D美しい塀と路地:長安寺の角を曲がると何とも美しい路地と塀が見えます。この路地の先には何があるのでしょうか、3人連れの若者が話しながら彼方の四辻を曲がって行きました。子供の頃の路地の探検では、路地の角を曲がるたびに馴染みの場所から遠ざかる心細さに引返そうと何度も思います、でもこれから見える新たな世界に心が躍り闇雲に足を進めたものです。路地の先に寺院でしょうか大きな木が見えます。東京にもこれほど美しい場所があったのかと感嘆の声をもらしてしまいました。
この地でこの塀と共に暮らし、守ってきた人々の歴史が奥深い美しさ生みだしているのでしょう。酒が味わいを醸し出すには時間と酵母が欠かせないように、人間の構築物が深みのある美しさを輝かせるためには人々の長い手入れが必要なのではないでしょうか。かっては天秤棒を担いだ物売りが通り、死者をともらう僧侶が通り、子供が歓声を上げながら走り回ったことでしょう。私には人々の思いがこの塀に染み付いているような気がします。上の写真は長安寺の通りから、下は路地の中に入り長安寺の通りに向かって撮影したものです。塀の長さが分かると思います。湯島聖堂の塀の整然とした美しさと谷中の塀の柔らかい温もりを感じる美しさ、共に年月と人々が生み出したものでしょう。共に今でも活きている事が稀有な事に思えます。この塀は赤穂浪士ゆかりの観音寺のものだとの事です。