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↑東京都台東区銀杏岡八幡神社・狛犬・吽像 文化11年(1814年・甲戌・きのえいぬ) |
有楽町で映画”ザ・コンサルタント”を見たついでに総武線浅草橋駅から浅草まで、江戸通り(国道6号)沿いの神社を訪ねました。昔ほどではありませんが、色々な問屋が並んでいる面白い界隈を散歩したことになります。また、今回ほどスムースに神社が見つかる事はまれな事でした。最後は浅草の吾妻橋交差点から夕方の薄く夕焼けに染まった空に大きなスカイツリーを見る事ができ大満足でした。2017.02.14
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銀杏岡八幡神社住所:東京都台東区浅草橋1-29。浅草橋駅東口を降りて目の前の江戸通りを左・浅草方面に進むとほんの数分で左側の路地の奥に鳥居が見えました。2017.02.14 |
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総武線浅草橋駅東口を降りました。左が浅草、右が日本橋方面になります。左・浅草方面に歩きながら左側を注意していると一つ目か二つ目の路地の奥に鳥居が見えました。 |
路地を20m程進むと探している銀杏岡八幡宮でした。一番目の神社はあっけなく見つける事が出来ました。鳥居の下に狛犬が見えます。 |
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神社の由来が書かれた看板がありました。確かに神社の東は柳橋です。隅田川はすぐ近くを流れています。 |
銀杏岡八幡神社の説明板に元福井藩邸内社であった事と後に大岡越前により福井町と命名されたという文章を読んで直ぐにアッと思わず叫びそうになりました。
かって福井町と呼ばれた地に立って藤沢周平の”獄医立花登手控え”の主人公の姿が浮かんできました。福井町の先生と呼ばれる好人物で酒好きの叔父小牧玄庵の家に居候する立花登、叔父を尻にしく口うるさく人使いのあらい叔母、美人だが登を使用人のように扱う一人娘の我儘なおちえ、鴨井道場の友人・新谷弥助、福井町の隣の八名川町の御用聞き・藤吉。市井の底に沈むこの界隈の人々の物悲しい物語の記憶が活き活きと蘇ってきました。東京を歩いていると時々このような幸運にぶちあたります。今日は有楽町で映画”ザ・コンサルタント”を見て、更にこの福井町で、何度も読み返しては楽しんだ物語を思い出すという二つの物語を堪能したことになります。
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銀杏岡八幡神社狛犬 |
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平成4年に奉納された新しい狛犬です。何処にでも見られる狛犬でした。境内の先に古い狛犬が一つだけ見えました。 |
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銀杏岡八幡神社・狛犬・吽像 文化11年(1814年・甲戌きのえいぬ) |
境内の真ん中あたりに一つだけ江戸の狛犬が置かれていました。流石江戸の職人と見惚れてしまう良い出来の狛犬でした。
吽像と思われます、口の周りが少し破損しているようですが全体のバランス、各部の彫りなど見応えのある狛犬だと思いました。
阿像と思われる狛犬は破損したのか破棄されたのかしたのではないでしょうか。 |
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台座に文字が彫られているように見えるのですがほとんどが薄れてしまって私には年号の”文化11年”と”甲戌”の文字しか読めませんでした。文化11年(1814年)は確かに甲戌(きのえ・いぬ)の年なので多分奉納された年号はこれであっていると思いました。江戸通りに出て更に北、浅草方面に向かいます。2017.02.14
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須賀神社住所:東京都台東区浅草橋2-29-16。銀杏岡八幡から6号国道・江戸通りに出て浅草方面に向かうとすぐ進行方向の左側・道路脇に鳥居がありました。
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須賀神社狛犬 |
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第六天榊神社住所:東京都台東区蔵前1-4-3。須賀神社から僅かで右にアパ・ホテルのある交差点を右折すると50m程でこの鳥居が左に見えます。
狛犬は二対置かれていました。
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拝殿前の狛犬 |
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昭和8年に奉納された狛犬です。大変状態が綺麗です。彫りや表情なども良いと思いました。 |
もう一対の狛犬 |
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所謂昭和15年(1940年)の皇紀2600年を記念して奉納された狛犬のようです。こ皇紀2600年記念の狛犬にはしばしばお目にかかります。
狛犬自体は迫力のある中々の狛犬に見えました。日が暮れる前に浅草まで歩きとおさなくてはなりません。余りのんびりできないのは残念ですが江戸通りに戻り浅草を目指します。 |
04/17/2021
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