狛犬を訪ねてbP・関の城下町狛犬巡り@白河市の狛犬 Aへ Bへ  狛犬トップへ
         ↑上の写真が小松寅吉作の白河市・鹿島神社の吽形の狛犬

この地の石工達の卓抜な技術と造形が生み出す石像群に圧倒されてしまいました。そしてその時の大きな感動がいつまでも残りました。野に立つ石像は長年の風雪にさらされ、石工たちが腕をふるった彫り跡が掠れてきています、追い打ちを掛けるように今回の大震災で多くが打倒されました。神々への感謝の気持ちを、普通の人々の寄進によって形にしたこれらの石像のそれが運命だったのでしょう。そこに暮らす人々が守ってきた鎮守様であったからこそ石工達のこのような創作が許されたとも言えるかもしれません。

多くが近隣の人々が営々と維持管理を続けてきた静かな神社ですが、その信仰心のお蔭で私がこれらを見る事が出来るわけで、冷気に包まれた神域に足を踏み入れるたびにありがたいと言う気持ちが湧いてきます。それは世知辛い日常を生きる私の心を癒してくれる感情でした、加えて野にある石像郡のエネルギーに圧倒された旅でもありました。 2015.06.29

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白河市の石工   白河市狛犬データ・ベー・ス年代別一覧表

第1回、第2回、狛犬巡りの地図です。ポイント表示マークはカラーで分けてあります。カーナビに入れる住所と写真、簡単な説明文、ポイント地点の閲覧ホーム・ページのリンクが付いています。知識が乏しい為に説明に間違いがあるかもしれません。前もってお詫びしておきます。徐々に訂正を行ってまいります。グーグル・マップ中印は小松利平・布孝(寅吉)、小林和平に関係する狛犬・石像です。銘が彫られていないものや推測の石像も含まれています。このグーグル・マップ”狛犬を巡る”はブラウザーによっては作動しない場合があります。

白河市の狛犬・掲載リスト(同名神社が複数あります) 改定 02/06/2022 スライド
都都古和気山神社 春日神社 鹿島神社@ 白河神社 角折神社
厳島神社 熊野神社 神宮寺 五龍地神社 社八幡神社
南湖神社 聯芳寺 坂本観音 諏訪神社 羽黒神社
境の明神 鹿島神社 近津神社(ちかず) 角折神社(つのおり) 羽黒神社
八幡神社 金毘羅神社 都々古和気(つつこわけ)神社 角折神社 国津神社
矢越神社 庭渡神社 桜と狛犬・南湖神社聯芳寺 白河天神 杜八幡神社
八雲神社 三柱神社 白山姫神社 妙関寺 八竜神神社
成田山圓養寺 虚空蔵堂 皇徳寺と笠原神社 鳥住神社  
 

これらの石像群の中でもは信州高遠藩石工であったと言われる、白河市近くの石材産地である浅川町の小松利平、小松家の養子となった小松寅吉(左写真のように小松布孝と彫る場合もあるようです)、その弟子である小林和平に関連するものが傑出した作りとして訪れる人々を驚かせているようです。

専門的な知識があるわけではないのですが、白河近辺は浅川町のみならず白河石をはじめとして昔から石材の産地であったことから、多くの石工の人々が存在して互いに技量を高めて来た事がこのような石像群が生まれたのではないかと推測しています。彼等の奔放な想像力と高い技量、それが生み出す美しさは単なる飾り物の域を超えているように感じました。その地に暮らす人々の願いを込めた野にあるこれらの石像は、風雪に晒されてやがて消滅する儚さを秘めている事が今見なくてはと人々を引き付けるのかもしれません。抹香臭さを感じさせないこの地の石造群は、現代の人々にもため息をつかさずにはおかないでしょう、それらを訪ねる旅なのです。

多くの神社が無住、更に目立たない場合が多く遠方から訪れた人は探すのに難儀をするかもしれません。悪い事に同名の神社がかなり多く特定が更に困難です。私は白河市役所の観光課にうかがって丁寧な説明を受けましたが、加えて市内・小峰城前に緑色のテントの下に常駐する観光ボランテイアの方にも尋ねにいきました。以前も訪ねた事があるのですが、この人々は大変親切で知識も豊富です、県外から訪問する場合は最初に尋ねると良いでしょう。

ウイキペデイアによれば、右側の像は口を開いた獅子で『阿形(あぎょう・阿像と書かれているものもあるようです)』と呼ばれるそうです。此処では阿像と書こうと思います。

左側が、口を閉じ古いものには角が付いた狛犬像で『吽形(うんぎょう・吽像と書かれている場合もあります)』になるようです。此処では吽像と書こうと思います。さまざまな形が創作されだしたのは江戸時代以降のようです。私の興味は、頻繁に訪れるこの地の人々の思いを乗せた狛犬を見ながら、あたりの景色と神社の佇まいに目をやり人々の願いに思いを馳せたいと言うことなのです。偶然頻繁に訪れる栃木県と福島県の県境の村の近くに江戸時代終わりから昭和初期にかけての素晴らしい狛犬群がある事は大きな幸運といえます。2015.06.29

白河市の狛犬・聯芳寺・鈴木寛治氏の墓
 

聯芳寺駐車場の前の斜面の石段の前に置かれていました。聯芳寺の境内にあるようにみえますがその関係は分かりませんでした。後日、三柱神社と言う扁額を石段の上で見つけました。

白河周辺の狛犬巡りは、地元の方に聞いても分からない事が間々あるほど分かりにくい場所が多いのです。カーナビ頼りの他所からの訪問者である私には、一度でたどり着いた場所は3割ほどだったと思います。その中でもこの聯芳寺は大変分かりやすかったのですが、目指す墳墓を探すのに大汗をかきました。駐車場に車を入れると目の前に狛犬が座しています。難しい事は分かりませんが神仏習合の名残なのでしょうか。

そして戊辰戦争関連の慰霊の碑があります。この聯芳寺には以前芭蕉の句碑を見学に来た事があります。20015.06.28

これがこの狛犬を作った石工の人の名前で三国岩次郎と読めます。因みに隣の西郷村の妙見神社の昭和の9年の狛犬もこの三国岩次郎が彫っているようです。

後日ここは三柱神社と言う事が分かりました

聯芳寺はこの住所と電話を入れることでカーナビが導いてくれます。白河市向寺98・電話0248−23−3753

 

白河市内には戊辰戦争に関する石碑が各地で見られます。奥州の人々には忘れがたい歴史なのでしょう。薩長軍の犠牲者を慰霊した碑もあることから、常々感じる城下町らしい矜持を感じてしまいます。
目指すお墓の場所が分からず斜面右手に見える大きな墓かと思い上まで登って見ましたが違っていました。上から眺めています。仕事をしている方が居たので聞いたのですが分かりません。古い墓なら本堂近くではないかと教えていただいたので下まで下りてみました。写真右上の木々の右が本堂ですが、その木の下に目指す墓がありました。2015.06.29
鈴木寛治氏墓

本堂の右、大きな桜の枝が差し掛ける辺りで目的のお墓を見つけました。小松布孝(寅吉)作の石造

前から栃木県北部から福島県南地域には特異な狛犬が多く存在する事を知っていましたが、村に来ればやる事が多く中々狛犬まで足が向きませんでした。6月も終わり草花の季節が通り過ぎて行きます。蒔き時を合せなくてはならない畑仕事も終わったので福島県南の狛犬巡りを始める事にしました。

との初めての対面です。

手を合わせてから見させていただきました。

小松布孝(寅吉)の作ったお墓を見て度肝を抜かれました。作った石工の奔放な造形に感嘆してしまいました、そしてこれを作らせた人も凄いものだと思いました。

一部が震災で倒壊したようですが綺麗になっていました。手前の花の見事な彫を見て石にこれほどの微細な陰影をつけた造形に見惚れてしまいました。花の後ろには大きな亀の上に乗った墓石が見られます。

墓石の上には多分鶴と思われる大きな鳥が乗っています。多分この首の部分が欠落したのかもしれません。

大きな翼を伸ばして墓石を抱きかかえているように見えます。

岩石にこれだけの細工をするには当然大きな筋肉が要求されます。冷房の効いた部屋でイメージを膨らませる作業とは訳が違うでしょう。束縛を逃れた奔放なイメージ、汗を飛ばしながらの筋肉の躍動、強い持続力、ナマッチロイ感動とは異質の清々しい生命の息吹きを感じてしまいました。2015.06.29

聯芳寺・芭蕉句碑

聯芳寺本堂正面の左側に芭蕉句碑があります。右は説明板です。関守の宿を 水鶏(くいな)に とはふもの(問おう)

右は聯芳寺の本堂です。左手に駐車場、右手に小松寅吉作のお墓があります。次の鹿島神社に向かいます。
白河市の狛犬・鹿島神社  二回目 三回目
白河市内にある最も由緒ある神社がこの鹿島神社です。カーナビには住所:白河市大鹿島8・電話:0248−23−3079と入れてください。
 
拝殿前の狛犬・慶応2年(1866年)・石工・双石村、伊右衛門

本殿の前に狛犬が2組奉納されていますが、一つはあたらしい狛犬です。本殿寄りの一対はかなり古く慶応2年の年号と、石工・双石村、伊右衛門の銘が彫られていました。下調べした狛犬が見当たりません。一応池に掛る太鼓橋を渡り入口の鳥居まで歩いてみました。

家人が社務所に居た人に尋ねると、私達が尋ねようとする神社は、この大きな鹿島神社と異なるもう一つの鹿島神社だと教えてくれました。わざわざプリントした地図を添えて説明をしてくれたそうです(狛犬巡りの人が多いようです)。街では同名の神社が二つもある事等考えられません、無理も無い間違いだったようです。それでもこの城下町の人々の親切心に接して心が癒された気分です。どこかのんびりとしていて、下世話な言い方をすれば商売っ気が非常に少ない事が、忙しない街の暮らしになれた私には嬉しい場所になります。

口を開いた凛々しい阿像はシンプルな作りですが表情に品が感じられます。白河の鹿島神社の本殿を守る狛犬ならそれなり石工を選んだと思われます。

吽像は子供の狛犬が見る人と目が合うように作られていて活き活きとした造形を感じました。太鼓橋を越えて入口の鳥居まで歩いてみました。2015.06.29

白河の石工参照

太鼓橋から鳥居までの間に三対の狛犬が見られます。ユニークな姿の吽像です。余りにも珍妙なので一見猿かと思いました。知識がないので分かりません。阿像を撮影する事を忘れてしまいました。2015.10.27に鹿島神社を訪れて台座を調べたところ、石工の名前と年号を見つけました。

大高長八・狛犬・文政11年(1828年)の狛犬です。長期政権の将軍・徳川家斉の時代にあたります。寛政の改革を主導した松平定信は、この狛犬が奉納された1年後の文政12年(1829年)、江戸にて逝去している為に、多分この狛犬を目にすることはなかったでしょう(もし目にしていたら楽しい物語になるのですが)。白河の石工参照

 
大高三二・昭和4年(1929年)

因みにこの狛犬も上の安政11年の狛犬と同じ大高姓の”大高三二”作です。

白河の石工参照

 
 
昭和四年に今井伊八と言う人が寄贈したと思われます。
 
野田平業狛犬・昭和5年(1930年)・32歳作品
 

野田平業と言う人は白河市横町にいた石工と福島県の説明にありました。今でも白河石の石切り場がある土地ですから、当時市内に多くの石工が居た事は当然な事でしょう。この名前が彫られた狛犬はかなり多く存在するようです。神社入り口の鳥居近くの狛犬です。毛並みが美しい意匠です。少し立った姿勢の為に見上げるような感じになります。確か銘などが記されていなかったと思います。初めての狛犬を巡る旅なので様子が分かりません。2015.06.29

こちらが吽像です。
白河市の狛犬・もう一つの鹿島神社   2回目

福島県白河市東下野出島坂口303−8・電話0248−34−3185の神宮寺をカーナビに入れてください(市内の鹿島神社の方が教えてくれました)。 神宮寺の駐車場が目的地になります。鹿島神社はその右奥にあります。神宮寺墓地の中に佐久間由松と言う人の墓が小松寅吉が作った墓と推測されているようですので、一緒に見学すると良いでしょう。私は鹿島神社だけを目指して見損なってしまいました。

鹿島神社は神宮寺の駐車場から更に30m程進むと左に登る道が見えます。そこを入るとすぐ左側に駐車スペースがあります。

鹿島神社の鳥居です。左に神宮寺の墓地が見えます。

鳥居をくぐり落ち葉が積もる心地よい参道を進みました。左は竹林が続きます。
ワクワクしながら本殿の階段を登りだすと異様な姿の狛犬が睨んでいます。右手の阿像の狛犬です。地震で破損し補修が終わったと言うプレートが取り付けられていました。

突拍子もない造形が生み出す迫力に圧倒されます。それを絵空事には見せない細かな彫りが生み出すリアルな表情。

小松寅吉の名の一つである石工・小松布孝と彫られています。浅川町福貴作は小松寅吉の在所になります。明治36年の建立と記されています。

本殿左の吽像です。こちらのほうが地震の被害が少なかったように見えます。

どのような姿なのかイメージが浮かびませんが、圧倒的な迫力です。

吽像の狛犬の顔の部分です。心の中を見通すかのような目付きに見えます。笑っているような口元、迫力のある像です。
後ろ姿です。靡いているような毛が、燃える炎のように激しい情景を浮かび上がらせています。
本殿の階段を下ります。翅を広げたような狛犬のシルエットが見えます。途中の塔楼の意匠も奇抜です。県境の村の帰路、白河市表郷の都都古和気神社に寄る事にします。2015.06.29
白河市の狛犬・ 都々古和気(つつこわけ)神社
福島県白河市表郷三森都々古山 都々古山1番地とカーナビに入力すると神社の鳥居の前に戸着します。そこに白河の野田平業の狛犬があります。
 
野田平業・昭和3年(1928年) 白河の石工・野田平業30歳の作品です
 
鬱蒼と杉並木が続く参道がぽっかりと口を開けています。鳥居と狛犬が置かれています。幸いな事に今回の地震でも大きな被害は無かったように見えます。白河市横町の石工野田平業について
 
吽像の狛犬のシルエットが大変美しいと思いました。違和感を感じません。細部の彫の線もスムースな感じがします。心地よく対面が出来る狛犬です。2015.06.29
 
口を開けた吽像の狛犬を正面から見ています。親しみを感じる姿に見えます。白河市横町の石工野田平業について
 
吽像の狛犬です。一部の石の部分に苔が付いています。ふっくらとした姿です。
 
吽像の狛犬を正面から見ています。細部の作りに緩みが見られません。白河市横町の石工野田平業について

建立年月日が昭和3年、寄贈者が芳賀さんと言う方のようです。白河市の横町に住んでいた野田平業の名前が彫り込まれています。

白河市横町の石工野田平業について

杉並木の続く爽やかな参道を緩やかに登って行きました。本堂までの道は行き止まりを左に登ります。
神社本殿の横に縁起が書かれていました。かなり由緒のある神社のようです。
本殿を後にして車に戻ります。数時間の狛犬巡りでしたが十分驚きと感動を得る事が出来ました。県境の村からそれ程遠くない場所にまだまだ多くの楽しみが埋もれている事が分かり、今後の訪問が待ち遠しくなりました。2015.06.29
 
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