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新潟から庄内Ⅱ その①その②鶴岡  新潟から庄内Ⅰその① その②トップ・ページに戻る

強風に波立つ芭蕉句碑のある鶴岡市温海雨池の海

3月9日と10日、2013年に続いて新潟から庄内への旅に出かけました。前回の旅では訪ねる事が出来なかった胎内市と村上市の芭蕉の足跡を訪れる事にしました。更に3月末までの平日は、温海温泉の有名な萬國屋が特別料金で泊まれるというので雪の具合を見ていました。

この旅でも芭蕉の立った地を訪れながらあたりの自然や町、風情、暮らしを自らの心で感じようと思っています。芭蕉と言う道案内人との旅が太い縦糸、その地の人々に示される人情が横糸となり思い出は何時までも心地よい余韻を残してくれます。

3月8日の夕方暮らす街を出て、栃木と福島の県境の村で一泊。翌9日の朝、芭蕉の奥州への旅の入口、白河を抜けて会津に向かいます。会津から磐越道にのり新潟でへぎ蕎麦を食べ、城下町の雰囲気の残る村上市で芭蕉の足跡をたどります。夕方温海温泉に到着。

3月10日は鶴岡で藤沢周平記念館を訪ね、芭蕉ゆかりの場所を訪ねます。雪がちらつき強風が吹き募ります。当初の清川八郎記念館訪問をあきらめて急ぎ村に戻ることにします。磐越道で会津に入ると吹雪、ノロノロ運転の車列の後尾に付いて何とか東北道に出ました。10日は村に泊まり3月11日、暮らす街に戻りました。都合1,087kmの旅でした。撮影日2015.03.09

県境の村から磐越道で新潟へ
那須方面から会津若松に向かう会津西街道に出るには、どこかで那須岳の山なみを越えなくてはなりません。9日の朝、今回は白河から羽鳥湖を超えました。氷結もゆるみ一部水面が出ています。 会津若松から磐越道にのり新潟を目指します。新潟に出る手前の阿賀野川サービス・エリアで休憩。2013年の折に美しい阿賀野川の景色に見惚れたので今回も立ち寄りました。山には雪です。
サービス・エリアの裏にでると阿賀野川が見えます。今日は寒いので誰も居ません。 阿賀野川に掛かる磐越道の橋、左が新潟、右手前が会津若松方面になります。
新潟市内の買い物・へぎ蕎麦を食べる

新潟の発展ぶりには驚いてしまいます。新しい大きなスタジアムや建物が数多く建っています。買い物をしへぎ蕎麦を食べました。昼食後久し振りに旧友に会い旧交を温めました。

楽しみな地元産の買い物の一番目は、”JAいくとぴあキラキラマーケット”です。農産物直売所もあちらこちらにあるので、総合的な新潟県の産物を売るようにしているようです。住所:新潟市中央区清五郎336番地・025-384-8487・9:00~18:00

生憎季節が悪かったのか、時間が遅かったのかめぼしい野菜類はありませんでした。青野菜を少々と梨を二袋ほど買いました。季節には観光バスが訪れるのではないでしょうか。

大変楽しみにしている亀田製菓のアウトレットに向かいます。大変分かりにくい場所にあります。アジカルと言う子会社が販売しているようです。狭い店内は,2年前訪れた時より時間が遅いせいか人で込み合っています。まさしく亀田の煎餅の味です。小袋を5袋と、大きな段ボール箱入りの海苔の煎餅を10箱買いました。一つの箱にはちょとやそっとでは食べきれないほど入っています。村の知り合いへのお土産が出来ました。丁度昼頃になったのでへぎ蕎麦を食べに行く事にします。
段ボールに張られたシールです。確か¥650~¥700程度だったと思います。1.2kgとたっぷり入っていました。 亀田製菓の袋にひとつづつ包んであります。どこがアウトレットかと思える程です。若干甘めの醤油と海苔が大変合っています。下まで手が届きません。
”小嶋屋”と言う名前の蕎麦屋さんが幾つもあってどれが美味しいのか見当がつきません。前回と違う店に行ってみました。これが私の好みに大変合っていて、美味しく食べられました。蕎麦に尖っているような硬さがなく程が良い事、タレも悪くありません。ここは暖簾にただ”小嶋屋”と書かれていました。小嶋屋・住所:新潟市中央区網川原1-21-8TEL・FAX(025)283-3104
道の駅を訪ねて見ました。広い駐車場、団体のバスが何台も止っています。野菜・魚・お土産類を販売しています。かなりの人で混雑していました。”新潟ふるさと村”・新潟市西区山田2307 電話番号: 025-230-3030 ここでは野菜と魚を買いました。よく産地を見ないと折角の新潟名物が台無しになりそうです。外に出て船着き場と言う場所まで歩いてみました。信濃川でしょうか、広い川の向こうに白い雪の山が見えます。撮影日2015.03.09
魚は佐渡産の宗八カレイ2匹(¥400程度でした)と秋田県産のカナガシラ4匹¥196を買いました。共に煮付けにして食べました。その時の旅の思い出が浮かんできます。 撮影日2015.03.12
新潟市から胎内市へ

カーナビに胎内市の乙宝寺を入れると新潟市から113号線を海岸にそって北上します。胎内川を渡ると左に聖雲寺記念公園キャンプ場の看板、左折して海岸に向かいます。海の際に大きな駐車場がありました。

砂浜に出て見ると左に大きな島、右に小さな島が見えます。地元の方に聞いてみるとこの小さな島は粟島との事です。

これが大きな佐渡島です。最初は新潟と地続きの半島のようにも見えました。

芭蕉の有名な句が浮かびます。
荒海や佐渡によこたふ天河

ここから南下、新潟と富山との県境”いちぶりの関”を越えた折のものと思いますが、私もこの句の情景を心に浮かべる事が出来ました。強風に波立つ日本海を左に見ながら北上します。

道路沿いに幾つもの大きな発電用風車が回っていました。近くに車が止められる風車があったので見上げて見ました。日立の看板がたっていました。これ一基で約3,000世帯の電気が賄えるとの事でした。空には荒天の予兆を示す黒雲が流れています。

胎内市の乙宝寺と村上市の芭蕉の足跡を訪ねる為に更に北へと道をとります。最初は胎内市の乙宝寺を訪れます。曽良の旅日記が手助けです。私はこの旅日記と逆に道を辿っています。撮影日2015.03.09

 

曽良旅日記

七月朔日(現在の八月十五日)折々小雨降ル。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友石等尋。喜兵・太左衛門ハ被見立。朝之内、泰叟院(現・村上市浄念寺)ヘ参拝。

巳ノ尅、村上ヲ立。午ノ下尅、乙村ニ至ル。次作ヲ尋、甚特賞ス。乙宝寺ヘ同道、帰テつゐ地村(現・胎内市)、息次市良方ヘ状添え遣ス。乙宝寺参拝前大雨ス。即刻止。中ノ上尅、雨降出。及暮。つゐ地村次市良ヘ着、宿。夜、甚強雨ス、朝、止、曇。

芭蕉と曽良は元禄2年・1689年に鶴岡⇒村上⇒胎内⇒新潟と南行しますが、私はこの逆に道を辿り北行しました。撮影日2015.03.09
胎内市・乙宝寺
乙宝寺の駐車場に車を止めました。辺りは門前町の風情が感じられます。壮大な感じのお寺に驚いてしまいました。芭蕉が訪れた事も理解できました。参道に掛る橋の上から池を覗き込むと沢山の鯉が餌を求めて寄ってきました。

駐車場に立つ案内図です。芭蕉の句碑は本堂(この案内図では⑧大日堂⑨宝物殿)右手にある赤い⑬観音堂の手前にあるようです。そこには句碑が幾つか並んでいます。

私は何時もの通り慌ててこの句碑の位置を確認せずに本堂の右側を端から端まで探してしまいました。結局分からずに、観音堂前の句碑を全て写真に収めました。運良くその中に芭蕉の句碑が写っていました。それは小さくて目立ちません(何の印も無かったと思います)。案内板の画像に印を付けておきました。

屋根の形が大変美しい山門(仁王門)をくぐります。右手には美しい五重の塔が見えます。撮影日2015.03.09
 

金堂と案内図に書かれた本殿で手を合せます。芭蕉と曽良がこの寺を参詣したのは1689年8月15日の事のようです。

芭蕉と曽良も今までの旅の安全を感謝し、この先のつつが無き事を祈った事でしょう。私も同じ思いで頭を垂れました。勿論建物も辺りの景色も当時とは大きく異なっていたでしょう。強いて言えば寺の名前が変わらない事でしょうが、この辺りに二人が佇んだと思うだけでも恐れ多い事ながら何か親近感を覚えるのです。

金堂の右手に観音堂があります。このお堂に登る数段の石段の両脇に歌碑が並んでいます。 乙宝寺住所:新潟県胎内市乙1112

さんざん探したのですが結局この句碑を特定することが出来ませんでした。早く旅館に着かなくてはと気が焦ります。金堂の右側に広がる墓地の隅から隅まで歩いて探したのですが分かりません。観音堂前の句碑群を念のため全て撮影して家に帰って確認したところ、幸運にも写っていました。確かかなり小さな句碑だったと思います。うらやまし浮世の北の山桜

↑金堂の左にある方丈殿。改修が施されたようで大変綺麗です。
 
三重塔・国指定重要文化財。仁王門をくぐると右手に立っています。雨と雪と風に晒された北国の厳しくも長い年月が、この木の塔から華美をそぎ落として精神がむき出しになったような姿に見えました。暫く孤立する塔を見上げていました。 三重の塔の手前に胎内川の伏流水が湧きでた”独鈷”の水があります。独鈷の言葉は弘法大師の伝承に関連がある名前だそうです。私は芭蕉の句碑を探すのに夢中になって水を口にする事を忘れてしまいました。

屋根の形が大変美しい仁王門をくぐり駐車場に向かいました。既に午後3時半になってしまいました。大急ぎで村上市に向かう事にします。

乙宝寺:潟県胎内市乙(きのと)1112番地・TEL:0254-46-2016)撮影日2015.03.09

村上市浄念寺

村上駅前の観光案内所の前に駐車スペースが印されています。そこに車を止めて地図などのパンフレットを貰い説明を受けました。市内見学には体育館の駐車場を勧められたのでそこに止めさせてもらいました。そこから芭蕉の宿泊した井筒屋と浄念寺は歩いてもたいしたことはありません。井筒屋・黒塀通り・寺町を回って帰ってきました。村上観光協会:村上市田端町11-8・TEL:0254(53)2258

雛飾りも見たいと歩いてみましたが、どうも商店が見せているように思われます。ただ見るのは気がひけるので外から幾つかを観るだけに留めました。撮影日2015.03.09

芭蕉宿泊地・井筒屋(宿左衛門)

ここが現在は井筒屋となっていますが、芭蕉の宿泊地と言われている場所です。道の両側に商店が並んでいます。

現在この家はカフェになっているようです。雛飾りがあるようですが、見るだけと言うわけにはいきそうもないので外から覗いて通り過ぎました。道を左にとって黒塀通りに入ります。井筒屋:新潟県村上市小町1-12 TEL.0254-53-3020)
この辺りも小町と言うのだと思います。体育館方向に少し戻り、右に折れると黒板塀の続く狭い道に入ります。

小町の説明板によれば安政2年・1855年に清川八郎も泊まったと書かれていて藤沢周平の”回天の門”の主人公を思い出しました。芭蕉の足跡を訪ねる旅で藤沢周平作品の舞台にも出会える事は2重、3重の喜びです。勿論、清河八郎の宿泊は史実であり、”回転の門”は物語なのですが互いが影響し合って私の中ではよりリアルな人物として登場してくれます。

冬の期間は閉じているので、今回こそは庄内町の清河八郎記念館を訪ねるつもなので、その宿泊地にたつことが出来た好運に感謝しました(結果として悪天候と時間不足で今回も訪ねる事が出来ませんでした)。

黒塀通

芭蕉の宿泊した跡に建つ井筒屋を進行方向の左手に見て20メートル程進むと右側にたしかトラヤと言う菓子屋さんがあります。そこを右折すると路地になっています。

改修を施したと思われる綺麗な黒塀の路地が続き僅かでT字路にぶつかります。右には如何にも高級と言う料亭があります。この一帯には不思議に思うのですが高級料亭が数軒ありますが、もしかして説明板の親不孝坂に関連があるのでしょうか。どこか雅な感じが残っています。撮影日2015.03.09

丁字路の右にはこのような路地が続き坂になっています。右側は高級料亭です。

寺町へは丁字路を左に曲がります。

この路地は多分観光用に綺麗に改修・維持がされているように見受けられますが、そこには厭らしさが感じられません。安っぽい土産物屋もなく、暮らす人々の静かで美しい路地があるばかりです。

観光シーズンになればもしかするとかなりの人並みなのかもしれませんが、今は誰も居ない心地よい路地を散策しました。

寺町・浄念寺
寺町の説明版です。

黒塀通の丁字路を左折して進むと僅かで四辻にでます。右に曲がると寺町です。四辻の角に標識が立っていました。

右手が通ってきた丁字路への路地、左に寺町です。

美しい山門の寺院が右手に見えます、1655年創建の安善寺です。住所:新潟県村上市小町3-34

安善寺から僅かで芭蕉と曽良が訪れた浄念寺があります。曽良の旅日記に”朝之内、泰叟院(現・村上市浄念寺)ヘ参拝”と書かれています。住所:新潟県村上市寺町3-13電話0254-52-4524)

藤沢周平の「市塵」に登場する間部栓房の菩提寺と書かれている浄念寺の説明板を見て驚いてしました(甲府藩という思い込みがあったからなのです)。本を読む楽しさとこのような巡り合わせに出会う幸運に感謝しました。主人公の新井白石の艱難辛苦と確か能役者から成りあがった老練な栓房、鋭敏な徳川綱豊の物語を思い出しました。随分昔に読んだので間違っているかもしれません。ゆっくりと村上の旅を思い出しながら読んでみたいと思っています。
浄念寺の山門に掛かる扁額。
浄念寺から黒塀通の四辻まで戻ってきました。 井筒屋のある大通りを目指して歩きます。また、大きな料亭が見えました。
袋物を売っている店のようです。 大通りから歩いてきた路地を見ています。
1935年6月9日、旅の途中に村上に立ち寄り句会を開いた際、発表した句”水音がねむらせない おもいでが それから それへ”の句碑と書かれていました。

車を止めた村上市の体育館を出ます。既に夕方の5時になっています、夕闇が近いことを知らせています。途中で宿泊する温海温泉・萬國屋には電話を入れておいたので問題はないのですが先を急ぐことにします。撮影日2015.03.09

村上市北中(旧中村宿)

曽良旅日記・元禄2年・1689年8月12日(新暦)

○廿七日雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関被趣。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。半道計ノ山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及暮、中村ニ宿ス

①村上市内を出て国道7号に出ます。ひたすら走って村上市北中の信号を右折、集落の中に入っていきました。既に5時24分、やっと中村宿に着きました。夕闇がせまります。どこに行ったら芭蕉宿泊地を見つけられるかと途方にくれてしまいました。念のため集落に入っていきました。 ②集落の入口、一部は旧出羽街道のようです。カーナビの目印として集落の中にある黒川俣郵便局(村上市北中222-13・0254-75-2001)をセットしたので直進を指示されました。更に進むと左にガソリン・スタンドがあります。
③集落に入り再度7号線に出る手前、左にガソリンスタンドがあります。その前のお菓子屋さんの壁際に芭蕉宿泊地の標識を見つけました。
④ガソリンスタンドの前に車を止めると前のお菓子屋さんの御主人らしき方が顔を出しました。お尋ねすると今では正確には分からないが標識の左の家か、もう少し戻った右の家だろうとご親切に教えてくれました。村上市の説明書では左側のこの建物辺りを旧旅館の家と書いています。この先は芭蕉と曽良が通ったと思われる旧出羽街道です。撮影日2015.03.09
温海温泉・萬國屋を目指す

果たして見つけられるか不安だった中村宿の芭蕉宿泊地の標識を目にしたことは幸運でした。芭蕉の辿ったであろう旧出羽街道をかすめて通ることが出来たことも大きな満足感を与えてくれました。中村宿から7号線に出て一路温海温泉を目指します。

笹川流れに落ち込んでいる山の間を走る道は車でも大変です。いつもながら芭蕉と曽良の旅の難儀さを思うのです。左に芭蕉と曽良が越えた鼠ケ関の明かりが見えてきました。いよいよ早春の庄内に入ります、雨と風がひどくなってきました。今夜の宿の温海温泉萬國屋に着いたのは夜6時を少し過ぎたころでした。芭蕉と曽良が一日で旅した温海と中村宿を、現代の自動車では40分程で走った事になります。撮影日2015.03.09

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08/14/2022
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