幹線が開通していないこの地からの伊勢参りは、多分かなりの行事だったのでしょう、記念の狛犬を奉納する人々の光景が目に浮かんできます。阿吽像の位置が一般的な配置と左右が逆になっているようです。平成30年4月23日、名前の確認の為に再度訪れました。製造年号も昭和36年(1961年)と確認できました。

2015.07.27

白河市・野村屋のキャンデイーを買う

11:35:二つの神社を回って大汗をかいてしまったので途中白河市内で野村屋のアズキ・アイスを買いました。美味しいこの町の味がします。固くてしばらく置かないと食べられません。

12:21:前回も通った道で見た灌漑用の沼が右に見えてきました。細い道に車を入れて景色を楽しみました。小さなスイレンが咲いていました。

白河市・八幡神社
カーナビに入れる住所: 福島県白河市関辺大久保1。車のすれ違いが難しいような細い道を奥へと進んで行くと集会所が左にあって右手の山の上に目的の神社がありました。
 
八幡神社の野田豊吉銘狛犬・大正5年(1916年)18歳の作品

阿像の位置に置かれた狛犬ですが、子供を足下に納めた吽行に見えます。白河市では阿吽の位置が逆の場合があるようです。

少し立った姿勢、中々姿の美しい狛犬です。

この狛犬は野田豊吉(野田平業)の最も古い狛犬と推定されます。驚くことに弱冠18歳の作品ではないかと思われます。

白河の石工・野田平業に付いてを参照ください。2015.07.27

 
吽像の位置にある狛犬ですが玉を足下に納めた阿像のようです。彫は力強いような印象を受けます。中々美しい狛犬に思えます。台座の半分ほどまで彫が施されていて丁寧な仕事だと思われます。 2015.07.27
左・吽行の位置に置かれた阿像の台座には”彫刻師 白河横町”と彫られています。白河市横町在の野田業平が同じく”彫刻師”と彫っている狛犬が都々古和気神社(昭和3年)鹿島神社(昭和4年)にあります。

右・吽行の位置にある阿像の台座には”野田豊吉”と彫っています。この名前は,今朝、訪れたばかりの西郷村の永倉神社の狛犬にも彫られています。野田業平の別称なのでしょうか、それとも別人なのか不思議です。因みにこの狛犬は大正5年(1916年)に奉納されたようです。永倉神社の狛犬より26年前の作品と考えられるのでしょうか。余りこのような事に拘ると、ゆったりと狛犬と神社とその土地の風情を楽しむ事がおろそかになるので、程々にしなくてはと反省しているところです。

木漏れ日の漏れる心地よい参道を登ります。眼下には青々と波打つ水田が広がっています。何故かこのような景色を見ると懐かしさがこみあげてきて心の緊張が緩みます。 2015.07.27
 
辺りは緑に溢れています。やはり、小高い山の上の神社はどこか日常を離れた心持がして、若干気分が高揚するように思えます。本殿の前で手を合せました。たいそうな事を言いながら、相も変わらず家内安全、健康であるようにと俗事のお願いをしているのです。
 
境内の左端に稲荷神社があります。

稲荷神社と本殿の間に更に石段が続いていました。登って見ると平らな台地に出ます。石の社が祀られていました。右には何故か蛇が彫られた石塔が祀られていました。車を止めた神社入り口の木陰の下で昼の弁当を食べる事にしました。狛犬を探していると食事をする場所から離れてしまうので弁当持ちで出かけています。 2015.07.27

白河市・角折神社(つのおり)

カーナビの住所は福島県白河市田島長屋前。私は間違えて五箇小学校の後ろを散々に探してしまいました。帰ろうと思って道路の反対側に立派な建物の五箇中学を見つけました。神社はその中学校のグラウンドの真後ろにあります。鳥居の前に駐車場があります。二組の狛犬が奉納されています。
鳥居の前の狛犬・昭和3年(1928年)石工 白河町・邉見喜之助

右に置かれた阿像です。奉納が昭和三年のようです。落ち着きのある構えの狛犬に見えました。大きな楕円形の目の彫の具合が柔和な印象を与えるのかもしれません。

石工の名前は見つかりませんでした。普段の生活でも何故が探し物が目の前にあっても、”ない”と妄信してしまう性格なので探し物は不得意なのです。見落とした可能性もありそうです。2015.07.27

後日この折りに撮影した台座の写真が見つかりました。昭和3年11月10日の期日の左に、社務を司る社掌・祓川保之助らしき文字が見えます。そして一番左には”白河町 邉見喜之助刻”の文字が彫られています。石工の名前がしっかりと彫られていたのを見落としていました。2015.07.27
吽像の姿には優しさが感じられました。子供の表情も悪くないように思います。2015.07.27
 
参道は右に曲がり石段の登りとなります。二の鳥居と三の鳥居をくぐります、中間地点に台地がありもう一対の狛犬が置かれています。近辺の集落は人口が多いらしく、寄進する氏子の人々が多いようです。
二番目の狛犬・明治38年1月(1905年)

二番目の狛犬、これも阿吽の位置が通常とは逆になっているようです。右・阿像の位置に吽像、左・吽像の位置に阿像が置かれていました。少し小型の狛犬のせいもあり、余り迫力を感じません。明治38年1月(1905年)に佐藤倉之助と言う氏子の人が征露記念で奉納したようです。 2015.07.27

左の阿像の更に左の台地に寄進された石の社が並んでいました。

↑本殿の左に稲荷の石の社と一対の狐の石造がありました。

本殿は日が少し傾いたとは言え厳しい太陽が照らす境内に静かにありました。手を合せて何時ものように即物的なお願いをしました。

境内から田圃の広がる景色を眺めています。左には五箇中学のグランドが広がっています。少し心地良い風が吹いています。このような景色を目にすると何時も穏やかな気持ちを取り戻すことが出来るようです。

次の国津神社に向かいうことにしました。 2015.07.27

 

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