太宰がこの地を訪れたのは1938年、70年前とは人々の心も細部の景色も別世界のように変わってしまったでしょう。それでも河口湖からそそり立つ富士の姿がそれほど往時と違ったようには思えません。太宰が滞在した部屋から富士を望む。クリック
富士山の展望台へ三つ峠山③天下茶屋  

三つ峠山から下りたのち『旧・御坂みち』を少し車で登ると道路右手に太宰治ゆかりの『天下茶屋』が見えます。路方に車を止めて左手を見ると河口湖の上に富士山がそそり立っています。これは当時太宰が見た景色とほぼ同じものだったのでしょう。ご存知のように『富嶽百景』はこの滞在から生まれた作品、『富士には月見草がよく似合う』は作中の言葉です。この地に立って目をつぶれば、物語の言葉は広がりと深さをもって私の心にこだまとして響いて来ます。拙い読者の私も傍観者からささやかながら参加者へとなれるのです、それこそが物語の場所をおとづれる幸せです。

ご存知のように太宰はこの絵葉書のような、風呂屋のペンキ画のような富士を赤面するほど恥ずかしい姿と言っています。確かに山としては尖がりが足りません、カレンダーに印刷され、画家に何度も描かれ、そして街に住む者には冬が来るとあちこちから顔をのぞかせる余りにもお馴染みの富士山です。天下茶屋では目を開けている限り眼前に否応無しに立っています。人間なら避けられますがここにいる限りこの景色と折り合う以外ありません。富士は動かず、日々揺れる人の心を受け止めるのです。遊女の一団が富士吉田から車でやってきます。

落ちるものは落ちよ。私に関係したことではないと冷たく見下ろす気持が苦しかったと書いています。そして富士に頼もう。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、と振り仰ぐ富士山は大親分のように見えたのです。2009.07.07

『天下茶屋』は昔の雰囲気を残すようにかなりの改修がされているようです。太宰が約3ヶ月滞在した部屋は2階の左側になります。窓からは何時も河口湖からそそり立つ富士が見えます。

外の廊下に座って太宰が見たと同じ景色を前にしてコーヒーと甘酒を頼みました。素朴な味です。

二階の廊下にかかっています。『富士には月見草がよく似合う・太宰治』

太宰が滞在した部屋からは寝転がっていても富士が目に飛び込んできます。

二階の太宰が滞在した6畳間ほどの部屋です。井伏鱒二の滞在を知って訪れたのです。古い木造家屋ですから手が入れられており当時から残っているのは床の間の床柱くらいだそうです。床の間の左の壁に太宰の写真、これは後からのものでしょう。尚、部屋の火鉢と机は太宰が滞在時のものだそうです。畳に寝転んでいても窓から富士の姿が望めます。因みに井伏鱒二とは三つ峠にも登っています。

時折車がとまり茶屋をおとづれる人が途切れませません。それでもこの日見ている間に、2階の太宰の部屋を訪ねた人は居なかったようです。この景色に惹かれた人々なのでしょうか。それともこの日この時はそうであったのでしょうか。静かにその部屋にたたずみ、時折窓を開けては富士を眺める事が出来たのは幸運です。

おとづれた人は多くが茶屋に入り富士を仰ぎながら喉をうるおしていきます。そして語り草に富士の姿をカメラに収めていきます。

70年前、太宰が天下茶屋から見た景色。自然はほぼ悠久の生命を保って、流れ去っていった人の目に映ったと同じ姿を私の前に見せてくれます。

それは書き残された物語の裏と表を読み解く鍵を与えてくれるのです。その時富士は単なる無機質な岩山ではなくなります。血肉を与えれた温かい自然です。

太宰治文学碑

茶屋の道路の反対側に旧御坂峠への道が続いています。樹木に覆われた道を少し登ると富士と対峙するように文学碑が建っています。高さは2メートル強、石碑の文字が読みにくいので画像に文字を書き込みました。

御坂峠への旧道に文学碑は建っています。太宰の訪れた頃、既に隧道が通っていたので、このあたりは静かな格好の散歩道になっていたのではないでしょうか。文学碑の前の木立の間から富士が見えます。文学碑前の富士山合成写真の月見草は残念ながら西洋月見草です。Click
御坂隧道(天下第一)
天下茶屋の2階が太宰滞在時の状態を復元・維持して見学できるようになっています。名称は少し大げさに感じますが、作品に係った一家の思い出が詰まった手作りの感じを好ましく感じました。クリック

 

天下茶屋のすぐ上に御坂隧道があります。トンネル入口には誇らしげに『天下第一』の銘板が取り付けられています。薄暗い隧道の中に入ってみました。今は旧道の為にめったに車が通り抜ける事がないようです。先が見ない薄暗い隧道を抜けた所は富士の姿は望めません。何の変哲もない場所です、、急いで天下茶屋方面に引き返します。

『富嶽百景』の舞台です。この入り口で30歳位の痩せた遊女が一人でつまらぬ野草を熱心に摘んでいる。後ろを通っても振り向きもせずに・・・この人のこともついでに頼みますと富士に願うのです。そしてとっとと、薄暗いトンネルの中に入って行きます。

富嶽百景の中で、太宰はこのトンネルの冷たい地下水の雫を顔に首筋にあびながら大またで歩きました。遊女の行く末を富士に頼んだ偽善にいたたまれなかったのでしょうか。もしかして、情が理をあっけなく飛び越えた事に驚いたのでしょうか。

隧道を天下茶屋まで引き返して、富士の姿をしばらく眺めていました。日差しが弱くなっていることが夕方の近い事を知らせてくれます。旅の終りです。夕暮れの姿も見たかったのですが思い切って坂道を下りました。中央高速を目指して富士吉田に戻ります。

富士吉田道の駅

富士吉田に来た時は道の駅によって野菜を買い富士の伏流水を汲んでいくことにしています。今回も立ち寄ってみました。既に夕方5時過ぎ、水汲み場も地元の人だけですのでそれほど込み合っていません。昼間は長蛇の列、大量の入れ物を持ち込んでくる人が少なくありません。かなり待たされるかもしれません。138号線の忍野入口近く交差点に『道の駅』の大きな看板があります。

午前中の水汲み場は大混雑です。多量の容器を持っている人が多いのでかなり待たなくてはなりません。

左上の写真は午前中三つ峠へ登る途中で立ち寄ってみました。沢山の他府県からの人々が多量の容器を持ち込んで汲んでいます。とても個人的な使用とは思えないほどの人も居ます。

とりあえず野菜の買い物だけを済ませて帰路立ち寄る事にしました。右上の写真は、夕方5時近く、地元の人々が殆どですので和気あいあいと云う感じで汲んでいます。待つ事も無く5本のポリタンクに富士山の伏流水をいただいて帰りました。どうも富士の伏流水と言うことと含有成分の豊かさがここの水の有難味を増しているようで遠方から汲みに来る人が多いようです。

河口湖インターから東富士五湖道路に乗り大月に向かう途中、高速道路左に三つ峠の岩壁が見えます。すでにほぼ黒い塊になった岩山に見送られるようにして夕闇の街へと戻りました。(富士山の展望台・三つ峠三部終わり)

   
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11/09/2019
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