|
|
カーナビに白河市借宿親地1まで入れて目的地を示すのですが神社が見えません。ゴールを示す場所を通り過ぎて引き返すと、農産物の直売所がありました。買い物をしながら羽黒神社を訪ねると、売店の先を曲がったところと教えてくれました。売店の駐車場から歩いて行くと確かに写真の羽黒神社があったのですが狛犬などは皆無です、別の羽黒神社のようです。売店まで戻り新地山を訪ねると100m程白河寄りに有る事を教えてくれました。尚、カーナビに入れる場合の狛犬の羽黒神社の住所:福島県白河市借宿親地1。 |
日本機械技術(株) 白河工場 (福島県白河市借宿古内5)をカーナビに入れると良いでしょう。白河方面から行くと手前に信号があり、左角にセブン・イレブンがあります。そこから信号を越えるとすぐにこの会社の看板が左手に見えます。そして少し先の左手に小山が見えるでしょう、それが新地山で狛犬のある羽黒神社があります。緩やかな右カーブの登り、左の護岸を注意しながら進むと護岸に2m程の切れ目があります。そこが神社の入り口になります。 |
知っている方には何でもないでしょうが、余所者の私には散々迷ってしまいました。近辺の地図を添付しました。尚、農産物直売所は地元の農家の人々が出しているようで新鮮で非常に安価でした。白河市JAの”り菜庵”に品揃えは及びませんが出来る限り両方を訪れたいと思いました。そうであれば今後も幾度となく借宿を訪ねる事が出来そうです。 |
|
|
|
これが11号線・御斉所街道、写真の先が白河市方面、後ろが石川方面、農産物直売所はここから石川方面に100m程進んだ右手にあります。羽黒神社はブロックの護岸が続く中に2m程開いた場所があります。鳥居が見えます。知らずに通り過ぎる恐れがあります。私も昨日29日、此処を探しながら通ったのですが分からずに諦めて村に戻りました。車は神社入口から石川方面に20m程進むと左に集落に分岐する道がありましたのでその角に止めました。20015.06.30
|
|
羽黒神社の石段を登るとすぐ小松寅吉作と言われる狛犬が出迎えてくれます。
阿像です。少し中立気味の感じです。私が町で見る狛犬はお尻を地面に着けたような姿ですが、この狛犬は今にも動きだしそうに見えます。豊かな表情、美しい毛の彫り、素人から見ても緩みのない石像に見えました。
|
吽像、ふさふさとした毛がやはりリアルな生き物を感じさせます。子供が親を見上げている姿が更に本物らしい物語を語りかけてくる狛犬です。個人的に興味を覚えるのは、神域にあるにはいささか生臭さを感じさせる彫物を見る楽しさがあるようです。
|
何度も探してやっとたどり着いたこの場所に立って少し興奮していたようです。彫り込まれている銘などを撮影する事を忘れてしまいました。明治26年の年号だけを撮影したようです。
此処には幾つかの目を引く彫物が立っているので目移りしてしまいます。明治26年の建立と彫られていました。 |
松平定信歌碑の柵 |
草むした境内の左奥に目指すものが見えます。松平定信の歌碑を囲む柵です。
狛犬と言う制約から解放された小松寅吉の精緻な技術と奔放な意匠がちりばめられています。
多量な対象が一点の緩みも無く彫り込まれています。一度で鑑賞するには重すぎるようです。前面は両開きにになっているようで、右側の金具が少し外れ居ました。地震の影響かもしれません。 |
|
|
|
この柵の中には右側の松平定信の歌碑が立っていました。中に入るわけにもいかず写真から一部の文字を判読すると境内説明板に書かれた定信の歌か彫られているようです。”世々へても 心の奥に通ほらし 人忘れずの山の奥の嵐は”
|
|
|
狛犬の右に大きな塔楼が立っています。小松寅吉の作品のようですが、興奮していて名前などを確認しませんでした。度々訪れる事になると思うので次回はもっと細かく確認をしたい思います。
精緻な作りと奔放な造形美は寅吉作品であることは多分確かだと思います。
中段のこちらが後ろだと思うのですが、船の舳先か鮫のような迫力です。 |
|
横から見た写真で彫の緊張を切らさない緩みのない彫の線が見る気を起こさせてくれます。左側が後ろから見て鮫か船かと思った尻尾の方だと思います。 |
|
|
こちらが前面だと思います。中段には龍か亀と思われる生き物が首を伸ばしている恐ろしい様相です。上段には多分龍と思える生き物が巻きついているようです。 |
|
|
|
これが中段の生き物の像の拡大した写真です。歯が彫られているように見えます。亀だとしても随分と恐ろしい顔つきです。 |
|
上段の彫で龍のように見えます。素人の推測ですがこれも本体と一体に彫られたのものではないのでしょうか。 |
|
今は草むした境内は驚くべき石の彫像が林立している静寂の場所です。一人占めで、この豊穣な空間に身を置いてそれらを眺めています。誰でもが何時でも自由に鑑賞が出来るミュージアム、これ程の美術館はそれ程多くはないでしょう。そしてそれがこの近辺にはまだまだ有る事は驚くべき事です。坂本観音に向かう事にしました。2015.06.30 |
|
|
|
木陰が境内を覆い、足元には下草が茂っています。その中に2頭の馬の石造がひっそりと立っています。
右側の馬が若干小型でやさしい様な印象を受けます。外観にはオスと思われるものが見られます。造りが平凡で力強さを感じません。
台座に福貴作(福島県浅川町の地名)・小松布行と彫られています。布行は小松寅吉の子息・亀之助の名前だと思います。
因みに、小林和平の馬の石像は中島村の羽黒神社にあります。 |
最初この馬が小松布孝(小松寅吉)の作品だと勘違いしてしまいました。それにしては迫力が足りないと首を傾げていたのです。
後日調べるとこの牡の馬は、破損した小松布行の作品(もしかしたら父であり師匠である布孝との合作)を高坂庄司と言う人により作り直されたものだと分かりました。名前は残しておいたようです。 |
作り直されたオスから小松布孝(寅吉)の馬の像を見ています。 |
|
二つの石像に挟まれた小さな社に奉納された品々です。神様はご神体の立派さの程度に応じて宿るとは思えません、神様ならこのような木片をささげる心にも応分に宿るに違いないと思うのです。ほのぼのとした風景を目にすることが出来たことに感謝して手を合わせました。 |
これが小松布孝(小松寅吉)作の牝馬です。右の馬より大きく活き活きとしています。巨大な尻尾がただの馬を作る以上の創意が感じられます。注文主の想像以上の仕事だったと思います。説明板によれば明治37年の作品のようです。 |
|
白河地方はしばしば馬市が立つほど馬に馴染んだ土地柄です。当時はまだ馬市があったと推測されます。近在からも小峰城の馬市に多くの人が集まったようです。当然サラブレッドなどではなく、人間とともに同じ家で暮らした、小松布孝にも、依頼者の村人達にも見慣れた農耕馬に違いありません。
神様に馬の像を奉納した人々の気持ちを汲んだ作品に思えます。2015.06.30 |
|
小松布孝の牝馬から境内を望んでいます。境内は草生しています。それさえも私には心が癒される空間を生み出していると感じています。 |
|
坂本公民館に戻ろうと坂を下りました。木々の間から小松布孝の静かに立つ牝馬が見えました。2015.06.30 |
今回は初めての石像巡りで慌てたり興奮したりで見るべきところを見落としたようです。慌てる事はないのです、しばしば村に来る機会があるので何時でもこれらの素晴らしい野天の美術館を訪れる事が出来るのです。白河市の狛犬を巡る@AB終わり。2015.06.30
|