藤沢周平『白き瓶』の舞台・子規庵を根岸に尋ねる① |
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子規庵は尾久橋通り・尾竹橋通り・言問通りの合流するあたりにあります。昭和通・明治通という幹線道路が近いのですが、エアー・ポケットのように静かな一角です。 JR鶯谷駅から5分ほど、なんともあからさまな欲望の街がすぐ近くまで迫ってきています。左が鶯谷駅、手前が日暮里駅方面です。 |
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子規庵のブロック塀に張られた説明文や俳句の類です。今回は仕事の途中車で立ち寄ったので、長く駐車することが出来ず、子規庵内部には入る事が叶いませんでした。 パーキング・メーターで止められる一杯の時間を使って、丁寧で親切な案内を読み、近くを歩いて藤沢周平『白き瓶』に書かれた長塚節の心を反芻しながら考えてみました。 この辺りは根岸の人々が子規の町として守っているようです。俳句や説明はこの通りの家の壁のあちらこちらで見ることが出来ます。鶯谷駅から子規庵を過ぎて路地を日暮里方面に向かいます。 尾久橋通りにでると江戸時代から知られた豆腐料理の店「笹乃雪」があります。 |
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俳句の弟子である虚子の文章から、長塚節や伊藤左千夫が子規庵を訪れた様子が想像されます。 古い地図から想像すると、ここに来るときは日暮里方面から来たようです。虚子の文のごとく、昔の引き戸の入り口には真鍮製の鈴が付いていたことを思い出しました。 このような些細な事実が物語の背景をよりリアルなものにしてくれるのです。 |
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子規庵の壁に貼られていた再現された古地図です。この通りがうぐいす横丁。子規は最初、現在の子規庵より少し北、日暮里駅寄りに住んでいて引っ越した様子が説明文に見られます。 | |||||||
子規旧宅 |
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鴬谷駅の景色を如何にも醜悪なものにしているけばけばしいホテル街の外れに子規庵があります。漱石が、鴎外が訪れた子規庵の現状です。 このような設備に対して今まで行政がのんき過ぎたと思わざるを得ません。多くの人々の胸をうった物語の生まれた地を泥にまみれる事を、市井の人々の力だけで押しとどめるのは不可能でしょう。むき出しの欲望の地の絶滅を言うのではないのですが、住み分ける法律の適用は出来ないものなのでしょうか。 |
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パーキング・メーターの関係でおちおちとみている事もできません。次回来る事があれば電車で日暮里で降り、羽二重団子でも食べながらと思っています。今回は節が、伊藤左千夫が100年以上昔歩いた姿を思いながら散策をしてみました。 書道博物館の前の子規庵、隣の昔風のアパートは遠からず建て替えられるのではないでしょうか。その時跡地がどうなるのか心配です。 |
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