白河市の狛犬を訪ねてbS・@  Aへ Bへ 
 

↑上の写真は白河市大信・春日神社の大変個性的な狛犬の阿像です  
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この地の石工達の卓抜な技術と造形が生み出す石像群に圧倒されてしまいました。そしてその時の大きな感動がいつまでも残りました。野に立つ石像は長年の風雪にさらされ、石工たちが腕をふるった彫り跡が掠れてきています、追い打ちを掛けるように今回の大震災で多くが打倒されました。神々への感謝の気持ちを、普通の人々の寄進によって形にしたこれらの石像のそれが運命だったのでしょう。そこに暮らす人々が守ってきた鎮守様であったからこそ石工達のこのような創作が許されたとも言えるかもしれません。野にある石像郡のエネルギーに圧倒された旅でした。 2015.08.17

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白河市狛犬一覧とマップはこちらです。
グーグル・マップ訪問地点明細(地図のポイント表示マークは色分けされています)
  各回のホーム・ページ見出し名一覧 実施期間
第1回 @関の城下町 A小峰城と金毘羅神社 B借宿・羽黒神社 2015.6.29〜30
第2回 @中島村周辺 B白河の関周辺 B浅川町周辺 2015.7.13〜14
第3回 @西郷村~白河市 A国津神社・羽黒神社 B鐘鋳神社と貫秀寺

2015.7.27~28

第4回 @白河市大信 A白河市近津神社他 B二つの角折神社

2015.8.17〜18

第5回 @西郷村4つの社 A石川町八幡神社他 B小松布孝と小林和平 2015.9.7〜8
第6回 @西郷村から白河市 A白河大信から天栄村 B浅川町 C棚倉町 2015.9.28〜9
泉崎村・うお政で昼食
昼食を食べ終わったら会津名物の金山カボチャを煮たからどうぞと出してくれました。
JA白河の直売所・り菜庵で桃や野菜を購入の後に近くの狛犬を見る事にしました。その前に、今回家人の知り合いが是非”うお政”で昼食をと言うので4号線を北上します。

かなり頻繁に村を訪れる我々と違い、知り合いの人は2年ぶりだとの事。JAでも目の色を変えて買いまくりました。値段は東京の半額近く、新鮮で味が良いので最ものことだと思いました。うお政も楽しみにしていたようでした。

混雑を避けて12時半に到着、私は刺身定食、他の二人は海鮮丼、確か共に¥980だったと思います。付け合わせが3種類、お変わり自由のご飯とみそ汁が付いています。心のこもったもてなしです。味が良くて量が多いので家人はご飯を半分も残しました。私が片づけると、知り合いの人も口ほどにもなく刺身も少しとご飯を半分残してしまいました。親切なご主人は例の如く勿体ないからと刺身ごと握り飯を2個作ってくれました。夜おじやにして食したら大変美味でした。カボチャは私達だけではなくもう一組のお客さんにも出していました。何時もながらの心のこもったもてなしに心が癒されます。2015.08.17

カーナビに入れる住所:福島県西白河郡泉崎村泉崎山ケ入45−1:営業時間午前11時〜午後1時(売切れ次第終了)2015.08.17
白河市・村社八幡神社そんしゃ・はちまんじんじゃ)
雨が止みそうもありません。カーナビに入れる住所:白河市大信増見八幡山160。会津若松と白河を結ぶ幹線道路・294号線の脇にこの鳥居が見えます。駐車場は無いようなので、鳥居の反対側の294号線がバス停で膨らんでいるので、バスの邪魔にならないように止めさせてもらいました。2015.08.17
車の行きかう会津街道を見つめる迫力のある吽像、彫もかなり確りとしているように感じました。

*禁・無断使用

顎の下のデザインはどかで似たようなものを見た記憶があります。熊野神社の狛犬を彫った地元、大信の真舩卯エ門と言う石工の人ではないかと推測していますが確かではありません。

花弁と思われる彫が幾つか見えます、恐れ多い事ですがまさに唐獅子牡丹じゃないかと思いました。

ここでも阿像と吽像が左右逆になっているようです。一般的には右・阿像、左・吽像となりますがこの春日神社は右・吽像、左・阿蔵になっているようです。 2015.08.17

春日神社阿像

白河ではしばしば目にすることですが一般的に右にある阿像が左に置かれているようです。彫った人の名前は私には見つけられませんでしたが年号が昭和4年と彫り込まれていました。

中々風格のある阿像の後ろ姿です。見つめる先は白河と会津若松の幹線道路なので、大型車も多く頻繁に車が行き交います。2015.08.17

石工名に付いて:手持ちの画像データを再度検証したところ、年代と共に最も克明に刻まれた”東京(?)真船初吉”の文字が写っていました。神社所在地の大信の石工・真舩卯エ門の東京?に出た縁者が奉納したのでと言ういささか強引な物語を推測したのですが、素人の第一印象を裏付ける手がかりになるのではないかと思ってしまいました。卯右衛門はしばしば”石工・大信増見”と刻むのですが、果たして東京の文字は強引な思い込みで大丈夫なのかと大きな不安はあるのですが、一応見た瞬間のインスピレーションと頼りに真舩卯エ門の狛犬と推測しました、間違いが判明次第訂正いたします。白河市の石工一覧

落ち葉を踏んで参道を緩やかに登りました。 見下ろすと鳥居と狛犬が見えます。

静かな社殿の前で頭をたれ柏手をうちました。八幡神社前の道は何度か通ったのですが、その時は狛犬など興味もなかったので気付かずに通り過ぎていました。

近頃は村の道を走っていると鳥居がないかと探しています。 2015.08.17

   
白河市・村社春日神社そんしゃ・かすがじんじゃ)
カーナビに入れる住所:白河市大信隈戸日渡110。家々に屋号が付いた集落に入ると、白河方面の標識が4号線から来た場合左にあります。その先に雑貨店のつるや商店が右にみえます。狭い道を右折して400m程進むと行き止り。それを右折すると30m程。
春日神社には大変ユニークな狛犬が見られるとの事楽しみにしてやってきました。先ほどの八幡神社の近くです。たしかにモダン・アート(余りこの言葉を使いたくないのですが)のような狛犬が置かれていました。 2015.08.17

一面の田圃が広がっています。山側に狛犬と鳥居の美しい神社がありました。駐車場はないので出来るだけ道の脇に寄せて止めさせてもらいました。

雨が降り続きます。傘をさしてお参りをしました。 2015.08.17

春日神社吽像・大正13年(1924年)

はっきりと確認が出来ませんがこれは右にありますが吽像だと思います。やはり一般的には阿像の位置なので逆になっているようです。風格のある狛犬です。雨に濡れて石面が薄く光を反射していました。

先ほど訪れた八幡神社の狛犬と同じ作者で熊野神社の狛犬も彫った地元、大信の真舩卯エ門のように推測されます。 2015.08.17

台座に”大正13年参拝”の文字が彫られています。画像の左端も年号と参拝の文字が見えますが欠落しています(大正は見えます)。例え2度の参拝(伊勢神宮と思われますが)があってもそれ程奉納した年号と離れて居ないと思われるので、奉納を大正13年としました。
春日神社阿像
左側に置かれた阿像、彫も繊細で毛のカーブもゆるみが見えないと感じました。美しい狛犬です。

歩きやすい石段を登り社に向かいます。境内の両側に狛犬らしきものが見えます。

これがもう一対の狛犬のようです。

 
春日神社のユニークな阿像

これがしばしば写真で見る春日神社の社前にある阿像です。なんとも思い切った石像を作ったものだと感銘を受けました。

依頼した集落の人々にも、彫った石工の職人にも、このような石像を残してくれた事に感謝しなくてはなりません。緑に覆われた静かな社に立って雨に濡れる石像をしばし眺めました。

年代・石工名などは不明ですが、鳥居と灯篭が江戸時代であることから、この狛犬も江戸時代ではないかと推測しています。

春日神社のユニークな吽像

こちらは吽像ですが残念ながら経年の為にかなり欠落した部分があるようです。二つの狛犬は吠えあっているように見えました。

JA直売所に訪ねる折に再度お参りにこようと思います。神社の周りの景色、境内の雰囲気も大変落ち着いた感じを与えてくれます。

静かにお参りが出来る神社です。

簡素な社でお参りをさせてもらいました。

鳥居に彫られた年号

天明五年(乙巳・1785年)と彫られていました。天明2年〜8年の天明の大飢饉・天明3年の浅間山の大噴火と続く困難の時代にこのような鳥居が奉納されたようです。この集落は宿場町だったようで今でも各家には屋号が表示されています。因みに、時代小説にはおなじみの田沼政治から天明7年の白河藩主・松平定信の寛政の改革が始まる時代のようです。明治維新のおよそ80年前の寄進と言う事になります。

石灯籠に彫られた年号

文久元年(辛酉・1861年)と彫られていました。

石段を下り、鳥居ともう一対の狛犬の置かれた場所まで戻りました。その先には色付きだした稲生が続いたいます。営々と引き継がれてきたこの社の氏子の人々の生活の場が広がっていました。今日は雨が止みそうにありません。県境の村に戻ることにします。
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