藤沢周平『白き瓶』の舞台・長塚節の生家を茨城県石下町国生に尋ねる現地地図 

明治12年(1880年)4月3日、茨城県岡田郡国生村に生まれる。現住所:茨城県常総市国生1303

『白き瓶』(文春文庫)は、子規の二人の弟子、長塚節と伊藤左千夫を題材とした物語です。光に透かすと血管が浮き出るほどに濁りのない節の心が私を捕えました。

勿論、作者は畑の土を這いつくばるようにして自らの手で延々と、そして黙々と揉み解す農民達の節への冷ややかな目を記しています。それでこそ、作中の節が本物らしく見えてくると言うものです。

堆肥の匂いが満ちた畑が続く脇道に入ると筑波山が見えます。見渡す限り土くれの畑が続いているようです。その先左手に屋敷林らしき緑の小さな塊が望まれます。もしかしてと進むと豪農の住まいはかくやと思われる屋敷の前にプレハブの小屋、麗々しく長塚節生家案内所の看板。大きな駐車場に車を入れると中から待ち構えていたように地元の案内人の人が出てきました。2010.1.18

文中の和歌は全て『白き瓶』に記載さていたものです。写真は生家前の節の旅姿の銅像です。まげが無い事を除けばほぼ江戸時代の格好です。

鬼怒川にそった台地に畑が広がっています。筑波山が望まれます。既に農作業が始まったようで綺麗に耕された畑からは堆肥の強い匂いが流れてきます。

平坦に続く台地は、土くれが道に溢れそうに満ちた自然です。私は今、小説『土』の生まれた風土の只中にたっています。今日は余程の晴天・無風の上天気、風の強い日には一面が土ぼこりを巻き上げるのでしょう。

若い長塚節は筑波山が古代歌謡の聖地であった事を誇りに思っていたのです。親友の寺田に”筑波嶺に雪かも降らる否をかもかなしき児ろが布乾さるかも”と万葉集の一首を口ずさむのでした。

藤沢周平は作中、長塚節の止まない旅を書いています、『旅に淫し、旅の風物、ことに古い建築物や彫刻の美に淫しているというほかはない。伊藤左千夫が心配し節自身も言う煙霧癖は、容易ならざる相貌をみせはじめた』と。

私は冬の弱い日差しが木の間越しに差し込むこの広大な屋敷林に立って、この景色と風土が幼い節の心にその一粒の種を蒔いたのではないかと思いました。屋敷林の奥、小高い斜面を作るあたりに枯れ山水の痕跡が落ち葉に埋もれて見え隠れしています。煙霧癖こそがこの林の前ではもっとも居心地の良い心持に思えるのです。

埼玉県幸手市権現堂堤の水仙

水仙が咲きだしたという話を聞いて埼玉県幸手市の権現堂を訪れてみました。途中農協の農産物販売所をはしごしながら目的地に着きました。新鮮な野菜を買いながらその土地の風物を感じるのは旅の楽しみです。確かにそこには水仙が土手に整然と植えられていました。混雑もそれほどではありません。

個人的な好みからいえば一度で十分な気がしました。申し訳ないのですが、野趣に欠け如何にも人寄せに植えましたと言う様子が歴然としている気がぬぐえません。桜もそれは見事だと言う話を聞きました。確かにさぞかしと思えます、それでも整然と植えられ過ぎている気がします。彼岸花、あじさいも・・・多くはありますが風情という点で食指が動きません。ちょっと歩いて水仙の香を一杯に吸い、土手を下りて沼地の方を散策してみましたが飽きてしまいました。

今から帰るのでは余りにも時間がもったいないので茨城県の石下町に長塚節の生家を訪ねてみることにしました。この辺りを多分再度訪れる機会もないので遠回りをしてみる気になりました。どこをどう通ったのかカーナビの指示に従って曲がりくねった道を走り、幾つかの川を渡り返しながら石下町にたどり着きました。

長塚節生家

屋敷には節の姪御さんご夫妻が週末東京より帰ってお住まいだとの事、生きた家として残されていた事に驚き感謝した次第です。しばし静かに邸内にたたずみながら藤沢周平と書かれた長塚節の物語を反芻したいと思ったのですが、案内人の方は立て板に水の説明を続けるのです。

熱心な説明が本当の親切心から出ている事は間違いのない事でしたので、まずお話を聞こうと思いご案内を乞いました。

道路右が長塚節の生家、左にトイレを備えた大きな駐車場。

鬱蒼とした屋敷林が大きな屋敷を覆い隠すほどです。長屋門を備えた大きな入口。右に節の旅姿の銅像が立っています。

『白き瓶』では、父親の政治道楽が招いた大きな借財が節を苦しめる様子が幾度となく語られています。長男として身の縮む思いで借財の遣り繰りに苦悩した節、この生家が残っていた事は単なる小説の読者にすぎない私の心をも安堵で一杯にしてくれました。

門を潜ると正面に母屋、左に更に立派な門を構えた書院があります。白き瓶の舞台の真っただ中に立って興奮が高まるばかりです。

節が生活し、藤沢周平も訪れたに違いないこの場所は濃い暗緑の木々に空間が押しつぶされそうです。冬の日が弱弱しげに差し込んでいます。

母屋の前に大株のススキ、これは長塚節が植えたものだそうです。それが事実だとしたら100年以上この地で生命を保ち続けたのです。冬枯れの姿ですがしっかりと根付いています。

週末に手入れに訪れる長塚節の縁につながる方が、穂先を切り取ったとの話です。確か案内人の方は、このススキに関する節の歌をすらすらと詠んだように思います(記憶違いかもしれません)。

母屋の右には柿の木、それに巻きつくようにしてノウゼンカズラ。柿が好きだった子規に持って行ったと案内の人が話してくれました。ノウゼンカズラはオレンジの色で節が植えたものだそうです。

歌人の庭は大きな木々に囲まれ冬の日は僅かな線となって差し込むばかり。石の敷石を降り立つと懐かしい感触が足の裏に伝わります。ざくっと霜柱が割れる音です。青い苔だけが生命の存在を教えてくれる、暗く寂しい庭の風景です。
書院へ

中庭から贅を尽くした美しい門をくぐり書院に向かいます。枯れ山水をしつらえた鬱蒼たる林の庭の脇を通ります。上の写真は書院から長屋門を備えた入口を望みます。

このような造作は茨城県でも殆ど見られないものだそうです。長塚節の祖父の代の質屋家業の富の産物です。

書院の中心部の障子の前に写る枯れたオブジェは梅の木です。節が目にした木でしたが枯れてしまったそうです。

書院の中に長塚節愛用の机と椅子が飾られています。節のアイデアで上板が手前に傾いています。傾いた家運挽回に炭焼きから竹林経営と知恵を絞った節らしいと思いました。

庭の入口に山吹、これも節が目にし、歌に詠んだものだそうです。

書院には節の手書きの手紙や書きとめた書面などが飾られています。案内の方は熱心に説明をしてくれるのですが、遺物への興味が薄いので庭に下りてみました。

此処には節が生まれたときに使用した行燈、旅で使用した菅笠等の諸々が陳列されています。

藤沢周平が細かな文字を書き連らねたと『白き瓶』で書いた節の数々の覚書の類を見て成程と実感させられました。

書院の庭の空間が生み出す静寂、薄暗がりに目を凝らしました。ほぼ当時の様子を色濃く残しているこの庭は、節が歌を通して精神の交信を繰り返した場所なのではないでしょうか。2010.1.18

帰路へ
私達の案内が終わると同時に次の人がやってきました。平日でこうなのですから日曜などは結構忙しいのかもしれません。案内は月曜~木曜の午前10時から午後4時まで。常総市の好意か篤志家の援助なのか、すべてボランテイアーです、駐車場も内部の見学も無料です。清冽な心の歌人の生家には似合っています。維持・管理を含めてこの地を守る人々に深く感謝しなくてはなりません。

人間を観察し書き記す達人が同じ達人を物語の主人公にした『白き瓶』、二度はなんとか読みましたが3度は無理かと思いました。訪れた後、覚悟を決めて読み出したらなんとすいすいと読めるのです。見てきたばかりの小説『土』が生み出された風土、居宅書院からの庭や屋敷林の風景、それらを物語の背景にしつらえる事が出来たお陰で大変リアルな印象を得られたようです。

それでも伊藤左千夫との確執に多くのページが割かれている前半から「女人幻影」の後半に進むほどに本を閉じて一休みする事が多くなりました。読後の大きな感動と満足感、そしてそれと正しく比例した疲労感が残りました。疲労感の元はといえば、短歌に知識の無い為にそこで読書が停滞するという自業自得故なのです。言うまでもなくこれは藤沢周平が書きたいと言う抑えがたい興味から創作された物語です。私には作者の作り出した節と伊藤左千夫の人物像が十分に胸に響き面白く読むことが出来ました。ただ土の作者だと知るだけに終わったであろう長塚節を極めて身近に感じさせてくれた作者に感謝せずにはおれません。写真は駐車所に節の自筆の文から起こした句碑が建っていますすが、その説明文です。


白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり

3度目の読書で作中に収められたこの長塚節の歌が『白き瓶』の題名の由来になったのではないかという思いつきに行きつきました(大きな間違いかもしれません)。夕闇の常磐自動車に出て帰路に付きました。今回は突然の訪問で道が分からず、もう一つの歌人の心象風景・鬼怒川を見る事ができませんでした。確かに渡ったのですが記憶が定かではありません。機会があれば鬼怒川、既に中流域と言ってもよいでしょうが、の河原に立ってから生家を再訪したいと思っています。2010.1.18

長塚節の生家が残る常総市ではこのような6ページのカラー冊子を作って訪れた人々に頒布してくれるようです。駐車場・内部の案内等が全てボランテイアで行われていることが節の人柄に叶った清々しい善意として後まで私の心に残ります。そのもてなしに深く感謝した次第です。節の写真は1906年東北・佐渡からの旅から帰った折のものとの説明がありました。

歌人の森・長塚節生家書院から庭を望む
02/04/2017
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正岡子規記念球場