藤沢周平をポケットに入れて その舞台を歩くD鶴生・鷹助・羽太
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@鶴生布陣の目論見
![]() A鶴生の地勢について
ここは白河の西方、阿武隈川左岸の村々にあたります。ここに兵を置いたことは藤沢周平の策か直江兼続の策か、興味深い作戦だと思いました。ここは那須連山の麓にある集落ですが、昔の人々の健脚ぶりは現代人の想像を絶するところがあります。私のわくわくする推理は直江兼続との連動を強く感じます。兼続が陣を布いた鬼怒川近くの地からこのあたりまではかなり近いと感じられます。現に戊辰戦争の折には那須山を越えた西側の三斗小屋温泉近辺でも戦いがありました。
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@鶴生(つりゅう、但しつるうと聞こえます)
この3つの集落の中では最も白河に近い場所にあります。阿武隈川が近くに流れて山を後背地に持ち、前面は平らな田んぼ、これは長沼に似ています。以前にも通ったことがあり、蔵の美しい集落だと言う印象があります。今度訪れてその印象が間違っていないどっしりと落ち着いた集落です。集落の個数の割には多すぎる蔵の数が重みを与えているではないでしょうか。これらの蔵は現在でも綺麗に改修が施されているようです。観光客のために残されたがらんどうの景色ではありません、蔵は数個ですが人々の生活の中で生きている蔵です。綺麗に壁塗りをして直された様子の右手前の蔵にしばし見とれてしまいました。この先にも幾つかの蔵があります。 先に進むと地蔵が建つ広場があり、鷹助の方向になります。 |
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鶴生の出口(入り口かもしれません)は道路の真ん中に地蔵が数体祭られています。地蔵は木陰に入って雨や雪を避けられるようになっています。この旅は密謀の場所を見ることが主目的ですので、2つのほほえましい十九夜供養の石仏だけを載せました。たしかこの場所には、前回見たとき枯れた巨木が立っていたように思います。少しくれかかる夕闇の中に直立するシルエットは集落を守って立ちはだかっているようでした。村を守る地蔵のために道路が二つに分かれているなんて、なんと贅沢なことでしょう。このような村の人々の考えが蔵を生活の中に無理なく抱えていることと関係が有るのかもしれません。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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B羽太(はぶと・左側写真の集落)
右・鶴生、左・鷹助、直進・羽太。ここは徳川軍に対し
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