中央区日本橋の狛犬 |
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日本橋堀留町椙森神社狛犬・昭和8年(1933年) |
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三光稲荷神社狛犬 |
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入り口の鳥居の脇に狛犬が奉納されています。新しい狛犬のようです、いわゆる岡崎式といいうタイプかと思われます。 ただこの狛犬は中々表情が良く、彩色も施されていて、通常みられるこの手の狛犬より出来が良いように見えます。 こちらは右に置かれた阿像と思われます。柵と接していて台座を見る事が出来ませんので年代・石工名は見付ける事が出来ませんでした。2018.02.06
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阿像から吽像を写しています。阿像の右には鉢植えのボケの花が色を添えています。 吽像は鳥居と旗の間から少しだけ体が見えます。2018.02.06 |
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左に置かれた吽像、こちらも彩色が綺麗に施されているので見て楽しい狛犬です。岡崎式と言われるものでもこのような狛犬が居る事が分かりました。2018.02.06 |
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橘稲荷神社 |
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末廣神社狛犬・昭和21年(1946) |
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ビルに囲まれた境内はそれほど多くの人が一度に参拝は出来ないようです。二組の参拝の人が入っていったので入り口の狛犬を最初に見させてもらいました。入り口の狛犬はかなり力強い風貌に見えます。 右に置かれた阿像、台座には昭和21年の年号と奉納した人の名前と思われるものが彫られています。石工の名前は下端部が欠落しているのですが”若山(山らしい文字の一部が欠落しています)”ではないかと推測しています。 太平洋戦争が終わった一年後にこれ程の狛犬を奉納したのはさぞかし大変な事だったのでは思いました。2018.02.06 |
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左に置かれた吽像です。このような個性のある狛犬は見ていて楽しいものです。この狛犬は横長の鋭い目付きに特徴があるようです。サイズは普通より少し大きいように見えます。2018.02.06 | |||||
阿吽共台座にこの彫があります。年号の昭和21年と奉納者と思われる名前は判読できますが、石工の名前の上の文字は”若”ですが、下の文字は下端部が欠落しています。多分”山”ではないかと思います。2018.02.06 | |||||
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境内への入り口は、日本橋方向と清洲通り方向の2か所にありました。こちらは日本橋方向の入り口です。社殿はかなり大きそうに見えます。2018.02.06
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日本橋堀留町椙森(すぎのもり)神社・狛犬 昭和8年(1933年) |
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日本橋方向からの入り口の鳥居の横に置かれている狛犬です。右に置かれた阿像を思われます。 逆光ではっきり見えませんが、なかなか表情がリアルな狛犬です。若干顎が長く出たユニークなデザインに見えます。この時代の石工の人の腕はほぼ揃っているのでどの狛犬もバランスが取れていて安心して鑑賞する事ができます。子供の狛犬が添えられています。2018.02.06
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狛犬の前面に立つことが難しいので阿像の後ろから吽像の方向を写しました。そろそろ夕方が近くなった時間、一日の仕事の切りを付けるためか通りには人通りが殆どありません。少し日が落ちかけてきた境内で二つの狛犬がこれから生き物に返るような雰囲気を感じさせます。 | |||||
左に置かれた吽像です、足下には大きな玉が彫られています。2018.02.06 | |||||
狛犬の周囲に立ち入れないので台座を調べる事ができません。昭和8年1月の文字だけを見つけました。 | |||||
日本橋に戻ってきました、午後4時半です。映画を見終わってから日本橋を出たのは午後3時20分です、1時間ほどの散歩としては随分密度の濃い時間を過ごすことが出来ました。 江戸時代の商業の中心地の一つであった日本橋と隅田川に挟まれた一帯を見る事が出来た事は、これから読む江戸の物語の理解の深さと楽しさを増してくれるようです。2018.02.06 地下鉄銀座線の駅を目指して階段を下りました。 |
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08/19/2018 | |||||
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