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↑山谷の料亭・八百善と吉原の松葉屋半左エ門寄進・文化12年(乙亥1815年)

27年11月30日、久しぶりに日比谷で映画”黄金のアデーレ”を見る事にしました。それなら午前中は、江戸の狛犬を見る事にしようと朝、早めに出かけてきました。混雑する浅草を早めに見て、隅田川を渡りゆっくりと社を巡る事にしました。 2015.11.30

浅草寺(通称三社さま)
地下鉄銀座線浅草駅を出て馬場通に出ます。隅田川に掛かる吾妻橋とアサヒビールの金のモニュメントを望みます。 仲見世の混雑を避けて裏通りを抜けて浅草寺方向に進みます。中国からの団体が既にかなり見られます。2015.11.30 浅草寺の山門です。この右を通って先に進むと浅草神社があります。2015.11.30

浅草神社住所:台東区浅草2−3−59。神社の方は浅草寺より少し空いていました。まだ、早いので団体が少ないようです。頭を垂れている人がいます、この人は日本の人です。2015.11.30

浅草神社・狛犬阿像・1836年天保七年(丙申)
奉納した人の名前と年号が彫られていました。”田町・文三郎”と”天保七年(丙申)”ではないかと思われる年号が見えます。

境内に入ると大きな自然石の上に大きな狛犬が据えられていました。阿吽像のどちらかが確定できませんが一応右にあり、左の狛犬より少し口の開きが大きいので阿像ではないかと推測しただけです。おおらかな彫で 人なっこい狛犬に見えます、親近感を感じてしまいます。田町は浅草神社の北側にあった町のようです。2015.11.30

浅草神社・狛犬吽像・1836年天保七年(丙申)

左に置かれた狛犬です。怖さを感じない表情です。お参りには適した狛犬との出会いになります。

こちらの石には”山川町大工虎五郎”と大きく奉納した人の名前が彫られていました。山川町は待乳山聖天宮の北麓で山谷掘りに面した江戸の町だったようです。吉原に近い場所になるようです。2015.11.30

浅草神社・本殿前の狛犬・昭和38年

昭和38年社殿復元記念の文字が彫られていました。青銅製と思われる猛々しい狛犬一対です。沢山の寄進した人の名前が書かれていました。

三社祭の賑わいを見ればそれもうなづけます。昔は仕事の関係先が浅草にあったので随分と通いました。地元の人に美味しい食事の場所を随分教えたもらったことを懐かしく思い出します。

美味しくて手頃な価格のうなぎ屋さんの御主人は、三社さまのお祭りになると店は留守になり、家族の人も文句も言わずに店を続けていたのを見てさすが浅草の人だと感心したものでした。2015.11.30

 

漁師が小さな観音像を網で拾ったという話は、江戸の物語には登場人物の口を借りて度々登場するお馴染みの言い伝えのようです。2015.11.30

中国からの団体がやってきたので浅草駅に戻ることにします。手前の大きな狛犬の石像と本殿前の青銅の狛犬を見ています。2015.11.30

境内の鳥居の近くの右に小さな社のようなものがあったので覗いてみました。江戸の狛犬と川口松太郎の句碑がありました。

狛犬はかなり経年による摩耗が進んでいるようです。説明板は気風の良い浅草にしてはちょと泥臭い気がしたので(個人的な感想です、史実かもしれませんが)、相合い傘の無い写真にしました。

人がたくさんやって来たので、仲見世方向に戻るのを止めて本殿右手の二天門から台東区民会館前の大通りに出ました。通りに出るとすぐ”二天門やぶ蕎麦”があります。昔、通りがかりにしばしば立ち寄ったので大変懐かしく感じました。観光地の浅草でも安心して食べられるお蕎麦屋さんです(すぐ近くの並木町のやぶ蕎麦程知られていませんが)、更に東武線浅草駅方面に進むと当時から安くてうまい握り寿司の店が未だ残っていました。2015.11.30

 
東武亀戸線・小村井駅(おむらい)
東武浅草駅から隅田川の川向うに狛犬を見に行きます。亀戸線は初めて乗る電車で勝手が分かりません。駅で聞くと、浅草駅から二つ目の曳舟駅で乗り換えるようです。電車で隅田川を超えます。窓から三囲神社に向かう桜橋が見えました。
スカイツリーがどこからでも見えます。途中のスカイツリー駅(旧業平橋駅)では沢山の人が降りていきました。二つ目の曳舟駅で亀戸線に乗り換え、一つ目の小村井駅に到着しました。
小村井駅を見ながら踏切を渡ります。2015.11.30
香取神社

香取神社住所:東京都墨田区文花2丁目5−8 。最初間違えて線路の北側の明治通りをを京島に向かって歩いてしまいました。どうも様子がおかしいので駅まで戻り聞きました。目指す神社はすぐ分かりました。氏子の人が多いのか立派な社です。駅から進行方向の右手にスカイツリーが見えます。駅から7〜8分でしょうか。2015.11.16

静かな境内でお参りをさせてもらいました。
香取神社・阿像

社の前に据えられた阿像。中々迫力のある狛犬です。狛犬に比べると台座が新しいように見えます。年号などの彫り込みが見つけられませんでした。逆光になってしまい上手く撮影が出来ませんでした。2015.11.30

香取神社・吽像
どこかのんび吽像、私の好みです。胸がかなり大きく膨らませているのが威厳を保っているようです。2015.11.30
香取神社・阿蔵から吽像を望む

阿像と階段との隙間が少ないあために一直線に並んだようになりました。阿像の後ろから見た彫りの仕上がりの完成度はかなり高いように感じます。2015.11.30

参道を出て通りから境内を振り返っています。東武亀戸線小村井駅はこの森の方向になります。駅を背にして左方向に100m程進むと広い明治通りに出ました。明治通りを右折して亀戸方面に向かいます。スカイツリーが右手に見えるようになります。2015.11.16

吾嬬神社(あずま)

墨田区は電信柱にこのような標識が付いていて大変分かりやすい配慮がされています。 明治通りを400m程進むと川に出ます。右手にスカイツリーがくっきりと見えます。 川に掛かる福神橋です。橋の手前を川に沿って左に曲がると10m程先に神社が見えます。

吾嬬神社住所:東京都墨田区立花1丁目1−15。背中の後ろには川が流れています。人家の間に参道が続いています。鳥居は境内を入ったところにあります。

一段高く所に社がありました。社の左には稲荷神社、狛犬は社の裏に作で囲まれて置かれていました。
吾嬬神社狛犬・阿蔵・安政2年《1855年》

狛犬は柵の中で保護されいます。状態が大変綺麗に見えます。長さが80cm程に見える小型の狛犬です。

目を大きく開いています、表情がたいそうかです。小型ながら彫りの線が綺麗に見えます。柵があるので阿像は左側から撮る事になります。

阿像の後姿です。尻尾が団扇状にぴんと広げて立っています。江戸の狛犬の特徴のようです。
吾嬬神社狛犬・吽像・安政2年《1855年》

口を結んだ吽像も阿像と同じく表情が大変豊かで動きを感じさせます。どこかに似たような人が居そうな表情です。彫りの線も滑らかで違和感を感じません。個人的な感想ですが良い狛犬に見えます。

吽像の後ろ姿です。柵で近づけないので確かではありませんが、頭の上にしっかりと角が付いているよいうに見えます。やはり彫りが美しい江戸の狛犬です。
互いに見合っている阿吽像、四股を踏んだような姿には今にも立ち上がりそうな動きが見られます。
稲荷神社
社の右に稲荷神社があります。狐の石像が見えます。稲荷神社の脇を通ると柵に囲まれた狛犬が据えられている場所になります。

狛犬のように右の狐は玉のような(もしかする他のものかもしれません)を足下に御攻めています。左の狐は子狐と一緒です。明治通りを小村井駅に戻ることにします、10分ほどでしょうか。

白髭神社

小村井駅から一つ目の曳舟駅に戻ります。浅草駅と反対側に向かい一つ目の東向島で降ります。2015.11.16

駅は商店街の中にあります。進行方向左、曲がりくねった道を進みます。電柱にこのような標識があります。 駅から7〜8分で白髭神社に到着。此処は隅田川七福神の寿老人が割り当てられています。街の銀杏が黄色に色付いています。

白髭神社住所:東京都墨田区東向島3−5−2。西側には隅田川が流れています、川向こうを西に進めば吉原です。江戸の物語にしばしば登場する場所に居る事になります。

寺島村・小梅村など隅田川上流の農村地帯から川船に野菜を積んで下流の江戸の町に売りに来る江戸の物語はお馴染みです。白髭神社も江戸の物語にしばしば登場する場所です。そこで見る江戸の狛犬は更にリアルに江戸庶民の物語のあれこれを思い出させてくれます。今はそんな場所の何処からもスカイツリーがランドマークとして望めます。

白髭神社の社でお参りをします。振り返ればスカイツリーが見えます。

狛犬は社の目に一対、大変彫りの素晴らしい立派な狛犬でした。

白髭神社・狛犬阿像・文化12年((乙亥1815年)

若干大型の狛犬です。複雑な彫や豊かな表情、贅肉が削り取られたすっきりした外観、個人的には動きのある素晴らしい狛犬に見えます。

江戸の狛犬をそれ程多く見たわけではありませんが、当時の江戸の食文化とファッションの先端であった八百善と吉原の町人が寄進した狛犬らしいと、しみじみと眺めさせてもらいました。

 

白髭神社・狛犬吽像・文化12年((乙亥1815年)

吽像もおおらかな表情です。社を鎮護する厳めしさは感じられません、訪れるものに話し掛けるようにさえ見えます。石工に付いての知識がありませんが、寄進した製作依頼者は目利きであったに違いないと思いました。

 

文化三年とも読めたのですが、干支が丙寅ではないようです。文化12年は乙亥の年ですから間違いはないようです。白髭神社境内の説明板には山谷の料亭・八百善と吉原の松葉屋半左エ門(引き手茶屋ではなく妓楼と思われます)が寄進したと書かれています。

阿像から吽像を見ています。尾から背中まで一面に美しい彫りが施されています。

参道を見るとスカイツリーが空を塞いでいました。狛犬が据え付けられた時代には右に隅田川、その先に富士山が見えた事でしょう。

これからランチを食べて日比谷で映画を見るので急いで浅草まで戻ることにします。

隅田川に掛かる鉄橋を渡ります。左にアサヒ・ビールの金色のモニュメントが見えます。僅かな時間でしたが、3対のグレードの高い江戸の狛犬を見ながら、何処か懐かしさを感じる隅田川東岸の東京の街を散策すことが出来ました。

 
02/18/2019
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