谷中七福神・そのD田端・東覚寺 東覚寺へ天王寺へ日暮里へ護国院へ上野公園
2007年12月4日・快晴。冷たい雨の3日に続き4日も谷中七福神を回る。青空が広がり心も晴れやか、行程も捗り6箇所を回る。最初の天王寺毘沙門天はこの中で最も印象的なお寺でした。仕事の予定があるために最後の田端・東覚寺福禄寿は回れなくなり後日訪れることとする。

12月17日電車で田端駅で降りて残されたを東覚寺を回り、谷中七福神を全て回ったことになりました。仕事で通りかかった折にでも、他の七福神に擬せられた寺院もいずれ回って見るつもりで居ます。

江戸時代から、谷中七福神の組み合わせは限定的なものではなかったようです。例えば大黒天をG大黒天経王寺とする場合と、護国院大黒天にする場合があるようです。この”谷中七福神C”では二つの大黒天を参拝しました。尚、佐伯泰英・いねむり磐音江戸双紙をお読みの方は”12巻・探梅ノ家”P271からの”白梅屋敷のお姫様”をご拝読いただければ更に理解が深まると思います。著者は岩崎磐音、桂川国瑞らを弁財天・不忍池弁天堂→毘沙門天・天王寺→寿老人・長安寺と巡らせております。谷中の道筋から考えると著作の中では大黒天を経王寺としているようです(作品中には出てきておりませんが)。2007.12.04

 G経王寺から七面坂を下りる。かなりの急坂な上に対面交通。途中谷中の町らしい場所を通る。ビルとお墓、不忍通り方面を望む。坂を下るとT字路となり本授寺に突き当たる。左に上野方面・右に田端方面。路地は続く。
地図の下方向は上野方面(谷中マップT)、上は田端方面。田端方面は谷中マップVとして左に記入。この中ではDの長安寺横・路地の塀が出色、東京にこんな美しい景色が残っていたとはと感動しました。Eの観音寺とG経王寺N青雲寺が見るべきものが多いと思います。途中左に谷中銀座の散策も楽しいでしょう。Oの東覚寺は動坂の脇、N青雲寺からはかなり離れています。田端駅が近いです。
七面坂が上野の山の下をはしる道路にぶつかるT字路。突き当たりの寺は本授寺。
I谷中銀座商店街。車が止められないので入り口右の飴屋さんで何度か買ったぐらいです。商店街の中に入ったことはありませんが、此処から見ると谷中を訪れたと思われる人々がそぞろ歩いているようです。以前は見られない光景でした。
 K富士見坂:上野の山の上の道と下の道を繋ぐ坂です。名前の通り冬になって空気が澄んでくるとこの空に富士山がはっきりと見えるそうです。ここに車で入ることは危険です、私も坂を下った処で角が曲がれず脂汗を流した経験があります。

J夕焼けだんだん:階段を上ると、経王寺の前を通って日暮里駅に向かう道となる。以前はこの坂の下に車を止めて買い物が出来たのですが、新しいビルの建築中。明らかに観光客向けと思われる店が散見される。良いことなのか悪いことなのか・・・出来れば薄っぺらな観光客相手の街にならなければ良いのにと、部外者の勝手な希望ですが、念じています。

L南泉寺:1616年徳川家から3,200余坪を拝領して開創。美濃・遠山氏の、鎌倉期と思われる念持仏がある。
七福神・五番目・修性寺布袋尊M

 何とも賑やかなお寺でした。墓地の売り出しののぼりがはためいていました。隣では新しい家が建つのかブルドーザーが動き回っています。修性寺の塀には売り物の福禄寿が幾つも書かれていました。これはこれで、現在を活きるお寺としては避けがたいことでしょう。

七福神・六番目・青雲寺恵比寿N
青雲寺本堂横に建つ滝沢馬琴の筆塚の碑。藤沢修平の”喜多川歌麿女絵草紙”の中で、何を考えているか分からないと書かれた馬琴が浮かんできました。たとえ作者の創作であっても、人物がリアルな姿で浮かんでくるのは楽しい事です。
青雲寺は坂道の路地の奥にありました。庭が立派で季節にはその折々の花々が迎えてくれるそうです。今は冬、花は皆冬眠の季節です。
青雲寺を通ると広い通りに出ます。右がJR西日暮里駅。左に向かうと不忍通り、直進するとO東覚寺のある田端方面へと向かいます。
七福神・七番目・東覚寺福禄寿O
 東覚寺福禄寿に掲示されていました。此処では一番になっています。それでも上野の山から田端に向かって下って来たほうが楽な行程のような気がします。
東覚寺は田端駅から動坂を下った所にあります。時間が無かったので12月4日は七福神・六番目・青雲寺恵比寿Nで中止して後日尋ねることにしていました。12月17日、晴天ながら少し冷たい一日、尋ねてみました。これだけでは勿体無いので前から興味があった田端文士村も回って見ることにしました(後日掲載いたします)。東覚寺の”赤紙仁王尊”が異様な姿で立つ。体の具合の悪い場所に赤紙を貼って祈るそうです。快癒したらわらじを持ってお参りにくるとか、多量のわらじがぶら下がっています。多くの病持ちの人々の必死な願いと、幸運にもその願いが叶った人々の喜びが思われます。一面に張られた赤紙の数がわらじの数より多いように思います。それは単に石の不動尊の面積が広いことだけではないようです。2007.12.17
田端駅北口を出て左にP動坂を登りそして下りる。この道の左右に田端文士村が散在する。右側白いビルを右に曲がると東覚寺がある。直進すると不忍通りにぶつかる。 動坂を上って下り出して一つ目の信号を右に曲がる。曲がった通りが赤紙仁王通り。近辺は、再開発なのか区画整理なのか新しい家があっちこっちで建っている。写真の先が動坂の道。左・田端駅方面。(谷中七福神のページ@〜D終わり)
7/5/2008
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