12月17日電車で田端駅で降りて残されたを東覚寺を回り、谷中七福神を全て回ったことになりました。仕事で通りかかった折にでも、他の七福神に擬せられた寺院もいずれ回って見るつもりで居ます。
江戸時代から、谷中七福神の組み合わせは限定的なものではなかったようです。例えば大黒天をG大黒天経王寺とする場合と、護国院大黒天にする場合があるようです。この”谷中七福神C”では二つの大黒天を参拝しました。尚、佐伯泰英・いねむり磐音江戸双紙をお読みの方は”12巻・探梅ノ家”P271からの”白梅屋敷のお姫様”をご拝読いただければ更に理解が深まると思います。著者は岩崎磐音、桂川国瑞らを弁財天・不忍池弁天堂→毘沙門天・天王寺→寿老人・長安寺と巡らせております。谷中の道筋から考えると著作の中では大黒天を経王寺としているようです(作品中には出てきておりませんが)。2007.12.04
J夕焼けだんだん:階段を上ると、経王寺の前を通って日暮里駅に向かう道となる。以前はこの坂の下に車を止めて買い物が出来たのですが、新しいビルの建築中。明らかに観光客向けと思われる店が散見される。良いことなのか悪いことなのか・・・出来れば薄っぺらな観光客相手の街にならなければ良いのにと、部外者の勝手な希望ですが、念じています。
何とも賑やかなお寺でした。墓地の売り出しののぼりがはためいていました。隣では新しい家が建つのかブルドーザーが動き回っています。修性寺の塀には売り物の福禄寿が幾つも書かれていました。これはこれで、現在を活きるお寺としては避けがたいことでしょう。