私の暮す村をかすめるように芭蕉・曽良は元禄二年(1689年)6月、歌枕の旅を続けていきました。”奥の細道”1冊を持って芭蕉の跡をたどってみます。芭蕉が立ち止まった地で、同じように私も歩みを止めて目にした自然と物との心の交流を試みてみます。既に計7部からなる那須の細道と関の細道を掲載しました。東京・深川編6部を加えると合計13部になっています。続いて会津根の細道を掲載します。会津根(磐梯山)を左に見ながら白河の関から須賀川へと向かいます。@かげ沼A相良等窮B十念寺に続いてC石河の滝(乙字ケ滝)を掲載しました。相良等窮差し回しの馬にのって須賀川を出立、石河の滝を経て郡山に向かいます。奥の細道は全17部になります。2008.3.2・2008.4.8
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
”街歩く”に掲載の深川七福神は、芭蕉が生活した地域とほぼ重なります。俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。それなら、深川を旅たって向かった奥の細道の風景は、一つながりとして見た方が(芭蕉の心象風景も含めて)分かりやすいのではと思いました。クリッカブル・マップを同じページにおきましたので、深川と奥の細道の風景を行き来していただければと思います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|