密謀トップ藤沢周平 密謀をポケットに入れて その舞台を歩くA勢至堂(せいしどう)
紅葉の勢至堂
雪の勢至堂

景勝が老臣・新津続家の忠告をいれて沢根高継、甘糟加賀と共に長沼の上杉景勝の後詰として兵6,000をもって陣を布いた集落。
@会津街道の要所・勢至堂の布陣
長沼から先の会津街道はほぼ登りとカーブの続く道となります。当時牛馬などで貨物を運んだとしたら、かなりの急坂に難儀した事だと思います。雨でも降ったならぬかるみで滑って往生したのではないかと思います。@勢至堂集落には新津継家、沢根高継、甘糟加賀が長沼の上杉景勝の後詰として兵6,000をもって陣を布いた集落です。会津側からこの峠を越えた上杉軍の兵糧の運搬はどんなものだったのかと想像しました。番号は写真の順番です。雪の勢至堂もご参照下さい。
A現在の勢至堂
ここは戊辰戦争でも戦場となったところだそうです。戦いはほとんど散発的で会津軍は、連合軍の急激な侵攻に鶴が城を守るために激しい抵抗もしないで撤退したそうです。この会津若松へ抜ける峠道も今はトンネルで越えることが出来ます。途中旧道の立派な道路看板が残っていて右・勢至堂と書かれていたので、そこを入っていったら100メートルほどで又バイパスに戻ってしまいました。峠の途中にA大きな看板があります。そこで旧道や村の場所を確認しました。看板の左前、道路の脇に綺麗な滝が流れ落ちています。その名前がB馬尾滝と付けられていますが、たしかに馬の尻尾です。村々に住み暮らす人々が対象物を表すに、的確でユーモラスなその表現力にはいつも驚かされます。その先で左に曲がると旧道にそって勢至堂の集落が見えてきます。

 

@勢至堂集落では山仕事を生業としている人が多いようです。平日の昼間のことでもありひっそりとしています。入り口のあたり、C馬頭観音は村の中心部にあります。

A大きな看板:村の入り口に大きな案内看板。赤い矢印や書き込みは後から加工して記入しました。右下方向が上杉景勝の陣がある長沼、左上方向がが会津若松。途中左下方面が勢至堂集落への旧道。

B馬尾滝:村の入り口を飾るモニュメントしては所を得ています。大きすぎず騒がしすぎず、向きも尋ねるお客様を向いて流れ落ちています。さらさらと静かに流れ落ちる尽きぬ水音が景色に動きと生命を与えています。

集落に入り山仕事の支度をしている人に声をかけてみました。見知らぬ人には身構えて接しがちな街での出会いとは異なります。一つの笑顔には2倍の笑顔が返ってきます。ここには殿様が宿泊する本陣もあり、遊郭もあったそうです。往時は随分と賑やかだったと、その様子を話すことがとても嬉しそうでした。直ぐ先に馬頭観音があるから是非見て行けと勧めてくれました。それは集落の中ほど川を渡った右側にあります。会津から坂道を登ってこの集落に入った上杉の軍勢もここで一息入れたに違いありません。ここがC馬頭観音入り口です。
馬頭観音の境内は山の傾斜面にあります。一番奥にこのお堂がありました。ここの左側に杉の巨木があります。

これが勢至堂の馬頭観音です。地元の人の話では遠方からも訪ねて来る人がいるそうです。痛みがひどくなったので補修されたそうですが、その後は盗難を避けるために見られなくなっています。

馬頭観音の奥に建つ社殿、左に杉の巨木が見られる。
人が4人ほど手をつないで、やっと手が回るほどの大きな杉の木です。本来2本あったものが枯れたか折れたかして、今はこの一本が残ったそうです。町指定の天然記念物の看板が立っていました。2007.10.24

 

馬頭観音の入り口には80坪程の空き地がありました。そこには昔分教所があった事を示す絵看板がありました。空き地に子供達の歓声が聞こえるような生々しい感じを受けました。
11/13/2008         @上杉景勝の長沼ページへ
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