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*遊行柳の歴史をお知りになりたい方は芭蕉石碑の傍に立っているこの石碑の画像をクリックしてください。遊行上人の伝承が詳しく書かれています。 |
ここまで芭蕉の跡を注意深くたどってきました。ここに至り、最初何の知識も無しで良いと思ったし、又思わざるを得なかった浅学を後悔しだしました。芭蕉の奥の細道の心への焦点がぼけるほどの知識の穴に落ちることは望みませんが、相応の事を知りたくなってきたのです。それが芭蕉の心と旅する杖となりそうに思えてきたからです。私の選んだ参考書・新潮社・井本農一”奥の細道を歩く”が大変心強い杖に思えてきました。
出来る限り簡単な記述に収めますが、この章以降には少しだけ芭蕉の旅の心の裏背景が出てきます。俳諧や芭蕉についての知識をお持ちの方から見ると誤解や誤りがあるかもしれません。昨日まではそれらに全く無知だった者が、芭蕉の心を感じることだけを思って調べそして歩いた記録だと言う事でなにとぞお許し下さい。
私が殺生石からたどり着いたとき、遊行柳の前の田圃の用水路には勢いよく水が流れていました。田に水を入れるには早すぎます。ゆかりの地に立てば、私の中の今の芭蕉への心が水の流れのように、あっというまに現在から過去に遠ざかって言ったように思いました。そして遊行柳の風景にあわせて、新たな芭蕉像が浮かび上がってきました。

奥州街道・国道294号線にある立派な休憩所から遊行柳を見ます。遊行柳は上の宮の参道の途中にあります。
遊行柳への入り口です。田んぼの畦道のような細い上の宮の参道の途中にあります。まさに芭蕉の言葉の通り遊行柳は”田の畔(くろ、あぜ)に残る”です。
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