私の暮す村をかすめるように芭蕉・曽良は元禄二年(1689年)6月、歌枕の旅を続けていきました。”奥の細道”1冊を持って芭蕉の跡をたどってみます。芭蕉が立ち止まった地で、同じように私も歩みを止めて目にした自然と物との心の交流を試みてみます。既に計7部作の那須の細道と関の細道を掲載しました。東京・深川編6部を加えると合計13部になっています。続いて会津根の細道を掲載します。会津根(磐梯山)を左に見ながら白河の関から須賀川へと向かいます。@かげ沼A相良等窮B十念寺に続いてC石河の滝(乙字ケ滝)を掲載しました。相良等窮差し回しの馬にのって須賀川を出立、石河の滝を経て郡山に向かいます。奥の細道は全17部になります。 |
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”街歩く”に掲載の深川七福神は、芭蕉が生活した地域とほぼ重なります。俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。それなら、深川を旅たって向かった奥の細道の風景は、一つながりとして見た方が(芭蕉の心象風景も含めて)分かりやすいのではと思いました。クリッカブル・マップを同じページにおきましたので、深川と奥の細道の風景を行き来していただければと思います。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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芭蕉と曽良が、須賀川からの出立が迫る4月28日(新暦6月15日)参拝した十念寺と諏訪明神(神炊館神社)を訪ねました。共に静かで、そして俗との境がない入りやすさを持ったすばらしい場所でした。私も芭蕉と同じく頭をたれて祈りを捧げました。
私は大そうな神社仏閣より、町の俗の中に接してある柔らかな精神世界をより好みます。より心の落ち着きを感じます。後光の差すありがたい仏像も霊的な大きな建築物もありません、安穏は頭を垂れてただ自らの心の中から取り出す以外ないのです。私は立ち去るときの充足した気持ちを芭蕉の跡を辿りながら積みかねてみたいと思っています。人が訪れる事も少ない二つの精神世界のあり場所では、芭蕉との心の交流も手にした奥の細道一冊があれば十分堪能できるのです。共に芭蕉の句碑が見られます。 |
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