深川・霊磐寺から日劇でアメリカン・ギャングスターを見る

神深川七福神は、芭蕉が生活した地域とほぼ重なります。俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。それなら、深川を旅たって向かった奥の細道の風景は、一つながりとして見た方が(芭蕉の心象風景も含めて)分かりやすいのではと思いました。クリッカブル・マップを同じページにおきましたので、深川と奥の細道の風景を行き来していただければと思います。尚、関の細道のB追分の明神は現在製作中ですのでリンクは動いておりません。

このウエッブ・サイトでは、”村を歩く”の中で、暮す村の近くに関連する”奥の細道をたどる”を掲載しています。
田村神社 十念寺 相良等窮 かげ沼 乙字ケ滝
 
2月4日、深川を門前仲町・清洲白川・森下と歩きました。小名木川を渡り芭蕉の地に足を踏み入れたころにはすっかりくたびれてしまいました。森下の煉瓦亭で昼食をと思って我慢して歩き続けてきました。見るところが多すぎました。あわよくば帰路に有楽町に回って映画を見たいと思っていたのに、煉瓦亭にたどり着いたときには3時半、既に店が休みになっていました。その日は、一時も早く家に帰ってのんびりしようと帰路に着きました。

2月12日、芭蕉の足跡を探しながら雨の降る森下駅から再び新大橋を目指します。今度は早すぎて煉瓦亭は準備中です。新大橋から隅田川の散歩道を芭蕉の句を見ながら楽しい時間を過ごしました。隅田川には船が行き交い、見上げる首都高速には車の列。往時の隅田川の船運交通もこうだったのかと理解できました。小名木川に出て万年橋を大川から眺めることが出来ました。居眠り磐音の舞台、金兵衛長屋のあった六間掘りの痕跡を探して歩きました。これら芭蕉の地の話は近日中に掲載申し上げます。

今回は森下から清洲白河に出て霊巌寺を訪れることにしました。既に門前仲町と小名木川の間は深川七福神に掲載しておりますので、ここに記録を残させていただきます。霊巌寺はかなり広い寺で、松平定信の墓と江戸六地蔵の一つがあることで知られています。また、フィクションではありますが居眠り磐音の金兵衛の連れ合いの墓があり磐音が”おこん”ともども参ったところでもあります。帰りは、清洲白河から地下鉄半蔵門線で三越前に出て、銀座線に乗り換え有楽町に出ました。今回はお目当てのアメリカン・ギャングスターを見ることが出来ました。芭蕉の句を辿りながら時代小説と映画と両方を楽しむことが出来た豊穣の一日です。2008.2.12

清洲白河・霊巌寺へ
霊巌寺は大江戸線清洲白河駅の傍にあるかなり大きな寺です。松平定信の大きな墓(右写真)があります。城主を務めた福島県白河市では、南湖神社に定信が祭られています。

藤沢周平作品では”闇の傀儡師・上下巻”の中に定信が重要な役でしばしば登場することは愛読者の方はご存知かと思います。作品の中での描き方は必ずしも好意的には見えません。池波正太郎は鬼平に”立派なお方なれど下情に通じていない”と言わせています。歴史というものは見る立場で黒白が逆に成るほど大きく異なるものだと思います。

松平定信は、江戸中期の陸奥白河(福島県)藩主であり、天明7年(l787)老中となりました。定信が行つた政策は、寛政の改革といわれ、天明の打ちこわし後の江戸の秩序回復に努めました。とくに七分積金の制度は、町方入用を節約させ、不時の備蓄にあてたものです。明治には、東京府の公共事業に役立ちました。この霊巌寺にある墓は、昭和3年に国の史跡に指定されています。

霊巌寺前に建つ台東区役所説明

高さが1.73メートルもある大変大きな銅造の地蔵です、1713年に建てられたそうです。江戸の六地蔵の一つという説明を読んで、品川寺のものを見た事を思い出しました。又、先日訪れたばかりの富岡不動前の永代寺の像が消滅と書かれています。
1658年霊巌島からこの地に移ってきたと言う記録を見た気がします。調べたところ、1657年・明暦3年)の振袖火事で類焼、霊巌島からここ深川に移ってきたようです(1658年になってから移ったのかもしれませんが、調べて後日訂正・加筆致します)。右の写真は入り口が分からず墓が見えたところから鉄の門扉を押して見ました。横から入ったことになります。 霊巌寺の門前に佃煮屋が2軒並んでいます。てっきり深川の名物かと思い込んで、お土産にと3パック買い込みました。鬼平が妻の久栄の土産に、近くに住む磐音がたまに贅沢したりしたかもと想像を楽しんだからです。話を聞いたら、人工的な調味料は使用していないが浦安で作っているとの事でがっかりしてしまいました。佃島でもなく浦安製の佃煮を深川で買うなんて。味は大変美味でした。日劇で映画を見ながら食べてみました。雨の中を歩き回ったので、さっさと有楽町に回ることにしました。
アメリカン・ギャングスター(日劇)
地下鉄・現座駅から4丁目の交差点に出ると相変わらずの雨。映画を見る時の何時ものお楽しみ、三越で海苔巻きを買い前のキムラヤでパンを買う。劇場で食べると、まるで遠足に来たような気分だ。銀座4丁目は相変わらずの混みようだ、恥ずかしいので地下鉄の駅の陰から撮影する。左に向かうと東銀座方面、右に向かうと有楽町の日劇。2008.2.12
日劇の屋外看板です。 劇場フロントのインデイー・ジョーンズの宣伝用具
 
 
8階にある日劇に向かうエレベーターの看板。暗闇の中の一時の夢物語への登り口です。劇中のヒーロー二人がお出迎えです。
映画館の入り口をくぐれば劇中のヒーロー達と一体となって物語に登場できます。歳を忘れ顔の美醜を忘れ、身長の低いことも忘れ、日本人を忘れ(全て私の事です)・・The Endのライトがともるまで。街の雑踏と騒音に目覚めるまでの暫しの至福の時です。誰かの口真似をすれば”良い映画っていいもんですね”でしょうか。
外に出ると雨は上がっていました。有楽町駅には既に明かりが点っています。これから一日の勤めを終えた人々の家路に帰る列が続きます。私には大変有意義な休日でした。

久しぶりに、ハリウッド映画を見る。インター・ネットの映画批評を見ると、2月は目ぼしい映画がないようだ。その中ではこの”アメリカン・ギャングスター”が比較的高い評価だったので見てみることにしました。

ラッセル・クローがニュージャージーの正義の刑事役、デンゼル・ワシントンが麻薬を手広く扱う悪役として登場します。ハリウッドが得意とするヒーロー二人の競演です。私の映画の評価としては70点でしょうか、アメリカ・ハリウッド映画(字幕に確かではありませんが、ニューヨークで作られたとあったのでハリウッド映画と言ってよいのかどうか)としてはかなり良く出来ていると思います。ヒーロー像も嘘が透けて見えるほどのことも無く納得が出来る範囲に収まっています。スピードや面白さはアメリカ映画の得意とするもので、これにはかなり高い点が与えられます。時はベトナム戦争当時の事です。デンゼル・ワシントンはハーレムのボスの元運転手、ボスが心臓発作で死んだ後、その後釜の地位を得ます。生産地の黄金のトライ・アングルから良質の麻薬を直接輸入する事を考えます。輸送はアメリカ軍を利用します。ビジネスとしてスマートに麻薬を扱う事で勢力を拡大していき、やがてイタリアン・マフィアと衝突することになります。ラッセル・クローは刑事の仕事ばかりに打ち込むために妻から離婚され、子供の養育権も剥奪されそうな裁判を抱えています。腐敗した警察の中で、正義を貫こうとする姿勢は周りから浮き上がることになります。それを見込まれて、大きな腐敗を摘発する特別チームの隊長として抜擢されやがてデンゼル・ワシントンと対決することになります。

これは実話に基づくストーリーだとの事、そのせいかハリウッド映画としてはお馴染みのあり得ないアクションの暴走にブレーキが掛かっています。私には違和感無く話が頭の中を通っていくようです。ベトナム戦争当時のニュージャージ・ニューアークの街がよみがえってきました。両俳優の演技を比べるとラッセル・クローの少し腹が出張った刑事の演技を買います。”LAコンフィデンシャル”を彷彿させる役回りではありますが、それはそれで比べて見るのも楽しいものでしょう。映画館の中には夏に公開される新しいインデイー・ジョーンズの宣伝の為に、ジョーンズ博士の持ち物(もちろんちゃちなレプリカですが)が飾ってありました。

6/5/2008
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霊巌寺芭蕉の地万年橋小名木川へ富岡八幡宮