私の暮す村をかすめるように芭蕉・曽良は元禄二年(1689年)6月、歌枕の旅を続けていきました。”奥の細道”1冊を持って芭蕉の跡をたどってみます。芭蕉が立ち止まった地で、同じように私も歩みを止めて目にした自然と物との心の交流を試みてみます。既に計7部作の那須の細道と関の細道を掲載しました。東京・深川編6部を加えると合計13部になっています。続いて会津根の細道を掲載します。会津根(磐梯山)を左に見ながら白河の関から須賀川へと向かいます。@かげ沼A相良等窮B十念寺に続いてC石河の滝(乙字ケ滝)を掲載しました。相良等窮差し回しの馬にのって須賀川を出立、石河の滝を経て郡山に向かいます。奥の細道は全17部になります。 |
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”街歩く”に掲載の深川七福神は、芭蕉が生活した地域とほぼ重なります。俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。それなら、深川を旅たって向かった奥の細道の風景は、一つながりとして見た方が(芭蕉の心象風景も含めて)分かりやすいのではと思いました。クリッカブル・マップを同じページにおきましたので、深川と奥の細道の風景を行き来していただければと思います。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 私は残された道を辿りながら、この同じ道の上を芭蕉と曽良が歩いて行った事を強く意識することで、この旅物語・奥の細道が全く風景の変わってしまった現在に蘇る気がしています。錯覚であってもそう思いながら旅をしてみようと思うのです。単なる物語として読むだけにとどまらず、共に旅する気持ちでいます。今回は、奥の細道の本文”かくして”から”物陰うつらず”までに記述した場所にあたります。この田圃の風景はかげ沼がある一帯で昔は湿地帯であったようです。山なみは会津方面です。かげ沼は左の手前側にあります。普通はこの文章は須賀川に分類されていますが、白河を出て矢吹・鏡石への行程が含まれています。私には幾つかの想像を楽しみたい文章ですので別に取り出して書いてあります。このあとに須賀川の文章が続くことになります。 |
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(本文)かくして越行(こえゆく)まゝに、あぶくま川を渡る。左りに会津根(あいずね・磐梯山)高く、右に岩城(いわき)、相馬、三春の庄、常陸、下野の地をさかひて、山つらなる。かげ沼と云所(いふところ)を行(ゆく)に、けふは空曇りて、物影うつらず。 |
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![]() 村には優れた物語の作者にあふれています。私はこの伝承の真実性をあれこれ検証せずに、物語の一つとして聞いておこうと思っています。 個人的な経験ですが、一帯が強い霧に覆われて高速道路が通行止めとなった事があります。4号線も車がのろのろと走っていました。霧の中で全てが微妙な光に反射していました。山ではたまに出会う現象ですが、平地でであったの北海道以外あまりありません。その時の周りの景色も常ならない不思議な印象でした。一回の経験を全てに当てはめるのは合理的とはいえませんが、私の心の中ではきっとこのような景色の事を(逃げ水とは全く違いますが)指しているのではないかと秘かに思っています。一方、田圃を掘ると温泉が出てくるような地層ですから、もしかして蜃気楼の言い伝えに関係があるのか等と想像を楽しんでいます。かげ沼に来て天気が少し回復してきました、曇り空ながら今日は池の端の木の陰が水面に映っています。 |
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