松江城と出雲の狛犬②  その① ③鳥取砂丘・天橋立 地図のポイントの色

大混雑の出雲大社から松江城にやってきました。まず最初に屋根付き炬燵船に乗ってお濠を巡るようです。す。最上川船下りの炬燵船より小型ですが、これは橋の下をくぐるからのようです。

確かに狭い橋の下をくぐる時は屋根が下にさがってきました、乗客は炬燵の上に顔を伏せる事になります。2016.01.01

出雲大社から天橋立までの地図
松江城地図のポイントの色

添乗員の方がくれた地ビール館の案内図です。加筆しました。茶色の矢印が遊覧船で通ったお濠です。緑の矢印が天守閣の観光が終わった自由行動の時に歩いたコースです。

遊覧船はかなり乗り出があって地図の下、県庁を通り越して左に曲がり、かなり回って北堀橋を通り左に曲がって大手門の船着き場に接岸しました。

自由行動の折に、私はいったん城の中の城山稲荷に戻り、再度堀端と北堀橋に戻り地図の右方向に歩いて田原神社を探したのですが、方向違いを歩いたようで城に戻りました。その途中神社があったので立ち寄りました。

尚地図中の、A、B,C,D,Eにはそれぞれリンクが張られています。

遊覧船で美しい堀をまわります。左が城の斜面ですが石垣は積まれていないようです。

松江城の堀も明治以降かなり埋められたようですが、それでも他の城郭より広い範囲が残ったという事と推測されます。全ての堀を石垣で築くのは不可能でしょうから、外堀はこのような森の要害で守ったと推測されます。多くの城郭はこの部分が埋め立てられ、石垣で守られた堅固な中心部が残ったという事かもしれません。この森の姿をとどめている松江城が貴重な城であることが分かります。2016.01.01

松江の町の人々の暮らしを覗き込むように船は堀を進みます。松江城が左手にみえてきました。2016.01.01

北堀橋と書かれた橋の下をくぐりました。堀の水が綺麗です。一部では水底が見えています。大手門の前の船着き場が近くなりました。
松江城

松江城は嬉しい事に鉄筋コンクリートの城ではないとのこと、大いに興味をそそられて上まで登ることにしました。

見上げる天守閣は黒々と聳えていました。美しい白色でないのも良いと思いました、黒い城は戦乱の中では雄々しく見えるに違いありません。2016.01.01

個人的な趣味として、新しく立て直した観光用の鉄筋コンクリートの城にはほとんど興味がわきません。例え会津若松の鶴ヶ城でも上まで登る気にはならないのです。下から眺めるに留めています。残念ながら戊辰戦争を戦った北国の城はほとんどが焼け落ち再建された城なのです。

それでもそのような城のある町を訪れるのは、城を下から支えて来た町の風土に興味があるからです。焼け落ちた城にも勝る興味の対象です。

この松江城は鉄筋コンクリートではなく、築城時の姿をとどめたものだというので、案内人の人に付いて狭い城内を歩いてみる事にしました。松江市は古いオリジナルの城と、押し寄せる観光客の波に抗して残る町の独特な姿の両方を見る事の出来る、稀有な城下町のようです。町に経済力が備わっていない小さな場所では、観光客にすり寄ってやがて本来の町の芳しい風土はどこかに霧散してしまう気がします(勿論そこで生活する人にはそれも止む得ないことに違いないのですが)。2016.01.01

松江神社の出雲型狛犬

松江城の大手門跡から石段を登ります。左に神社が見えてきました。目をこらすと大きな狛犬が見えます。

添乗員の人と説明役の人が先導する私の属する旅の一団は説明を聞いています。私は駆け足で狛犬まで行ってみました。目は添乗員の人から離さないようにしながら。

今まで目にしたことのな狛犬でした。これは右に鎮座する像ですが、残念ながら顔面が欠落しているので阿吽像のどちらかは特定できませんでした。大きな尻尾が独特の形です。2016.01.01

右側の狛犬の後からの姿です、こちらの方が欠落が見えずに美しい体の線が鑑賞できます。足の突っ張り方と体の曲線が私の今まで見て来た狛犬とは異なるように感じました。2016.01.01
こちらは左側に鎮座する狛犬です。こちらも前面が若干欠落しているようです。柔らかい石なのか、それとも経年によるのか、残念な事です。それでも堂々たる造形の狛犬を見る事が出来ました。2016.01.01

左側の狛犬を後ろから見ています。大きな尻尾はやはり目立ちます。大急ぎで松江神社の写真を撮りました。

目の端に入れていた、添乗員の人の旗が坂を登っていきました。大慌てで後を追いました。天守閣への入場券を貰わないといけないのです。

松江城天守閣

松江城で貰ったパンフレットによれば、慶長16年(1611年)堀尾忠晴により築城されたと書かれています。改修は行われたようですが、基本的な姿をとどめている珍しい城のようです。

人込みで写真には関係のない人が写っているので内部の写真の多くは割愛しました。

説明がはっきり聞こえなかったので間違っているかもしれませんが、左は最初からあったしゃちほこかもしれません。

天守閣を支える柱の傷を隠すために板を鉄輪などで覆った包板と言うものだそうです。

天守閣入り口の扉も恐ろしい程頑強に作られています。城の中に入って階段を上ります、それが狭く急です。まさに戦いの時に最後に身を守るための場所だというのが良く分かります。狭い空間は極めて居心地が悪く息が詰まりそうです。井戸が残っています。

鉄筋コンクリートの再建した城とは雰囲気が全く違います。2016.01.01

天守閣の最上階から宍道湖が見えました。春のような陽気です。2016.01.01
天守閣の上から、船着場から登ってきた方向を見ています。松江神社もこの方角にあります。2016.01.01

土産物屋の人しか会わない旅ではなく、その外に出て穏やかな町で出会う親切な人々との出会いほど旅を楽しくすることはありません。

ボランテイヤと思われる今回の松江城の案内人の人も、遠来の旅人に城の事を知らせたいと熱心に語るのですが、団体旅行のネックで時間が無い事、元旦の混雑でままならないようです。熱心な説明も喧騒で聞こえにくく、時間にせかされて知らせたいことの半分も伝えられなかったようです。切れ切れに聞こえた懇切丁寧な説明からも親切心だけは十分に伝わりました。喧騒で内容が十分に聞こえなかったのは残念でした。2016.01.01

城山稲荷神社

先頭を歩く城の地元の案内人の方に出雲の狛犬を見たいので田原神社は何処かと聞いたところ、城の中の稲荷神社にも狛犬が居ると教えてくれました。松江歴史館でいったん解散して1時15分まで自由行動になります。大急ぎで稲荷神社に戻ろうとするとその方が親切にも案内してくれるというのです。

松江城内の二つの社で幸運にも出雲型狛犬を見る事が出来ました。2016.01.01

これも出雲型と呼ばれる形のようです。残念ながら顔の半分が欠落しています。それでも頭を下げて今にも飛び掛かろうとする姿は迫力十分です。右側の狛犬です。2016.01.01
こちらは左側の狛犬です。顔がほぼ残っています。何処か獅子舞の獅子の顔のようにかなり角ばっているように見えました。2016.01.01
台座に石工や年号が無いかと探したのですが見つけられませんでした。このような飾りが彫られていました。2016.01.01
左側の狛犬の後ろから右側の狛犬を見ています。やはり迫力を感じました。2016.01.01

この稲荷神社は小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)縁の神社と書かれていました。

狛犬を過ぎると隣に大きな狐の石像が鎮座しています。あたかも狛犬のような風情です。年代などを示す印は見つけられませんでしたが、かなり古そうです。

参道を左に曲がると石段、その下に狐の石像が並んでいました。大急ぎで石段を登り参拝をしようとしますが、前の人がよほど願い事があるのか中々終わりません。

やっと終わったので大急ぎでお参りをして隣の社務所でお守りを買いました。階段を大急ぎで下り先ほど散会した武家屋敷の前まで戻りました。

宗忠神社分社(むねただ)

黒い松江城を右に見ながら先ほど船を下りた船着き場に出ます。分散販売所の角を左折すると大きな道路に出ました。汗をかきながら裁判所などを通り過ぎて進みます。

どうも様子がおかしいと思い誰かに道を聞こうとするのですが元旦で官庁街は人が絶えています。やっと向こうから人が来たので訪ねたところ田原神社は方向が違うと、同情する顔で教えてくれました。直ちに城に向かって戻りる事にします。途中見ておいた新しい狛犬で我慢することにします。2016.01.01

新しい鳥居を見ると宗忠神社と読めます。正確には宗忠神社分社(むねただ)と言う神社だそうです。住所:島根県松江市母衣町46。

駐車場や店や会社が同じ敷地にあるように見えます。私の好きな町の中にある神社のようです。

誰も居ない静かな社で参拝を済ませ、狛犬との対面です見るからに新しい狛犬です。それだけに出雲の形がはっきりと見る事が出来ます。2016.01.01

左側の狛犬です、口を閉じているので吽像の可能性が高いようです。2016.01.01

右側の狛犬です。僅かに口を開いているので阿像かもしれません。

明治39年に奉納した狛犬が破損したので平成2年に再建したと推測されます。平成の新しい狛犬のようです。大きな尻尾を空に立てたような迫力ある姿です。田原神社は見つけられませんでしたが、出雲の狛犬に対面できたことは幸運でした。集合時間遅れないように大急ぎで松江城方向に戻ることにします。2016.01.01

武家屋敷

上の地図のB地点に戻ってきました。左に黒い松江城を見ながらA地点の地ビール館に戻ることにします。右側に武家屋敷が見られます。

彫の水が大変綺麗です。2016.01.01

武家屋敷がただの遺物でなく今でも使われている事は大変素晴らしい事です。当然土産物屋にはなっていません。普通の生活が続く屋敷内の一部を開放してくれているようです。

中に入ると生きた城下町の風土がかすかに感じられます。2016.01.01

整然とそして凛としている街並みが、武家の生活の片鱗を今に伝えているように感じさせてくれます。普通なら安っぽい土産物屋の町になるところですが、生活する人々がそれを防いでくれているようです。2016.01.01

道の左には綺麗な水がたっぷりと満ちた彫が続きます。時折松江城の黒い天守閣が姿を現します。2016.01.01

 

小泉八雲記念館の中に入ってみました。間借りしていた家のようですが元のままかどうかは分かりません。縁側に何気なく置かれた説明板です。

松江城もそしてそれを取り囲む町の佇まいも小泉八雲を魅了せずにはおかなったのでしょう。私も時間があればもっとゆっくり町の中を歩いてみたいと思いました。

後で思えばこの町が今回の旅の最も印象深い場所だったようです。1時15分のバスの出発時刻に遅れないように大急ぎでA地点に戻ることにします。2016.01.01

02/01/2016
 
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