植木屋さんの町② 2009.05.18   ①へ

春、カン緋桜が満開の頃訪れた植木の町の丘陵に足を踏み入れてみました。山野草の植木屋さんからそう遠くはありません。丘の斜面から消えるような細い道に枝を指しかけて咲いていたカンヒザクラにサクランボが一杯垂れ下っていました。わずかな間にも時は流れたのです。

藤沢周平の『山桜』のシーンを想起させてくれた思い出のヒカンザクラのサクランボです。

更に消えるような道を斜面を登りながらたどってみました。そこは懐かしい鎮守の森です。茂る大木の葉が風に鳴っています。懐かしい音です。

細い道は大木の茂る鎮守の森へとつながっていました。見上げる空は大木の葉が覆っています。私は緑の葉の中に抱かれています。植木の町の人々の信仰の場所であるらしく小さな社がありました。緑の葉が作り出す清浄な空間に感謝をこめて頭を垂れたのです。

その眼の先に湧水が流れ出していました。その水はきれいに澄んでいます。この大木で囲まれた台地が作り出した恵みです。湧水のそばに花がたむけられていました。今では宅地がすぐ近くまで押し寄せて往時の水量から比べると僅かな流れとなってしまったのでしょう。そのわずかに流れる地の恵みに感謝せずにはいられない人の気持ちが私にも共感できました。清冽な気に満ちたこの地に立ってうつうつとした心が緩やかに洗われたのです。5月の薫風がざわざわと木々の葉を鳴らして流れて行きます。

今の私には何気ない場所に何気なくある自然、まさに本物の自然にめぐり合う事ほど心安らかな事はありません。多くの自然は観光という塵芥の中に沈んでしまいました。静寂と言う自然本来の空間は、少し前には街のあちらこちらに残っていたものですが・・・

植木の町で見つけた大木

春の薫風がざわざわと葉をゆらして通り過ぎる静寂な空間。辺りの空気は木々に清められた濃密な味に満ちています。大きく深呼吸をしました。ひっそりとした朽ちかけたベンチに座って握り飯をほおばりました。村にもないほどの貴重な時間でした。

   
植木屋さんのモミジの畑

鎮守の森に沿って細い道が一軒の大きな家に通じています。大木の間を抜けてその道に出てみました。植木屋さんの大きな畑です。一角にはモミジが既に大きく育っています。何時でも出荷できるほどの高さです。ただ、今、街でこれほどの植木を植えられる庭を持つことは大変難しい事です。

何十本もあるモミジ、多分しばらくは私の目を楽しませてくれることになるでしょう。木漏れ日が美しい影模様を作り出していました。

都市近郊のこの町には、人の手が入った自然と一体になった暮らしが濃密に残っています。2009.05.18

・2
03/16/2014
本日カウント数-
昨日カウント数-
Provided: Since Oct.10,2007
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved.