深川七福神とその界隈・そのC

深川七福神は、芭蕉が生活した地域とほぼ重なります。俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。素人考えながら、それなら、深川を旅たって向かった奥の細道の風景は、一つながりとして見た方が(芭蕉の心象風景も含めて)分かりやすいのではと思いました。クリッカブル・マップを同じページにおきましたので、深川と奥の細道の風景を行き来していただければと思います。

このウエッブ・サイトでは、”村を歩く”の中で、暮す村の近くに関連する”奥の細道をたどる”を掲載しています。

田村神社 十念寺 相良等窮 かげ沼 乙字ケ滝
関の城下町 追分の明神 白河の関 境の明神 遊行柳 殺生石 二宿の地
 
芭蕉と江戸庶民の町の散策
深川七福神は、7番目の深川神明宮で終わりました。2月4日の一回目の深川詣ではくたびれてしまって芭蕉の地に来ていったん帰宅してしまいました。雨の降る2月12日今回は隅田川に沿って芭蕉の地を歩いてみました。まさに広重の描く”大はしあたけの夕立”です。傘を差しかけながらの散策となりました。廷宝八年(1680)以来、この深川万年橋近辺に、芭蕉は15年間にわたり住まったのです。隅田川の流れに立てば、芭蕉の姿がすぐ傍にあるように思える、そんな場所です。

新大橋から眺める隅田川は水量を満々とたたえ、大都会を流れる大川です。芭蕉の時代もかくやと思うほど船が頻繁にいきかっています。川岸に並ぶ、大川端芭蕉句選を一つづつ胸にしまいこむように読みながら歩きました。大江戸線森下駅から新大橋に出て川岸の遊歩道に出ました。行き交う人も居ない雨の大川端の散策でした。俳句に付いての知識は極めて貧弱です、唯訪れた芭蕉の地をご紹介するに留めました。芭蕉は深川元木場の弟子・杉風の別宅より奥の細道へと旅立ちます。間違いがあるかもしれません、その時はお許しください。地下鉄大江戸線又は新宿線の森下駅から数分の場所です。帰路は万年橋をわたり清澄白河駅まで散歩すると良いでしょう。2008.2.4 12一部2008.2.4、2008.4

芭蕉の地への順路:地下鉄・新宿線又は大江戸線・森下駅下車
森下駅下車、新大橋方面に出てください。一番遠い出口になります 出口を出ると50号線、左・新大橋のスロープが見えます。
 

小名木川の桜芭蕉庵は隅田川とこの小名木川で囲まれた地域に営まれていました。この小名木川の桜は新しく植えられたもので芭蕉が見たものではありません。史実として存在した人々・物語に登場するだけの架空の人々の姿をこの地の桜の景色にはめこんでみました。春の訪れの印である桜の花びらに心が浮かれ、何か吉兆の知らせかも知らないなどと一時の夢を見たんだろうか等と想像を楽しみました。桜の花を映し出した水面を走る貨物船はどこに行くのでしょうか。

現在の新大橋。左岸(深川側)の橋の袂に御船蔵跡の印。大きな安宅丸(船の形式の一種)が解体して沈められているために”あたけ”と言ったと記憶しています。隅田川は現在もかなりの船の行き来が見られます。 広重”おおはしあたけの夕立”(写真右上)。隅田川の大きさを目の前にするとここに橋を渡したことに驚きを感じます。現在の新大橋は広重の描いた大橋より200メートルほど上流にあります。橋際の大橋の説明板を撮影しました。。

小名木川と隅田川の合流地点の史跡庭園にたつ芭蕉像(入場無料)。この日、記念館は休館日でした、外から撮影しました。小雨に濡れて北を向いているように見えます。

 
@奥の細道・銅版製レリーフ

東京都

草の戸も住替る代ぞ雛のいえ

芭蕉が杖をひいた府県別に分類されていました。錆が酷く判別が出来ないのでこれですべてがどうか確かではありません。芭蕉が深川の門人宅を出立したのは元禄二年(1689年)三月二十七日(陽暦5月16日)の事です。

芭蕉記念館は休みでした。次に訪れたときの楽しみに取っておきます。

芭蕉記念館の裏、隅田川の堤防の壁に巨大な銅版製の”奥の細道”レリーフがあります。説明の通りたしかに”わび”と”さび”は良いのですが、さびは(錆)いくら何でも出すぎています。いくつかの俳句は読むことが困難です。一応撮影をしてみましたが、かなり画像処理をしてあります。すべてが撮影できたのかどうかも分かりません。俳句好きの方には多くが記憶されているでしょうから、このようなモニュメントがあると言う事にとどめておいてください。

 
 
蕉句碑@銅版製奥の細道とA芭蕉大川端句選
千住
栃木県
福島県
A大川端芭蕉句選
隅田川の川辺にそってたっています。歩きながら一つ読み、川面を見ながら次の一つまで胸の中で反芻してみます。俳句についての素養の無い私にも、リズムを刻む心地よい言葉の連なりに身を任せたくなります。3度も4度も声に出して読んでいると情景がおぼろげに心の中に落ちていきました。雨の大川端、あたりに人の気配はありません。句碑の先は足を洗うほどのちかみを流れる大川の水だけです。川波が岸辺に打ち寄せていました。
山形県
宮城県・岩手県
秋田県
新潟県・岐阜県
隅田川の堤防の内側にたつ、銅版製の奥の細道句碑、後方の背景は首都高速であり都内のビルであります。都会の排気ガスの影響か腐食が激しく、文字の判読が不能の箇所もあります。句は多分間違っていないと思いますが、、詠んだ場所については違っている場合もありますことをご理解ください。

尚、ご存知のように岐阜県・大垣市の”はまぐりの ふたみにわかれ 
ゆくあきぞ”は奥の細道最後の句です。レイアウトの都合でこの中段におかせていただきました。

深川・煉瓦亭
森下駅と新大橋との中間点あたり、50号線に面しています。
今回、時間を計って芭蕉の地を訪れたので、煉瓦亭で食事をすることが出来ました。銀座の煉瓦亭から暖簾分けした店だそうです。洋食が専門ですが、ラーメンも提供しているところなど雰囲気は日本橋の”たいめいけん”に似ています。一切能書きを言わずに、客の好みまで下りてきてくれるこういう店が好みです。洋食の昼のランチを頼んでみました。3個しか無かったカキフライが絶品でした。これなら次回はカキフライだけをたのみたくなりました。べたつくような嫌らしさのない地元の馴染み客と店の人との会話も、なるほど深川かと楽しく聞き入りました。価格も手ごろです。私の好みとしてはやはり洋食をお勧めしたいと思いました。この地を訪れる楽しみが一つ増えました。森下駅を下りて新大橋に向かうと道路左側にあります。
富山・石川県
福井県
佐伯泰英作”居眠り磐音”の金兵衛長屋へ

(上写真)新大橋からの物語の長屋への入り口と思われるビルです。(下写真)この白いビルの壁を左に曲がると万年橋からの交差点が見えます。更に50メートルほど進んだあたりが長屋があることになります。この新大橋から芭蕉の地を巡るで深川の旅の話は終わることになります。街の人との楽しい出会いが思い出に残ります。

向島・長命寺・芭蕉”雪見の句碑”
向島も深川と同じ川向こうで、江戸の雰囲気が残った街です(たとえ震災や空襲で屋並みは変わっていても)。再度、芭蕉の地を調べる必要があったので、隅田川の桜が満開を迎え頃は良しと出掛けてみました。地下鉄銀座線で浅草まで出て、満開の桜を見ながら向島まで人混みをぬって散策しました。深川が下流・海側になります。

長命寺は確か桜餅が有名です。昼間の向島の街はのんびりとしています。言問橋で川向こうへ渡りました。長命寺は川岸にあります。この季節、桜餅は予約でないと難しいので諦めました。下写真の句碑は噂にたがわず人の背丈ほどの風格のある大きなものでした。
        いざさらば 雪見にころぶ 所まで
帰路は桜橋を渡って浅草まで戻り、地下鉄で深川に出ました。2008.4.1

言問橋から吾妻橋方面を望む、橋のたもとの右側が水上バスの浅草の乗り口です。花見の時期ばかりは長蛇の列。大混雑です。桜の頃吾妻橋を車では通ったことはあるのですが、初めて満開の桜の季節に歩いてみました。隅田川の両岸というスケールの大きな舞台に驚きました。ごみごみとした上野公園より数倍すばらしい所でした。

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09/30/2016
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霊巌寺芭蕉の地万年橋富岡八幡