雪の会津若松鶴ヶ城
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村を出て白河農協の販売所・り菜庵で買い物をします。会津若松までの294号線は見るもの・買うものが多くあり行程が遅々としたものになります。 会津若松からの帰路は、会津西街道を日光・鬼怒川方面に向かいます。湯の上温泉で左折、結氷した羽鳥湖を渡り県境の村へと帰ります。どこも戊辰戦争で多くの血が流された痛ましい場所を通ることになります。2013.2.13 |
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若松に向かう途中、開店時間に合わせて白河農協の直売所”り菜庵”に立ち寄ります。街の野菜の高さにたまったストレスを発散するように野菜を買い込みます。取れたての新鮮な野菜が町の半額から1/3で買えるので目の色が変わってしまいます。さすが雪で畑が覆われるこの季節ですので種類が少ないのは仕方がありませんが、楽しい買い物ができました。今回は大変美味しい地元・山口こうじ店の味噌を買う目的がありました。 | ||||||
いくら美味いからと言って取り寄せてまで食べる程贅沢はしませんが、この”白河関の味噌(山口こうじ店)”だけは村に行って買う事が楽しみになっています。1kg¥680程度でしょうか。無添加で米、国内産大豆、塩だけで製造しているので冷蔵庫に保存する必要があります。なんともその深い味わいが私達の舌にあうのです。 手打ちそばが”手打ち”が売りで蕎麦が今一つと言う例も少なくありませんが、これは私たちの好みにぴったりの味です。以前はこの山口こうじ店まで買いに行っていたのですがなにせ遠いので困っていました。山口こうじ店の人に遠くから来るので大変なのだと話したところ”り菜庵”で売っていると言われてびっくり。店内の冷蔵庫に入れて売っているので全く分かりませんでした。車に買い物を積んだまま、294号線・会津街道を勢至堂へ向かいます。2月の終わりに、近頃最も気に入っている山形庄内に行くので雪道に慣れておこうと雪の多い294号線を選びました。 |
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勢至堂トンネルから会津若松へ |
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勢至堂の集落の近くにある馬尾滝。氷結はしていませんが道路の両側は除雪した雪で車を止めることができません。走りながら撮影します。雪がかなり多くなってきました。 | ||||||
トンネルを抜けて会津へ、雪が更に深くなってきました。 | ||||||
トンネルから猪苗代湖に向かって道は下って行きます。下るほどに町並みに近づいて行くのですが雪は更に深くなります。 | ||||||
294号線が交通量の多い国道49号線にぶつかります。右は猪苗代湖岸を走って郡山方面、左会津若松方面に向かいます。 | ||||||
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看板はこれだけだったと思います。私は大感激してしまいました。能書きを言わない食べ物屋ほどゆっくり食べられる場所はありません。気付かずに通り過ぎてしまいました。同乗の家人がなにかこの看板があったと言うのでUターンして戻りました。 | ||||||
駐車場は一杯です。車が順番を待っていて互いに譲り合って止めていきます。何故か仙台ナンバーが数台止まっているのに驚きました。出張のサラリーマン達のようです。私も何とか店の裏の狭いスペースに強引に止めました。店の方に話したらつららが落ちるからと言われましたが今更どうしようもないので食べることにしました。店内の雰囲気を見て既に大喜びです。 | ||||||
営業時間が11時から3時まで、水はセルフ・サービスと書かれていました。地元の人々が殆どのせいか私たちは勝手が分からず戸惑っていると店の人が水を持ってきてくれました。私は、インターネットで紹介されていたワンタンメンの大盛りを頼みました。家人はラーメンです。味を油でごまかしたような油がギラギラのラーメンは苦手です。このラーメンはあっさりしていますが大変美味しいスープです。私の舌が鈍いのか、ラーメンを町おこしにしているところで食べて美味いと思ったことがありません。久しぶりに美味しいラーメンにあたって旅の楽しさが高まります。 | ||||||
うんちくは無用のようです。ただ美味しくて腹が一杯になると黙々と食べています。背広のサラリーマン、作業着の姿の人々、家族連れ、地元の人々が入れ替わり訪れます。地元の美味しい味に出合った幸運を感じます。家人が頼んだラーメンです。 |
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私はインターネットで書かれていたワンタン・メンを頼みました。共に野菜、メンマ、チャーシュが入っています。チャーシューも柔らかくて美味しい味です。このワンタンが小ぶりながら旨いのです。麺はぐじゃぐじゃしていませんが、若干柔らかい感じがしました。思わず嬉しくなって旨いなと互いに言い合って、おおいな満足感を感じました。雪が溶けたら、NHKの大河ドラマで会津若松を訪れる人が多くなるでしょうから、ここも果たしてこの味と得がたい雰囲気を保てるかと心配してしまいました。地元の人の楽しみを奪われないようにと祈りました。 | ||||||
会津若松市内 |
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どうも方角を間違えてしまったようでかなり大回りしてしまいました。細い道から城に出ようとしましたがどこも行き止まりで仕方なく118号線に戻ります。お城の天守閣がやっと見えてきました。 | ||||||
家の軒下を抜けるような道を通りながら堀端に出ました。東側から城に入ろうと思ったのが方角を間違えて西側から入ったようです。雪道を更に進むと駐車場が出てきます。案内板を見て坂道を登ると天守閣が目の前に見えました。 | ||||||
坂を登ると左手に石垣がありました。上に登ると鐘つき堂と書かれていました。そこからは城の全貌が見渡せました。時間がないので大急ぎで雪に覆われた鶴ヶ城をカメラにおさめます。何度かこの辺りを車で通りましたが、鶴ヶ城の中まで来たのは初めてです。 | ||||||
西郷頼母邸跡 |
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直江兼継屋敷跡 |
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藤沢周平の”密謀”の中で活き活きと描かれている兼継。小説に描かれた白河周辺を訪れた事があるのでその屋敷跡が見られる事は大きな喜びです。由来の地に立てば、物語の主人公が歩きだすのです。上杉景勝は徳川の大軍に謙信の家の誇りを掛けて戦いをいどみます。その勝者の徳川がやがて西軍(ほぼそう考えられるでしょう)と戊辰戦争を戦うとは何と言う巡りあわせかと思います。兼継の屋敷は鶴ヶ城のすぐ近く、ただ雪の中にその在った場所を記す石碑が建っているだけでした。流れた時間の重みを思います。 | ||||||
兼継の屋敷跡がその後山鹿素行の誕生地になったようです。山鹿流の陣太鼓と云う言葉しか私は知りません。気が付けば随分時間が掛ってしまいました。大急ぎで病院に戻ります。病人に再会を約して、町方伝承館で教えてもらった会津松本東西館という桐細工の工房に向かいます。飯盛山の近くにありましたが生憎定休日でした。何か日差しが夕暮れの近い事を知らせています。帰路雪道が凍結すると危険と思い、会津若松の小さな旅は終わりとする事にして県境の村に向かいます。
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