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インターネットから予約したのですが,その価格が信じられないほど安価でした。友人に聞くとたちばな屋は万国屋と共に温海温泉で特に良い宿だと聞いていたのでそれほど期待もせずに来てみました。
鍋と肉が食べたくないと言う事と量が多くは要らない、それで値段が安価と言う事から選ぶと冬季だけと思われる梅プラン(多分一番下のクラスだと思います)という信じられないものがありました。到着して驚いた事はその豪華なたたずまいと至れり尽くせりのサービス。料理が美味しくて、家人などは食べきれなかったほどの量でした。2013.03.25 |
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夕食はこれだけでも申し訳ないと思っているのに、席に座ると仲居さんが丁寧に火を付け、時間を見計らってお刺身、そして茶碗蒸し、まだ何か出てきた気がしますが覚えきれません。家人の残した分もなんとか食べましたが、久しぶりに暴食してしまいました。味も素材のうまみを生かした薄味で大変美味でした。部屋にも内風呂が付いていました。
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これは露天風呂です。シャンプーとリンスが別になっていたりとアメニテイーにも心使いが感じられます。春遠い雪国でも露天風呂の横で椿が咲いていました。温泉の湯の落ちる音以外聞こえない静寂を楽しんでいます。まさに至福の一時です。2013.03.25 |
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朝食もこの他に仲居さんが何かを出してくれましたが余り多かったので忘れてしまいました。板前さんが卵焼きを作って出してくれたのですが、暖かく薄味で大変美味しいものでした。
他にバイキング形式でサラダや飲み物が出ていますが私にはとても食べきれません。料理の味付けも気に入りました、さらに仲居さんの気配りも至れり尽くせりです。多分、いつも貧しい旅行をしているから恥ずかしい程感激しているのかもしれませんが(普通の旅ではこのような待遇なのかもしれないとも思いました)、宿泊代から考えると申し訳ない程のサービスでした。2013.03.26
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たちばな屋を含めて庄内では異なる宿に3回泊りましたが、どこでも同じように実のあるもてなしを受けました。庄内の旅を好ましく感じるのは、昔の日本にはあった静かなもてなしが私には大きな安らぎになるようです。
たちばな屋の前を温海川が流れています。まだ雪代の水が入っていないようでさらさらと日本海を目指して流れ下ります。駐車場から車を運んで荷物を積み込みます。これから芭蕉の碑を訪ね、酒田へ向かいます。2013.03.26 |
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芭蕉宿泊地跡 |
曽良旅日記・元禄2年・1689年8月11~12日(新暦)
○廿六日晴れ。大山立。酒田ヨリ浜中ヘ五リ近し。浜中ヨリ大山ヘ三リ近し。大山ヨリ三瀬ヘ三里十六丁、難所也。三瀬ヨリ温海ヘ三リ近し。小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門(惣左エ門)宅ニ宿。弥三良添状有。少手前ヨリ小雨ス。及暮、大雨。夜中、不止。
○廿七日雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関被趣。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。半道計ノ山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及暮、中村ニ宿ス。 |
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芭蕉と曾良は新暦8月11日酒田を出て温海に向かいます。温海市街地の下記の写真の鈴木所左衛門(正しくは惣左エ門)宅に一泊します。私はまさにその逆を車で酒田まで走りましたが、結構な距離がありました。途中、三瀬(さんぜ)、立岩など曾良の旅日記に出てくる芭蕉の足跡の地名を見て大いに感激しました。
温海での芭蕉の宿泊地を示す柱が立つのは7号線に並行する旧道になります。喧騒は既に昔日のものとなり、静かな通りです。バイクが無造作に止められているのが如何にも過ぎた年月の遠い事を思わせます。
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たちばな屋から歩くと20分程、風が強かったので車で寄りました。上部が少し崩れたかなり古い芭蕉供養碑が熊野神社参道の途中にありました。各地で和算の扁額をみたり、芭蕉をしたう碑をみると既に江戸から遠い地にも文化が一般の人々の間にも広く伝播していた証に見えました。乱暴に言えば、日本各地で既に文明開化の準備は整っていたのではないかと思えるのです。 |
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熊野神社の境内から温海温泉を望みます。左奥の大きな建物が万国屋でたちばな屋は多分その陰になっていると思われます。
熊野神社の一部はバラ園になっているようです。4月1日から温泉街で恒例の朝市が始まるようですので、そのころになれば散歩がてら歩いて訪れるのも一興でしょう。尚、芭蕉宿泊地は目印がありません。温海温泉からは高速道路の下をくぐり、更に羽越線の鉄橋をくぐったらすぐ信号のない交差点を右折して800メートルほどでしょうか。2013.03.26 |
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次回の庄内の旅では湯の浜温泉に泊まりたいと思っているので7号線を走り更に海岸の道へと左折しました。7号線走行中に大きな岩が見えて来たので広場に車を入れてみました。壁に遮られて殆ど見えません。代わりに強大なテトラポットの製造を見ることが出来ました。 |
上からセメントを流し込んで固めているようですが、その大きさに度肝を抜かれてしまいました。どこかロボットのような形に見えます。 |
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更に7号線を進むと道路のすぐ横に立岩(案内板で知ったのですが)が見えてきました。芭蕉と曾良が見た景色とそれ程違ってはいないでしょう。
強風で岩に当たった波が波頭を空に吹きあげていました。この先にはアジア大陸があるのです。海が遠い旅への道だった時代は、日本海こそが日本文化や生活・風習形成の主役だったのでしょう。 |
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この辺りはバスの停留場になっているようです。7号線には駐車場がなかったので広くなったところで写真を撮っていたらバスが侵入してきました。あわてて7号線に戻りました。 |
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暫く行った7号線横の広場に車を止めて過ぎて来た立岩を振り返ります。なにか、芭蕉・曾良とすれ違ってきたような想像をしてしまいました。奥の細道を辿る度ではしばしば楽しむ事の出来る極めて幸せな錯覚です。営業しているのか分かりませんが海底温泉なる建物が建っています。かなり広いスペースです。
2013.03.26 |
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