下新倉氷川八幡神社・明治25年(1892年)狛犬 *(禁)転用・使用 |
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土手のジョギングの帰路の狛犬巡り①和光市の狛犬 |
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2019年6月11日と17日、土手のジョギング後、家への帰路大回りして狛犬を訪ねる事にしました。 ⇐6月17日は、ジョギングする土手の上から雲で頂上が隠れた富士山が望まれる絶好の日よりでした。時折ちらっと姿を見せる頂上にはまだ残雪が見られました。今回訪れた神社は川の対岸にあります。2019.04.17 |
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広々とした大地に神社は鎮座しています。車が駐車できたので焦る必要は皆無です、清々しい境内を心行くまで見て歩きました。2019.06.11 |
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拝殿の狛犬の前に”子宝犬”の石像があります。 神社の参拝が楽しくなる石像です。手で撫でまわされて光沢が出ている石像の様子から多くの参拝者の心の癒しになっているように感じました。 |
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氷川八幡神社狛犬・平成2年 |
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明治15年(1882年)と明治40年(1907年)の狛犬 |
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二の鳥居の脇にもう一つの古そうな狛犬が奉納されています。 右の阿像と推測される狛犬はほぼ普通のサイズです。台座には石工名は見つかりませんが明治15年(1882年)の年号が見えます。経年の為か全体に摩耗が進んでいるようです。 格別際立って鋭利な彫りには感じませんが全体の造形が手慣れた石工の作品であることを感じさせます。2019.06.11 |
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左の吽像と思われる狛犬、石の素材の感じや彫りは右の阿像と同じ石工の作りに見えます。ただ、吽像の台座には明治40年(1907年)の文字が彫られています。何かこの明治40年は台座などの補修がなされた事かも知れませんが約24年の年代のブランクの意味が不明です。 あっさりした彫りながら造形に隙が無く安心して見られる狛犬だと思いました。2019.06.11
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下新倉氷川八幡神社・明治25年(1892年)狛犬 |
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右に置かれた阿像、一見して江戸時代の狛犬かと思いました。この時代の狛犬は、石工の腕が総じて高いために楽しく石像を見る事が出来ます。 極めてバランスのとれた、全体の造形に違和感を感じさせないので細部を詳細に鑑賞する心にゆとりが持てます。2019.06.17 |
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左に置かれた吽像、この時代の狛犬は未だ子供や玉などの付随物が彫られて居ないものがかなり多く見られるように思われます。個人的にはこのような狛犬だけの外連味のない石像が気に入っています。 吽像も阿像と同じく大変安定感のある造形で楽しく見させてもらいました。2019.06.17 |
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獅子山に似た石積の上に乗った阿像、全ての部分にかなりの手間を掛けて作られている事が感じられます。2019.06.17 | ||||||||||
こちらは左の置かれた吽像です。美しい形は見飽きる事がありません。2019.06.17 | ||||||||||
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武州白子熊野神社狛犬・昭和九年(1934年) |
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右に置かれた阿像、石の材質か経年の為か、永年の風雪で痛めつけられて若干摩耗が進んだように見えます。 台座には石工の名前は見つかりませんでしたが昭和9年の文字が見られました。サイズは一般的な大きさに見えます。所謂子取りと言われる意匠、彫の線が薄れてきているように推測されます。2019.06.17 |
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阿吽像の間がかなり開いています。逆光を避けて左の吽像から右の阿像方面を写しました。阿吽像の間から”武州白子富士山”が見えます。2019.06.17 | ||||||||||
左の吽像で玉を足下に収めています。阿像と同じくかなりあっさりした彫の石像です。2019.06.17 | ||||||||||
清龍寺不動院 |
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