紅葉の月山・その③下山 その①へ その②へ

下りは素晴らしい紅葉を何時も俯瞰することになります。頂上に芭蕉の道をたどって登るという目的を達して今は心が充足しています。ゆっくりと値万両の秋の景色を愛でながら下りました。頂上を少し下りだすとありがたい事に雨が止んで時折日までがさしてきました。2009.09.28

時にはごろごろしたこのような普通の山道もありますが、月山への道は殆どの行程がきれいに整備された大変歩きやすいものです。先人の労苦のお陰です。

それにしても緑の笹原がまるで絨毯のようにみえます。一見すると心地よい寝どこにも見えるのですが、踏み込んだら難儀をします。

月山の頂上辺りは小雨がぱらつき少し寒さを感じます。霧の中を下ります、景色もなにかぼやけてしまい興趣がわきません。もくもくと下りだすとやがて雲に覆われた場所を出たらしく雨が止みました。

人工の石切り場かと思うほど多量の石が累々と谷を埋めています。山道の整備はこの石が使われたのでしょうか。殆どが山の信仰を持つ人々の奉仕だと思うのですが、綺麗な敷石が張られています。

 

行者返しを下ります。坂は僅かの間だけです。たしか急な坂というのは此処だけだったような気がします。登るともなしに登る快適な散歩道です。

このような綺麗に整備された道が続くのです。並大抵の労力ではないと、長い年月にわたる多くの人々の労苦に感謝しました。

後世の私達が楽しく頂上への散策が出来るのはありがたいことです。

鮮やかに輝く紅葉にはそれを引き締める緑があると更に引き立つようです。ただ真っ赤だけでは景色に奥行きが感じられません。自然は上手くできていて、バランスよく色合いを組み合わせて私達に見せてくれるのです。

まるで腕の良い庭師が組み合わせた豪華な庭のようです。人工の庭には直ぐ区切りがあって無限に近い広がりはありません(観念上はあると言うかもしれませんが)。

自然の手による景色はこちらが望む以上の広がりと複雑さを持っています。そして見せようと取り繕うところがありません。そのような有るがままの姿を目の前にすると、私も最も良い自分でいられるのかもしれません。普段の緊張がすっとほどけていきます。

                                

時折残り咲きのリンドウやチングルマが私の目を楽しませてくれます。さりげなく咲いているので目をこらしていないと見過ごしてしまいます。そんな咲き方さえもが大変好ましく思えるのです。咲くのも勝手なら見るのも勝手です。

   

弥陀ヶ原に近づくほどに小灌木が道をふさぎます。輝く木々で覆われた道を歩けば紅葉した植物が肩を触れるほどに近さにあります。自然の中で、共に生きることを全うしようとしている仲間の息吹が体に掛るような気がします。2009.09.28

弥陀ヶ原
小灌木の中を抜け出すと弥陀ヶ原が眼下に見えてきました。鏡となって光を反射する大小の池と黄金色の草モミジ、摩訶不思議の物語が生きていた時代ならこの景色は確かに極楽浄土に見えたかもしれません。Click

下りは弥陀ヶ原を直進する道を進み月山中の宮の鳥居をくぐって駐車場へと向かいます。出発時には人っ子一人居なかった弥陀ヶ原にも観光バスで押し寄せてきた人々の姿がかなり見られます。中の宮ではかなりの数の観光客がお札などを購入しています。

夜明け前の5:40分に出発して11時に駐車場に帰り着きました。かなり時間が掛かったのはそれだけ美しい景色に魅惑されたせいです。

狭いくだり道が込む前にと大急ぎで8合目の駐車場を後にして鶴岡へと向かいました。『月山・紅葉』3部終わり2009.09.28

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06/12/2020
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