関の城下町白河市の桜  須賀川市の桜 地図  

2015年4月12日の夜、仕事から帰って久し振りに村に出かけました。13日は須賀川で桜を見ながら芭蕉の足跡を訪ねました。14日は白河市に所要が出来たので満開の城下町の桜を見る事にしました。那須周辺には残念ながら県境から北の町々に比べて桜を見る場所がそれほど多くありません。白河の関の城下町はどこかのんびりとしていて、観光バスの訪れる場所を除けば桜色の景色を独り占めにできます。2015.04.14

高萩の桜地図

家人が289号線・石川街道の近くに所用があって出かけました。289号が大きくカーブする右手の岡の上に美しい枝垂れ桜、さぞかし知られた古木なんだろうと話していると高萩の桜の看板。家人を所用場所に降ろして私は一人で看板まで戻りました。

小高い岡を登り右に折れると、何もない岡の上の広場にでます。突然に空に向かって満開の枝垂れ桜が私を迎えてくれました。素晴らしい景色に私は唖然としてしまいました。一人地元のナンバーの車の人が入れ違いに戻ってから40分程、誰も訪れる人はいません。2015.04.14

地元の方々がお世話をしているようで説明板が立っています。推定樹齢が350~400年と書かれていました。

桜を見ながら暮らしてきた人々の物語を読むと、ただ口を開けて見惚れるだけでは済みそうにありません。それでもただ美しい姿の桜です。

高萩の桜
 

岡の上の桜は、どれもが美しい舞台に立っているようで感動が倍加されます。
驚くことに岡の下にも、多分この桜の子供と思える枝垂れ桜が咲いていました。私は嬉しくなって高萩の桜の横にある道を下ります。下り坂から桜を見上げています。
枝垂れて坂道の斜面近くに枝を垂らした桜です。
これが子供の桜です。下は289号線で沢山の車が桜など無関係に行きかっています。今、大きなダンプが桜の前を通って白河市内方面に向かっています。下に見える小屋は鳥小屋のようです。これこそ里桜だと、人々の生活の中で生きる姿に拍手をしたくなりました。2015.04.14
289号線まで降りて桜の咲く岡を見上げてみました。車で通る人々ちらっと見る春の知らせです。多くの人が何十年もこの桜との春の思い出を共有してきたのでしょう。素晴らしい2本の枝垂れ桜との邂逅は今年の春の大きな思い出になります。

南湖の桜地図

南湖は近頃観光バスのコースに組み込まれているらしく混雑すると聞いています。混雑は松平定信由来の楽翁桜のある南湖神社の周辺です。私は対岸の289線側から南湖神社を見ています。こちらは殆ど人が居ません。湖面に桜と山影が映っています。ちょっと絵葉風の見たような景色です。

若い桜ですが美しい桜並木が続いています。左には疎水が流れてなかなか風情のある遊歩道が湖岸に続きます。静かな桜が何よりの景色と言えます。

道標が示すように白河の関は歩くに十分な距離がありますが、近くにあります。

天気が良いと左側にまだ雪の残る那須連山が見えるのですが今日は難しいようです。近くの小峰譲に向かいます。2015.04.14

小峰城の桜地図

今回の震災で小峰譲の石垣が大きく崩壊しました。まだまだ作業は続いています。小峰譲も戊辰戦争の激戦で落城し、城本体は焼け落ちてしまいました。どこの城もほとんどがそうであるように小峰譲も鉄筋コンクリートになっています。城より美しい石垣が文化的な遺産と言うことになるのでしょう。2015.04.14

小峰城の入口ですが、震災で崩れた石垣の修復工事で内部に入る事が出来ません。工事の標識が写らないように撮影しました。城の中には乙女桜と言う古い桜があるのですが見る事が出来ませんでした。

小峰城は観光バスの立ち寄るコースに入っているので駐車場には何台か止まっていました。

駐車場から左端まで歩くと入口の標識、お堀の水面と桜と美しい石垣が見られます。

この辺りまでは団体の人も来ないのでゆっくり桜と石垣とお堀の美しいコントラストを愛でる事が出来ます。

大変美しい石垣です。確か水害の折にも崩れて改修したと思いますが、コンクリートの無い時代の石垣ではこれだけの高さだとそのような事が起こるのでしょうか。美しい石垣が続きます。

戊辰戦争はこの城下町に今でも幾つかの痕跡を残しています。歴史上の物語ではなく、生々しい記憶として現在まで生きているように思えます。

お堀の水面に桜が写っています。
小峰城の正面方向に向かっています。

正面の入口付近に来ました。戊辰戦争で焼失した後再建された 三重櫓と言われる城の一部が見えてきました。震災前は何度か訪れましたが内部の石垣も大層美しいお城です。現在は震災の復興工事で入る事が出来ません。

村に戻って街から持ってきた花を植えなくてはなりません。雨が降り出しそうなので急いで駐車場に戻る事にしました。小峰城前面の芝生の公園に植えられた若木の桜が満開でした。
工事の重機が見えると思います。大変な復旧作業のようです。城の中に入れるまでには、春の桜をあと数回見る必要があるようです。一旦村に戻る事にします。2015.04.14

街に帰る15日早朝、きっと乙姫桜が満開かもしれないと思い少し早起きして来て見ました。

白河市内にある為に早朝でも地元の方達が散歩がてら通り過ぎて行きます。

ただただ美しい桜です。

乙姫桜のある妙関寺の前に立つ案内板。伊達政宗にまつわる伝承からの推定樹齢400年なのかもしれませんが、太い幹からも古木である事には違いないと思います。

市街地に咲く桜がよく残ったものだと感じ入っています。戊辰戦争では市街戦もあったようですから、歴史の生き証人として生き残ったのは幸運と言えるでしょう。2015.04.15

贅沢な事ですが整い過ぎた美しい桜かもしれません。小高い岡の上にある野の桜だったらと何時も思うのです。どれほど大きく枝を張ったかもしれません。2015.04.14
13日須賀川の桜見物から帰ってから、夜になって白河のスーパーに買い物に出かけました。もしかした乙姫桜が丁度良いかもしれないと雨の中妙関寺に出かけてみました。お寺の山門は開いていましたが中は真っ暗です。傘を差しながら取りあえず美しい桜を撮りました。それもあって翌朝街に帰る前の見たくなったのです。2015.04.13
大きく枝垂れて地面に着きそうな桜の房が目の前にあります。随分と豊かな気分になります。
2015.04.14

美しい乙姫桜に見惚れてかなり時間が経ちました。街に戻らなくてはなりません。山門を出て直ぐ前の妙徳寺で清源桜を見る事にします。2015.04.14

地図妙徳寺・清源桜

車を止めた華やかな乙姫桜のある妙関寺から、静かに佇む源清桜の妙徳寺までは僅かの距離、20メートルほどでしょうか。

源清桜は薄墨色で静かに咲いています。道の途中からは対照的な二つの桜が両の手の先にあります。

約400年前の慶長年間、片岡駿河守源清がこの寺を創建した際に植えたとの伝承があるようです。そうならば400年にも渡って二つの桜は互いに向き合って咲いてきたことになります。2015.04.14

買い物がてら出かけたのですが、やはり春は犬も歩けば棒にあたるです。大きな棒にあたったようです。須賀川市の神炊館(おたきや)神社で樹齢300年のエドヒガン桜の群生を見て、白河では見上げる岡の上の高萩の枝垂れ桜に出会う事が出来ました。街ではこれ程ゆったりと桜を見る事は叶わないでしょう。街に帰る朝、乙姫桜が最も美しく輝く季節に見る事が出来た事も幸運でした。2015.04.14

 
09/25/2016
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震災で崩れた石垣の修復作業が続く白河市・小峰城