子規碑に褒めこまれた文章を読んでみました。大変簡潔で良い文章だなと思いました。短編小説を読んだような楽しさです。そしてここからそれほど遠くない三ノ輪の投げ込み寺・浄閑寺の永井荷風
の美しい碑文を思い出しました。昔の人は漢文の深い素養があるからなのか簡潔で意を尽くした文章に見惚れてしまいました。
個人的には藤沢周平の”白き瓶”から長塚節を知り、その作品に登場する師である子規を知りました。物語を欲深く楽しむために節の生家を石下町に訪ね、節が訪ねた師の子規の暮らした根岸の子規庵を訪ねた事があります。私には慈愛に満ちた節の師であったであろうと言う程度の興味なのです。
全くの素人の個人的印象なのですが、藤沢周平が長塚節に興味を惹かれ、長塚節は子規に惹かれた共通する私のイメージが藤沢作品にしばしば出てくる”小流れ”なのです。複雑な精神の人々だとは思うのですが、水底の砂利が見える澄んだ水の流れ、精神に一筋の透明感を感じるのです。それを思い出すことは大変心地よい気分になります。
この碑文に出会ってそれを思いました。そして子規の没年は1902年(明治35年)、長塚節の没年は1915年(大正4年)、節は1879年(明治12年)生まれですからもしかすると師であるこの子規の墓を訪れているのかもしれないと素人の想像を楽しみました。
つまらない事ですが、岡を超えた東側の子規庵の他にも、野球好きな子規の名が付い小さな”正岡子規記念球場”が上野公園にあります。句碑が建っていて”春風や まりを投げたき 草の原”。このような僥倖に遭遇するたびに、幸せであったろう長塚節の子規(病に伏せる姿のイメージを押しのけて野球を楽しんでいた姿と共に)との付き合いを思うのです。
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