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↑品川神社・石工四郎兵衛作狛犬・寛政4年(壬子・1792年) |
有楽町で映画”トランボ”を見た後、品川に向かいました。随分昔の事ですが、旧東海道の品川宿を訪れて以来です。その当時は狛犬に興味が無かったので、昔訪れた品川寺で、今回は沢山の狛犬を見つけこれに気が付かなかったとはと、いつも目の前しか見ない自分の迂闊さを思い知らされました。2016.08.02
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高山稲荷神社住所:東京都港区高輪4丁目10−23 。JR品川駅を降りて16号線を渡り品川神社を目指して八山橋方向に進みます。ほんの数十メートル歩くと右手に小さな神社があります。まさか狛犬は居ないだろうと思いながら境内を見ると入り口に据えられていました。高輪に親類が居て、しばしば此処を通った事がありますが神社が有ることは全く気が付きませんでした。
2016.08.02 |
高山稲荷神社の狛犬・慶應元年(乙丑・1865年)・石工金治郎 |
かなり狭い境内なので狛犬も隅一杯にあります。塀が背中を押して、加えて木の枝が狛犬の顔を邪魔するので写真を撮るに苦労しました。やや大きめの美しい狛犬です。
右に置かれている狛犬です。口を若干開いているので阿像と推測します。足元の子供が石像の全体のバランスをとる為の良いコントラストなっています。2016.08.02 |
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足下に玉を収めた左側の狛犬、吽像と思われます。吽像の方が見やすいので美しい彫りが生み出した動きのある造形が理解できます。多分慶應元年(乙丑・1865年)と書かれていると推測されます。”丑”と思われる文字が見えます。 |
石工の名前が”金治郎”と読めます。綺麗な彫の線を見ると当時の江戸の石工の人々の技量と、地方の一般的な石工の人々との間には差があったように思いました。 |
阿像の後ろから吽像を見ています。後ろからの姿もバランスが取れているなと石工金治郎という人の技量に感心しました。品川神社を目指して国道16号を北品川駅方向に進みます。新八山橋を渡りました。2016.08.02 |
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品川神社・大正14年狛犬 |
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品川神社・石工四郎兵衛作狛犬・寛政4年(壬子・1792年) |
社に向かって石段を登ります。石段の下で先ほど見た大正14年の狛犬が社を守っているようです。
江戸時代なら海が見える景勝の地であったでしょうが、国道16号の先には京浜急行の高架が立ちはだかっています。石段を登ると汗が噴き出してきます。2016.04.11 |
石工四郎兵衛作狛犬阿像・寛政4年(壬子・1792年) |
寛政4年の江戸の狛犬が石段を登ると目に入りました。当時の将軍は11代の徳川家斉です。
頭に擬宝珠と思われる丸い飾りが彫ってあります。右に据えられて口を開いた姿から阿像と思われます。広い境内なので完成度の高い石像の周りを幾度も回りながらゆっくりと見る事が出来ました。
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石工四郎兵衛作狛犬吽像・寛政4年(壬子・1792年) |
頭に尖った角状の突起が見られます。口を閉じて居る事と左に置かれて居る事から吽像と思われます。台座に寛政四年の年号が見られます。
個人的には子供の狛犬が彫られたものより、神域にはシンプルな狛犬が似合うように思います。見る人に迎合しない職人の潔さが感じられます。
狛犬に付いては知識がないので、記載された文章が間違っている場合もあります。 |
阿像から吽像を見ています。石工の人の名前がはっきりと彫られていました。2016.04.11 |
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浅間神社の狛犬 |
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境内の石段の途中の左に富士塚があります。その先にこの浅間神社、綺麗な狛犬が居ました。日本参道狛犬研究会の人々が寄進したようです。 |
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平成16年に作られたようです。今でもこれほどの狛犬を彫る石工の人が居るのかと感心してしまいました。2016.08.02 |
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セトモノの狛犬 |
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参拝をすべく社に向かっていくとセトモノ製らしい(多分ですが)狛犬が見えました。 |
年号などを探したのですが台座にそれを見つける事は出来ませんでした。一部修復が施されていました。セトモノではどうしても破損から免れないのかもしれません。2016.08.02 |
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品川神社社前の狛犬・明治17年・石工清三郎 |
広い品川神社境内の社までやってきました。社の両脇にも大きな狛犬が据えられていました。この社には合計で5対の狛犬が居る事になります。 |
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左側の狛犬です。高い位置にあるのではっきりとは見えませんが、二頭の子供と牡丹が彫られているように見えます。明治17年と石工清三郎の文字が彫られていました。2016.08.02
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荏原神社住所:品川区北品川2−30−28 。品川神社から僅かの距離でした。京浜急行・新馬場駅からおおよそ5分程度です。2016.08.02
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海に繋がる川に掛かる橋の上から上流の景色を眺めています。
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橋の先に荏原神社の鳥居が見えます。2016.08.02 |
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荏原神社狛犬・吽像・明治29年 |
社の前の木立の中、高い石組の上に堂々たる狛犬が居ました。余りに高く詳細が見られませんが、流れるような美しい彫りの線と動き出さんとするような全体の造形のリアルさが感じられる狛犬です。
はっきりとはしませんが下記の彫が見られるような気がします(間違っているかもしれません)。石組をした職人と狛犬を彫った職人の名前ではないかと推測しました。
石工 中xxxx
彫x師 栗原巳之吉
狛犬の後ろから、竜神様と呼ばれている荏原神社の守り神の龍の首が見えます。2016.08.02 |
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石工の下にも文字が続いているようです。”中”らしいと思いましたが、確かではありません。2016.08.02 |
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荏原神社狛犬・吽像・明治29年 |
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社の周りに彫られた飾りもこれでもかと言うほどの技量を見せつけています。磨き抜かれた技量から生み出される江戸の細工の洗練されている事に改めて感心してしまいました。 |
記憶の中に、社には狛犬が付随しているという印象が焼き付いているせいか、狛犬が居る社の風景は心が落ち着きます。手を合わせて参拝を済ませて帰路に着く事にしました。
荏原神社は東海七福神の恵比寿大黒に見立てられているので入り口に大黒天の像がありました。2016.08.02 |
品川駅までの帰路は旧東海道を歩こうかと思ったのですが、シャツの背中が汗で濡れています。すっかり嫌気がさして近くの京浜急行新馬場駅から電車に乗りました。
荏原神社の狛犬を見て、村の狛犬の中にも牡丹が彫られていることを思い出しました。もしかしたら、江戸の狛犬の実物を見たり、何らかの情報が村に伝わった可能性があるかもしれないと思いました(全く推測ですが)。勿論、村の石工達の知識を形にするだけの技量があった事は当然ですが、次の村の狛犬巡りが楽しみになりました。それにしても静寂だけが満ちた村の鎮守の社の長閑な狛犬達に無性に会いたくなりました。 |
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11/26/2017
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