山形県肘折温泉から最上川船下りA最上川船下り    *@肘折温泉

最上川芭蕉ラインの乗船場には往時の戸沢藩古口船番所を再現した門がありました。その横に船番所の由来が掛かれた看板があります。本合海で船に乗った芭蕉もこのあたりで船を乗り換えたのでしょう。お土産物屋で溢れる館内を通って乗船場に向かいます。

乗船するとパンフレットと乗船券をくれます。それらから案内地図と最上川船歌の部分を抜粋しました。船頭さんが歌う船歌は素晴らしく、やっと最上川に来た事が実感されました。

3月27日、肘折温泉からカーナビに従って小口(ふるくち)最上川芭蕉ラインの乗船場に向かいます。本合海(もとあいかい)に出て左折と宿で聞いたのですが、カーナビは途中から雪で塞がれた狭い道路を指示します。かなり早く乗船場に到着。最上川船下りはこの古口から草薙までを60分程掛けて下る芭蕉ラインと、下流部を周回するコース(別々の会社です)があるようです。私の乗った芭蕉ラインの場合、帰路は降船場の草薙から船の到着にあわせてバス¥400が古口まで運んでくれます。車を草薙まで¥2000程で運んでもくれるようです。2012.3.27

古口船番所由来

体の一行が乗り込んだ船が出た後一般の我々が乗船します。天気は晴れ渡っているのですが風が強く、最上川も波立っていました。川に浮かんだ乗船場に渡ると既に舟が横付けされています。長靴を脱いで込み合うといけないので炬燵船の最後尾まで進みます。

さすがに最上川は広く深い流れです。今日の乗客は子供連れの5人家族、女性の二人ずれ、私達二人の9人、それに案内役の船頭と運転する船頭が二人。覆いの掛ったコタツ船の中は熱いくらいです。前回の銀山温泉行では大雪に阻まれ、今回やっと念願が叶いました。2012.3.27

船尾に回った我々がびっくりするほど船内は空いていました。船内の船頭さんと云うのが大変芸達者で景色の説明をしたり、軽口を飛ばしたり、歌を歌ったりと懸命にサービスに努めます。
海の連絡船ほどの風情も無く、船頭さんが乗り込むとすぐ出発です。さすが人気の高い船下りも冬の平日、運航される本数も少ないようです。何艘かの船が係留されているのが見えます。

滔々と流れるとはこのような川の事でしょう。押し出すような水流、これなら米を積んだ船でも容易く海まで流れ下る事が出来ると実感。往時、上り下りとも更に帆を立てて推進力を得ていたそうです。きっちりと締められた窓は開けてはいけないものと思って窓越しに写真を撮っていたのでプラステイック窓の色が写り込んでいます。開けたら締めてれば良い事が分かってからの写真にはこのような茶色の写り込みはありません。

60分程の船下りの間、両岸から幾つかの滝が流れ落ちていました。概して落差のある滝は右岸に多く見らたので、これは多分大滝かもしれません。

船頭さんが「左岸に見えるのが板敷山」と言いながら「みちのくに近き出羽の板敷の 山に年ふるわれぞ侘びしき(詠み人知らず)」と古い和歌をよみました。1689年6月3日(新暦7月19日)船下りをした芭蕉は最上川について「板敷山の北を流れて、果は酒田の海に入」と書いています。歌枕の地を旅する事が大きな目的であったと思われる奥の細道、この変哲のない山も感慨を持って船から眺めたのでしょうか。私も船頭さんの和歌を聞きながら、芭蕉の旅ごころはどんなものだったかとその感慨に思いを巡らして連なる山並が見えなくなるまで見つめていました。

風が強く川面は時々波立っています。船頭さんの説明に右に行ったり左に移動したり。移り変わる景色と地元の言葉の調子のよい語り口に、随分遠くに旅したもんだと感慨に浸りました。2012.2.27

左岸には国道47号線とJR陸羽西線が通っていて大きな滝は見られなかった記憶があります。斜面の樹齢を経た天然杉の美林が目につきます。この滝は尻滝と言った記憶がありますが確かではありません。

右岸の小高い場所に仙人堂が見えてきました。芭蕉が「仙人堂、岸に臨みて立」と書いています。雪が溶けて観光シーズンが開幕するとここに土産物屋などが開店するようです。

ひときわ落差のある白糸の滝が右岸に見えてきました。

芭蕉が「白糸の滝は青葉の隙々に落ちて」と書いています。一羽のカモメが船を追って離れません。餌を求めているそうです。船頭さんが、片足の無いカモメかと云うのでそうだと答えると覚えがあるらしく、かなり昔からこの辺りを飛び回っているカモメだそうです。

今日は山からの追い風が強いせいで船が早く下ったそうで、通常60分程かかるのですが50分程で草薙の降船場に到着。私達は階段を上りお土産物屋が入った最上川リバーポートと呼ばれる建物でバスの到着を20分程待ちます。その間もう一度最上川を見たくて船着き場に降りて見ました。我々を乗せた船はエンジン全開、波を蹴立てて出発地の古口乗船場へと戻って行きました。静かな船着き場で芭蕉の船下りに思いを至らせました。芭蕉は更に下って清川で船を降ります、当時は川沿いに道らしい道が無かったので船運を利用する以外無かったようです。船旅は楽ではあったでしょうが、やっと慣れた大石田や尾花沢の人々との分かれが胸を塞いだのではないでしょうか。見知らぬ土地と人々の中に入って行く緊張感、膨れ上がった最上川の流れが、芭蕉がその覚悟を付けぬうちに素早く運んでいってしまったのではないかと思ったりしました。薄青色の建物は水門の取り入れ口です。2012.3.27

本合海(もとあいかい)

草薙からバスにのって車を止めた古口まで戻ります。乗車したのは二人の女性連れと私達の4人だけです。二人の女性は船の中で互いに写真を取り合いました。姉妹の二人旅で、偶然にも前夜同じ肘折温泉に宿泊したそうです。実家が米沢で、妹さんは現在東京にいるとの事でした。二人は高屋駅でバスと降りました。新庄まで出て新幹線で帰るそうです。私は恥ずかしかったのですが、家人は駅が見えなくなるまで手を振っていました。私達は古口で降りてカーナビを大石田にセットします。これだけ雪が少なければ大石田をめぐれると思ったからです。47号線を新庄に向かって進みます。最上川は大石田を出るまでずっと道連れです。川岸は雪で覆われていて入れないのですが、一か所左側に川に向かって降りる道が見えました。そこに降りて車を止めて川を見に行きました。公園があるようですが一面の雪です。橋の看板を見るとなんと本合海の文字が見えるのです。飛び上がってしまいました。芭蕉はこのあたりから船に乗って最上川を下ったのです。当時古口にあった戸沢藩の船番所で船を乗り継ぎ清川まで船で下りました。2012.3.27

国道を歩いて橋のたもとの隙間から最上川を見ます。何とも異様な景色が眼前に広がっています。雪も付かない急斜面の赤茶けた斜面が右岸に広がっています。鳥居が建っているので祈りたくような場所なのでしょう。
異様な赤茶けた山肌の上流で、最上川の大きな流れがはみ出すのではないかと思うように大きく湾曲しています。元合海を見て芭蕉の跡を辿る旅はまた一つ私に大きな思い出を作ってくれました。2012.03.27
大石田再訪

本合海を過ぎ、新庄からカーナビに導かれて国道13号バイパスに乗ります。最初有料道路かと思ったほど立派な2車線の道です。途中右に分かれて大石田へ、雪がこれだけ少なければ町も見られるのではないかと1月に続いて再訪しました。芭蕉に縁のある町でもありますが、なにより落ち着いた町の風情がとても気にいったのです。これは最上川を上流へと遡る旅になります。

遅くなっても大石田で昼食をと考えていたので、お目当ての「美登利」の到着が2時になってしまいした。駐車場は車で一杯でした。大石田町発行の蕎麦街道のパンフレットを詳細に読んで決めました。店に入る時、店内をちらっと見ると若い人も食べていました。多分これはボキボキして噛むような蕎麦ではないと感じたのです。

期待しながら二人でもりの天麩羅蕎麦を頼みました。これで旅館を含めて4度この地の蕎麦を食べましたが、この蕎麦が最も私達にあっていたようで、大変美味しく食べる事が出来ました。蕎麦はかなり強い腰がありますが極端にボキボキしておらずすすって味わう事が出来ます。蕎麦の風味は申し分ありません。この辺りでは色々な小料理が付いてくるようですがこれらも大変美味で心づかいが感じられます。これ見よがしに大きな海老の天麩羅ではなく、野菜類や多分のあさつき等の野草類が多かったと記憶しています。それらの天麩羅や付け出しは大変この土地らしさを感じて楽しく食べる事が出来ました。蕎麦にも付属の天麩羅や小さな付属の小皿の料理にも気遣いをしている事が見てとれます(洒落ていると言っても良いのですがそれでは軽々しすぎる言い方です、小手先だけではないと言った方があっているかもしれません)。もし再訪する時はこのお蕎麦屋さんを含めたいと思っています。ただ、果たして3度大石田を訪れる事ができるかどうか、暮らす街からの今回の旅の走行距離は約800キロになります。

*ボキボキして噛んで食べる蕎麦が私達に馴染まないだけで、当然この地方独特の蕎麦の味で旨いと言われているのは当然です。つるつるすすって細めの蕎麦を食べ慣れているものが評価を言うのは僭越なのは重々承知しています。単に個人的な好みを言っているとご理解ください。

「美登利」で大石田のお土産をうかがったら、「ぱんどら」と言う大石田駅前のお菓子屋さんを教えてくれました。村の隣人達へのお土産に甲子類を買いこんだら、沢山お買い上げありがとうございますと言って、車の中で食べるお菓子を二人分くれました。何かこのような応対をしてくれた事を暫く忘れていました。この町は良いなと、旅で出会う親切に感謝しました。

駅前から懐かしい大橋に向かいます。雪はすっかり消えていました。橋の脇に車を止めて少し歩いてみました。

大橋から見た往時の大石田河岸の賑わいを描いた長大な壁画が綺麗に出ていました。壁画の裏側の道路は綺麗に除雪されていたので半ばまで歩いてみました。山の見える方向が下流の新庄方面になります。今朝船下りをした古口は新庄より更に下流になります。

大橋に近い「乗船寺(じょうせんじ)」を訪ねました。1月に来た時はこの看板の先端部が僅かに見えていただけでしたが、雪もかなり少なくなっています。本堂などは雪で入れませんので外から手を合わせました。古い釈迦涅槃像があるのですがどこがどこやら分かりません。立石寺を訪ねた芭蕉を本飯田で出迎えた大石田の大庄屋・高桑潜川水の墓があるのでが分かりませんでした。
西光寺に車で向かいます。1月の時は大雪の降る中を歩いて訪れました。その時より雪の量はかなり少なくなっていますが(前回は山門から先へは入れませんでした)江戸時代に建てられた「さみだれ」の句碑はどこにあるやら分かりません。本堂で手を合わせます。

最後に前回雪で行けなかった「向川寺(こうせんじ)」を訪れるべく最上川に掛かる黒滝橋を左岸へと渡ります。雪の壁で標識などが見えません。カーナビを信じて道路に止めさせていただき山の斜面を登ってみました。除雪の跡をたどると素晴らしい景色が眼下に望まれる場所に出ました。そこに除雪の機械が置かれていて集落のどなたかが雪をかいたのだとと分かりました。芭蕉はこの地を散策に訪れ向川寺を参拝しています。この景色を見れば大石田の人々が散策に誘った理由が分かります。

更に道を登ると雪の中から樹齢600年と言われる大きな桂の巨木と異様な塔が見えます。そして異様な建物に見えたのは仏舎利のようです。

これが向川寺のようです。熱心な方がここまで除雪をしてくれていたのでたどり着くことが出来ました。大変ありがたい事だと感謝しました。ここからお寺に手を合わせます。

大石田とお別れです。歴史民俗資料館を見学した折、斉藤茂吉も大石田を大変好み一時この地に居住したことを知りました。そしてその旧居宅を案内していただき、この町に魅了された歌人が居ることを知りました。そして嬉しい事に藤沢周平の「白き瓶」の登場人物との思いがけない邂逅です。大石田河岸の繁栄がもたらした歴史とのびやかな人情、併せて芭蕉の足跡への思い、それら重層的な魅力を持つこの町に引き付けられる私の好みに援軍を得た気分になりました。向川寺で時間を取られてしまい、既に4時を回ってしまいました、県境の村に帰る時間です。

カーナビに村をセットして東根ICへと向かいます。嬉しい事にカーナビが選んだ道は最上川のすぐ脇を進む道でした。別れを惜しむ時間をくれたことになります。13号線に出て東根IC、山形道を走り一気に東北道を経て栃木との県境の村に帰り着いたのは車にライトをつけないといけない頃でした。多くの念願が叶った今回の旅に感謝しなくてはなりません。豪雪の肘折温泉、最上川船下り、大石田再訪、思い出に残る旅は無事終わりました。2012.03.27

02/23/2022
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