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赤坂氷川神社・獅子山狛犬・吽像  明治15年石彫工・木村藤三

29年3月21日、雨が降っています。赤坂の親類の家に寄りがてら日比谷で評判の映画”ラ・ラ・ランド”を見ようと家を出ました。地元の人の案内で赤坂氷川神社、乃木神社、天祖神社を回って、お勧めの六本木の中華の店で安くて旨いランチを食べて日比谷に向かいました。

最初の赤坂氷川神社では4〜5つの神社分に当る5対の狛犬を見る事が出来ました。2017.03.21

赤坂・氷川神社
赤坂氷川神社住所:港区赤坂6丁目10−12。

親類の家から近いらしく上段右の写真の本氷川坂を登り出すと鎮守の森が見えてきました。登りきると左に入り口、親類の人がもう少し先から入ろうというので、本殿に真っすぐ進む参道が続く入り口から入りました。2017.03.21

 

境内の左に銀杏の巨木が見えます。神社の説明では、”目通り(地上1.5mの高さ)の幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹です”と書かれています。中心部には大きな洞が開いていました。 黒く焦げているようにも見えます。

氷川神社の境内には狛犬も多いのですが沢山の鳥居があります。これが楼門・本殿に続く最後の鳥居です。楼門の先には赤い本殿がみえます。

手前に二組の江戸の狛犬が置かれています。最後の狛犬の吽像が一つ写真の左に写っています。

 

尚、5対の狛犬は本殿に近い方から書かれています。最下段の狛犬が入り口に置かれたものです。

赤坂氷川神社・弘化3年(1846年・丙午)江戸の狛犬

右に置かれた狛犬です。表面の一部が雨のために黒光りしています。台座には大工安五郎・同鎌太郎と彫られているようです。弘化3年(1846年・丙午)に奉納されたようです。阿吽像のどちらが特定できませんでした。

   
左側に置かれた狛犬です、台座には弘化3年弘化3年(1846年・丙午)の年号は同じですが、麻布今井寺町の”9代目・勘兵衛”、左右共に同じ3月です。奉納する人の事情があったのでしょうか異なる石工が彫ったようです。素人の私の印象としては左の狛犬が出来が良いように感じました。尚、台座の文字の写真は左右が異なっている場合もあります。
 
赤坂氷川神社・延宝5年(1677年・丁巳)の江戸の狛犬
久し振りに非常にユニークな江戸の狛犬を見ました。上の弘化3年の狛犬の右少し手前に置かれています。台座などは一部が改修されたのかもしれませんが、かなり低い位置に置かれています。

台座のオリジナル部分に、画像を色々加工してみると”延宝五年”と思える文字が浮かんで見えます。ただ、当時、正字体の”寳”ではなく”宝”と彫るものなのか私には判断が出来ませんでしたが一応、延宝五年と判断しました。

安定感のあるどっしりした外観です。こちらは口が開いているので阿像ではないかと推測しています。

こちらは左に置かれている狛犬です。口を結んだ居るので吽像と推測しました。こちらの狛犬の方が少し小さいように見えます。

デザインが極めてユニークで見る楽しみがあります。周りを何度も回りながら眺めました。

台座に彫られていた文字が薄れて判読することが難しいようです。

右にもしかすると数字などが彫られているようにも見えます。

上部には大きく””赤坂”の文字が見えます。左も”x赤坂町”らしき文字が見えます。尚、この台座の写真は左右を取り違えている場合もあります。

左の狛犬の脇に古い江戸時代の石灯籠がたっています。神社の説明によれば”門外の2基は、遷座の年に岡崎城主老中水野忠之が奉納したものです”と書かれています。美しいすっきりした石灯籠です。
 
赤坂氷川神社・明治15年(1882年)石彫工・木村藤三

境内から見て左手に一際目立つ獅子山の狛犬が置かれています。急ぎ足で近づいてみました。先が石段の下り坂になっていてそこからも下に別の狛犬が見えます。親類の人の話では、この石段の下が、氷川坂から続く本来の入り口だとの事です。石段から見ると右に置かれています、口の開き具合などから阿像を思われます。本殿は狛犬の後ろ側になります。

私の個人的な印象ですが、明治に入ると江戸の狛犬はより動きのある、見ごたえのある姿になっていくように感じます(勿論全てではありませんが)。この明治15年の狛犬も今にも動き出すような躍動的な造形に見えました。2017.03.21

若干大型の狛犬ですが、獅子山の上に乗っているのでその迫力が更に増しています。

見る楽しみが倍加している感じです。

   
こちらは左に置かれた吽像と思われる狛犬、両足にエネルギーをためて低く構えています。正に飛び掛からんとする勢いがあります。
 

獅子山の上から私たちを睨んでいます。獅子山に古い銀座周辺の地名の”京橋南紺屋町”、”石彫工””木村藤x(多分”三”と推測したので藤三と記載しましたが違っているかもしれません)”が彫られています。”石彫工”と言う自称も何か新しい感じがしてしまいます。ウイキペディアによればほぼ現在の銀座を含めた中央区南部が明治11年当時は京橋区と言われていたと書かれていました。

狛犬の先が石段の下り坂に続き、氷川坂に出ます。こちらが本来の入り口のようです。私は大急ぎで石段を下りました。

 

氷川坂からの神社の入り口です。鳥居の手前に狛犬が見えます。狛犬の右手には勝海舟由来の【四合稲荷】がかります。

参道の先の石段を登ると明治15年の獅子山が置かれています。

 

赤坂氷川神社・大正4年(1915年)の狛犬

赤坂氷川神社の狛犬はどれも大変状態が綺麗です。この狛犬も100年以上経ていますが大変綺麗な状態です。

江戸の職人らしい雰囲気を感じるシャキッとした彫りに見えます。こちらは右に置かれていますので阿像のようです。

左に置かれた吽像、どちらも優しい表情が印象的です。吽像の後ろは庭園になっています。雨の降る薄暗い庭園の中で寒椿が咲いていました。
大正天皇の即位の礼を記念して奉納された狛犬のようです。
吽像の後ろの底辺に掛かる太鼓橋。
 
氷川坂から入ると参道の左に四合稲荷があります。神社の説明によれば”幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられました”と書かれています。かなり立派なお稲荷さんです。
 
赤坂氷川神社・最初の狛犬

氷川坂から入ると最初に見える狛犬です。台座の周りが囲まれていて文字を見る事が出来ませんでした。昭和の狛犬と推測されます。この赤坂氷川神社は私が今まで見た中では最も沢山の狛犬が奉納されていたのではないかと思いました。狛犬見物には極めて恵まれた神社だと思います。2017.03.21

沢山の狛犬を見て少し草臥れてしまいました。親類の人が裏道を抜けて乃木神社と天祖神社を案内してくれるとの事で大船に乗った気分です。 神社探しの苦労から解放される今回の狛犬巡りは極めて快適です。

04/17/2021
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