白河市の狛犬・白河市の石工・彫刻師・野田平業の狛犬に付て 改定
2021年10月7日
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↑上の写真が白河近辺の狛犬ではしばしば目にする白河市横町の彫刻師・野田平業の都々古和気神社の狛犬。1928年・ 昭和3年・ 野田平業、30歳の作品です。
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野田平業リンク・マーク:各ページのこのマークはこの”野田平業に付いて”のページへのリンクマークです。
*(禁)全てのページのデータの無断使用 |
白河市の石工として、その精緻な彫の技巧が特徴の野田平業(のだ・へいぎょう、本名・野田豊吉)のお孫さんにあたる方から突然メールをいただきました。この拙いウエッブ・サイトをご覧になったとの事でした。そしてそのメールには驚くような情報が書かれていたので、情愛に満ちたお孫さんのメールと共にここにご了解を得て紹介させていただきました。
併せて野田平業の作品を各ページから抜粋して一覧にしました。
何故、彫刻師と自らを称したかの謎が少し見えて来たようです。素人の推測で間違っている可能性もありますが、画家”稲香”(とうこう)としての一面があったからと思われます。また、本名の”野田豊吉”と石工としての雅号・野田平業(へいぎょう)の二つの名前を彫っていたことも判明しました。
白河を代表する石工の一人の方の姿を知る事となり大いに驚き喜んでいます。情報が追加された時点で加筆修正させていただきます。 2015.07.27 白河市の石工一覧
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白河市の狛犬・石工・野田平業(本名・野田豊吉)狛犬マップ |
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白河市横町に居住していた野田平業は本名が野田豊吉・更に画家としての雅号は稲香と称していました。
非常に完成度の高い多くの狛犬には石工としての雅号として野田平業と彫ってあります。
訪問に便利なようにマップを作りましたのでご参照ください。 印は野田平業銘の狛犬。マップ上段の を押すと一覧表、 を押すと地図が拡大できます。 |
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野田平業は野田豊吉だった・そして画家としての雅号は稲香 |
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祖父・野田平業への思いのこもったお孫さんからのメールです |
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#1・2017年10月07日00時45分(土) |
・祖父の名前(野田豊吉)を何気なく検索したところ、こちらに辿り着きました。
祖父は白河市の石工で、籠掘りの玉をよく彫り、自宅にもその玉を持つ狛犬は置いてありました。
野田平業さんと言う方も、祖父も白河市横町の出身です。祖父と平業さんがどのような関係にあるのか、父や叔父にも聞いてみたいと思います。機会があれば狛犬を訪ねてみたいと思いました。
大変 懐かしく嬉しく、メールした次第です。ありがとうございます。
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#2・2017/10/07 18:23 |
・この度は早急なお返事を頂きまして、ありがとうございます。うれしく拝読いたしました。
実は、その後 進展があり、ご報告いたしたく再度メールいたしました。
私の父に問い合わせたところ、野田平業さんは
野田豊吉つまり私の祖父と同一人物でした。祖父の石工としての雅号が「平業」、画家としての雅号は「稲香」というそうです。
父が、観賞用の狛犬を出して来てくれましたが、高さ30センチの可愛らしい狛犬です。籠彫りの玉も持っています(写真添付)
わたしは幼い頃、祖父がよくこの籠彫りの玉を作っているところを、傍で眺めていたことをはっきりと 覚えております。
このご縁に、うれしくて涙が出そうです。
この夏は、父と叔父たちで、祖父の作品を辿ったそうですが、こちらの話をしましたところ、とても喜んでおりました。
叔父にも連絡しようと思います。
いま、私も父も白河を離れた関東地方に住んでおります。父は90才になり日々 体力も衰えていく中、ぜひまた白河の地を訪れて野田平業さんの狛犬巡りをしたいと思っております。
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#3・2017/10/09・20:47・野田平業の写真です |
祖父の情報の追加です。
生年月日 明治31年10月6日 没年月日 昭和56年10月23日(没年83才)
父から3枚 写真を借りましたので添付いたします。
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1枚目は、「参百對制作記念」と書いてあり、「彫刻師 野田平業作」と記されています。後ろはポストカードになっています。招待状として使ったのでしょうか。 *筆者注・永倉神社狛犬(野田豊吉)・昭和17年(1942)42歳作品の狛犬はこの絵葉書に極似しています。 |
2枚目は祖父制作の二宮金次郎像の前で、祖父と私のいとこの写真です。
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3枚目は、自宅でのスナップ。 右から祖父、わたくし、母です。祖父は65才です。 以上です。
父から写真の掲載許可はもらっていますが、私のいとこだけ連絡が取れず、今回のことは話していません。(*筆者注・この部分は顔が識別しにくいようにしました)
父からもお礼申し上げるようにと言付かっております。どうぞよろしくお願い申し上げます。 |
 (*筆者注)白河の狛犬にご興味のある方に野田平業の写真を拡大して掲載しました。私も初めて目にする”彫刻師 野田平業”の銘が刻まれたあの精緻な彫の狛犬を作った石工の姿です。
雅号”稲香”としての掛け軸、拡大してみました。龍の爪らしいものが見えます。 |
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感想 |
写真の自製と思われる記念はがきは300対(つい・セットだと思うのですが)もの石像を作った記念と言うことのように感じます。狛犬だけでは多分難しいかもしれないので、墓地の花差し・ローソク立て等のセットも含まれて居る意味なのかもしれません。更に地蔵尊や他の写真の二宮尊徳の石像等の1個の石像が含まれて居る可能性も考えられます。
昔の学校の校庭には二宮金次郎の石像は必ずと言ってよい程置かれていたので成程と思いました。 それにしてもぼ膨大な数の石像を製作したものだと思います。
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#4・2017年10月21日 15:53・件名: 祖父 野田平業について |
野田平業のお孫さんに当る方から、私の不躾な質問に対する返事をいただきました。加筆・修正の上ご了解を得て掲載しました。
こんにちは。 台風が近づき不安定な天気です。しばらくお時間を頂きましたが、祖父に関するご質問の件で以下の点を父と叔父に聞いてみました。
【筆者からの質問】 @ 野田平業の“平業”の読み方。 A 彫刻師と銘を彫る石工の腕を磨いた師匠はいたのか。 B 弱冠18歳で関辺の八幡神社、24歳であの素晴らしい南湖神社の狛犬を請け負った事から、代々の石工の家系か少なくても先代はいたのか。 C 石川の小林和平、浅川の小松寅吉などの石工の人々とは何か繋がりはあったのでしょうか D 日本画や彫刻を専門的に学んだのでしょうか。 E 絵画は、日本画が中心だと思いますが、作品を販売もしていたのですか
【回答】
@ 野田平業の平業は“へいぎょう”で日本画の銘の野田稲香の稲香は“とうこう”
A 師匠はいません。追加情報に野田豊吉(本名)は子供の頃から祖父の4代目の弟子の仕事を見様見真似で習っていたと書かれています。
B 平業(豊吉) で6代目です。先代5代目の豊吉の父は、石工ではありませんでした。
C 祖父からお二人の名前を聞いたことはないそうです。繋がりはないと思われます。
D 美術関係の学校で学んだ事は無かったようです。ただ、絵師になる事が許されなかったものの諦めきれず、絵師の先生には習っていたようです。
E 販売はしておりません。襖絵、*巻物が中心です。
*筆者注:県境の村の知り合いの話では、この辺りでは、昔赤子の誕生時や、特に長男・長女、祝いの折りに、親類縁者が掛け軸の類(巻物)を贈ったそうです。手書きでそれを描く絵師達が居たとの話です。
追加情報 ( 叔父さんからのメール一部抜粋*筆者注・お孫さんの叔父さんにあたる方です )
豊吉は子供の時から四代目の弟子の仕事を見よう見まねで覚えていたそうです。 豊吉は晩年まで、絵師になりたいと母親に懇願したそうです。家庭の諸事情により、絵師になる事はは許されなかったようです。
野田平業の叔父さんからの追加情報: 母(平業の)の許しを得て、当時白河在の絵師の先生に夜間絵の書き方を学び“稲香”の号もらったと言っていました。最後になりますが、祖父(野田平業)は絵が描けなければ彫刻師になれない。(絵を学んだ事で)好きな絵描きと、石工で彫刻師として生活ができた。墓石だけでは将来人が作るのではなく機械が作るとよくいっていました。息子達には七代にするつもりはないと、話していました。
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感想 |
野田平業の予言通り、現在は墓石の文字も狛犬までもが機械で均一に作られています。
やはり、弱冠18歳で白河市関辺・八幡神社、24歳で南湖神社の仕事を請ける事が出来たのは平業の腕もさることながら、4代目の平業の祖父からの繋がりも力を添えたと思われます。
その石像は見る事が可能であったかもしれませんが小松寅吉・小林和平との直接的な繋がりは無かったようです(影響を受けたとも考えられないのではと思っています)。石工としての土台は家業である石材店に働く職人達から多くを学んだことが推測されます。
全くの素人の印象ですが、幼い頃から見様見真似で祖父の弟子の仕事を見ながら彫っていた事や、長じて夜間・白河在の絵師から絵を学んだ程の情熱の持ち主であった事を考えると、かなり依頼された以上の石像を作ろうとする研究熱心な職人であったような気がしています。
私の幾つかの平業の狛犬の印象が非常に彫りが鋭利、繊細で洒落ているように見えるのです。お孫さんの話では籠彫りに拘った様子が見えます、昔の職人らしく派手に見せつける事無く密かに腕の冴えの跡を玉に残したように思えます。
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野田平業(野田豊吉)狛犬一覧 |
私が見た範囲で野田平業の狛犬を時系列に並べてみました。台座部に年号や名前が無かったり見つけられなかった狛犬が含まれているので正確ではありません。
年代が分からなかった鮫川村八幡神社の狛犬より大正11年の南湖神社の狛犬が古いと推測した理由ですが、全くの素人の推測ですがE鮫川村・八幡神社(野田平業)はF白河市南湖神社狛犬(野田平業銘の信じがたい事ですが弱冠24歳の作品です)大正11年を見て氏子の人達が依頼したのではないかと思いました。
白河市と鮫川村は福島県の西と東で当時の交通事情から考えればかなりの距離になります。腕の程が分からずにこれ程離れた場所に住む野田平業に依頼するのは無鉄砲に思えます。南湖神社の狛犬は個人的には流石と思われる出来でこれを見れば、氏子の人々にはかなりの大きな経済的負担であったでしょうが遠く離れた白河の石工に依頼しようと決断したと思えるのです。そしてそれは目論見通り現在でも大変出来の良い狛犬と言われています。
鮫川村・八幡神社(野田平業)の狛犬が大変素晴らしいと言われているのは事実ですが、年代や南湖神社の作品との関連は素人の私の推測ですので間違っている可能性もあります。分かり次第訂正いたします。 **2021年11月9日・狛犬を訪ねてbS3・福島県白河市から鮫川村の狛犬Aにて確認に八幡神社に出掛けました。台座に書かれた年号が正しければ”昭和11年(1936年)・野田平業 作平業38歳”の文字が彫られていました。上記の白河市・南湖神社の狛犬よりかなり新しい狛犬である事が確認できました。
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*その後、2018年4月9日、福島市八幡神社の大正12年の狛犬を見てから、上記の事はかなり合理的な推測だと思えてきました。平業の狛犬は私の知る限り北端の福島市から南端の那須塩原市(現在はさくら市まで南限が広がっています)の間の広い範囲に点在しています。
*このサイトをご覧の方から更に北の宮城県亘理町・亘理神社にも平業の狛犬が奉納されている事をお知らせいただきました(私も旅の途中に立ち寄り参拝をさせていただきました)。これだけの広い範囲の人々から注文があった事は刮目するに値することですが、南湖神社のこの狛犬こそがそのサンプルの元になっているように感じます、まさに野田平業としてのスタートとなった作品であったのではないでしょうか。
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掲載した白河市横町住の野田平業の狛犬は全て白河市が町制を敷いた明治12年(1879)から市制を施行した 昭和24年(1949)の間、白河町の時代に製作されているようです。これには戦後のGHQの抗しがたい占領政策の影響も大きかったと推測されます。
その後、棚倉町・御霊神社 と大田原市・薄葉温泉神社戦後の昭和26年以降の狛犬が分かりましのでこれを除いてと訂正いたします。
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野田平業狛犬のスライド・ページをご参照ください。画像処理を行っていないオリジナルの為若干見にくいものも含まれています。ニコンのイメージ・スペースを使用しています。 ボタンを押す事でスピード、BGM等が任意に変更・設定できます。現在製作途中で、お見苦しい点はお許しください。各画像をクリックするとスライド画面が開きます。*禁・無断転載
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栃木県大田原市・薄葉温泉神社。昭和29年(1954年)平業 56歳の狛犬。
台座には”白河市横町之住 彫刻師野田平業作” と刻まれています。 平業の狛犬では大変珍しい牡丹が台座に彫られているのが分かります。平業の名前も一般的に狛犬の直下の石板に横に刻まれるのですがこれは台座に縦に刻まれています。
2021年10月7日
時点では最晩年の作品です。 |
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棚倉町・御霊神社狛犬・昭和26年(1951)野田平業・53歳作品 |

右に置かれた阿像、やや大き目の籠彫りの玉の目は、支え部分が太い事と年代が新しい事もあるのかほぼ破損が見られない良い状態です。
全体が苔に覆われているので彫りを詳細に見る事は出来ないようです。私の知る限りでは最も新しい昭和26年の作品と思われます(後日昭和29年作を見つけました)。そう思うと何処か重ねた年齢を感じさせる静かな雰囲気が醸し出されているように思います。 2018.06.25 |
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佐良土・温泉(ゆせん)神社 :栃木県大田原市佐良土 2252。
拝殿の前の大きな迫力のある狛犬は一目見て野田平業の狛犬だと分かりました。右に置かれた阿像と思われます。平業46歳の作品です。台座に平業の名前が見つかりませんでしたので推定です。
高い台座の上に置かれた作りの良い昭和の狛犬です。体に巻き付く毛が透かし彫りになっているのに驚きました(かなり多くの部分で)。平業の狛犬でしばしば目にする意匠ではあります。
太平洋戦争の激化と戦況の厳しい事が薄々分かっていた時代ではないかと思うのですが、これ程の石像がそのような状況下で彫られたことは驚きです。 2019.12.30 |
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玉川村・川辺八幡神社住所:福島県石川郡玉川村川辺宮ノ前148-1。ここは福島空港の近くらしく同行の人が土地勘がありました。118号線のすぐ脇の美しい佇まいの神社を見つけてくれました。鳥居の脇に数台の駐車スペースがあったのでゆっくりとお参りが出来ました。 2016.04.19
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カーナビに入れる住所は西白河郡西郷村長坂長坂36。長坂が二つ入るのが正しいようです。一つだと阿武隈川右岸の集落になります。 |
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野田豊吉・昭和17年の狛犬 |
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入口の鳥居の後ろに置かれている阿像、石工 野田豊吉の銘が刻まれています。奉納されたのは昭和17年(1942年)のようです。
すぐ近くにある、ページ上段の、諏訪神社の狛犬に似ているように見えます。表情には神社の守り神に値する力を感じます。 |

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子供の狛犬が2頭彫り込まれています。昭和17年に奉納されているようです。大東亞戦争記念の文字が見えます。吽像の表情も良く出ているように見えます。 2015.07.27
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愛宕神社狛犬 |
思惑通り丁度満開の桜の季節を迎えているようです。素晴らしい神社の見晴らしです。福島市内で初めて目にする野田平業の狛犬です。平業の白河の作業場から随分遠くまで運ばれてきたものだと、狛犬の長い旅を思いました。右に置かれた阿像、表情が豊かで落ち着いた印象を受けました。平業の技量をさり気なく示す籠彫りの玉が破損しているのは残念な事です。 2018.04.09
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左に置かれた狛犬で子供が彫られた吽像。
奉納した人の尽力のせいか彫りはかなり複雑で細かい仕上がりになっているようです。良い狛犬に出会えることが出来て街からの遠い道のりが無駄ではありませんでした。 2018.04.09
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蛭田・温泉神社住所:大田原蛭田。昭和16年(1941年)野田平業43歳作品。
通常のサイズより僅かに小さな平業の狛犬が奉納されていました。右に置かれた阿像、狛犬の表情はまさに平業の狛犬です。篭彫りの玉に模様が入った平業としては珍しい意匠です。 |
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今回の神社巡りで最も目にしたかった野田平業の狛犬です。平業の一般的なサイズより一回り大きめで一部に透かし彫りなどが施された手の込んだ石像に仕上げられているように感じました。
右に置かれた阿像は所謂玉取りの意匠ですが、平業の石像でしばしば目にする篭彫りの玉が添えられています。保存状態が極めて良好な事も見応えある印象を強めてくれていました。
2021.06.14
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台座には石工名や年代の彫がありませんがほlぼ間違いなく白河市の彫刻師・野田平業の狛犬と推定出来そうです。右に置かれた阿像です。 私の知る限り野田平業の狛犬としては、現時点で北限に置かれた石像のようです。年代は大正ではなく昭和15年頃の狛犬に見えます。
又、この狛犬は私が初めて目にする極めて小型の意匠です。一般的な平業の狛犬の半分ほどの大きさの作品です。写真で見た時はこれ程のサイズとは思いもしませんでした。
2019.04.24
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昭和15年(1940年)平業 42歳の作品、銘は”彫刻師 野田平業 ”
右に置かれた阿像と思われます、一見して彫りが繊細で極めて保存状態の良い狛犬だと思いました。平業の特徴である大きな籠彫りの玉の彫りも繊細で中の残された玉も残っていました。
目や平業の文字等にも彩色が施されていて、氏子の方々の長年の手入れの良さのお陰ででこれだけの姿で残されていたのでしょう。苔などが見られない美しい石像と対面出来ました。 2019.04.22 |
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昭和15年(1940年)平業・ 42歳 狛犬。 口の開き具合の彫りが巧みなのか顔付が精悍に感じます。素人の感想ですが、この時代の平業の狛犬の中でも良い出来に見えます。 篭彫りであった玉は経年の為にほぼ破損していました。 |
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昭和15年(1940年)・平業 42歳の作品です。個人的な推定です。 右に置かれている狛犬です。口を開いて牙を見せている事から阿像を思われます。私には余り馴染みのない表情と作りの狛犬です。
鼻の形と大きな目に野田平業の特徴が感じられます。杉木立に覆われた薄暗い参道には雪が残っている寒々しい景色の中で、この狛犬の周囲だけは生物の温かみが感じられます。
2017.12.30
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乃木神社住所:那須塩原市石林795。広い桜並木の参道を車で鳥居の近くまでやって来ました。鳥居に向かって参道の左に駐車場があったので車を止めて参拝に向かいました。 2017.12.31
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乃木神社・狛犬・昭和15年(1940年) 彫刻師 野田平業(42歳作品)本文
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鳥居の左右は既に初もうで客目当ての屋台が店開きの準備をしています。狛犬を除けて屋台は設置されていますが、希望の位置から狛犬を見る事は難しいようです。
野田平業の大き目の彫りが素晴らしい阿像です。平業独特の籠彫りの玉も大きく大変出来の良い作品です。
所謂紀元2600年祝賀に奉納されたようです(昭和15年より遅れた可能性もありますが)。昭和15年だとすると平業42歳の作品です。そしてこの2600年祝賀の狛犬は私の知るだけでも平業は4対彫っていることになります、多忙を極めて時期だと思われます。 |

紀元2600年と石工・渡邉末吉の名前が彫られています。石組等の工事はこの人が請けて、狛犬は野田平業に依頼したと推測されます。 |
左に置かれた吽像、牙を覗かせた力強さが漲る姿です。野田平業の腕の冴えが見られます。 ●ご覧ください
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”白河横町之住””彫刻師野田平業作”と狛犬の置かれた台座の横に彫られています。 |
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朝9時30分、白河農協の直売所・り菜庵で買い物をしました。農協直売所での買い物が県境の村を訪れる大きな楽しみの一つなのです。
駐車場でカーナビに入れた諏訪神社の住所は福島県白河市飯沢268番。これで新幹線の高架下に到着すると思います。高架の下に車を止めるとすぐ目の前に狛犬が置かれています。
1度目はカーナビが新幹線のガード下で目的地を告げたので引き返してしましました。2度目でやっと見つけました。草刈りがされていた事と、下調べで新幹線の際にある事が分かっていたので何とか見つける事が出来ました。
福島県のHPでの説明では白河市横町の野田平業の初期の狛犬があると書かれていました。
これは野田平業が未だ野田豊吉と言っていたころの作品の意味だと思われます。これらの状況を合わせるとこの狛犬は昭和15年の野田豊吉(後の野田平業)の作ったものと推定できます。
場所の意外性に度肝を抜かれます。当然神社が先で新幹線が後から出来たと思うですが、良い神社でした。二の鳥居までそなえた山の斜面を少し登る気持ちの良い神社でした。写真左上に東北新幹線の高架が見えます。車は高架の下に止める事が出来ます。目の前が一の鳥居の前になります。 2015.07.27
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諏訪神社の野田豊吉(野田平業)昭和15年の狛犬 |
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阿像、かなり猛々しい印象を受けました。昭和15年(1940年)の文字が彫られていますが、野田平業の名前が見つけられませんでした。白河ではしばしば目にする人で”彫刻師”と彫り込む事が多いように思います。十分迫力と躍動感のある狛犬に見えました。 |
都々古和気神社の狛犬はこれより古く昭和3年、籠彫と呼ばれる網目状の手の込んだ玉です。更に鹿島神社の狛犬などと比較すると玉が唯の丸です。これについては、例え腕の良い石工側では如何ともしがたい依頼側の経済的な限度が原因しているかもしれません。
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吽像、子供が2頭彫られています。
目の上にイナゴが止まって動きません。厳しい暑さで気力も無くなったのでしょうか。目の上のタンコブならぬ目の上のイナゴです。 20015.07.27 |
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この狛犬に付いては年号が彫られていましたが石工の名前が見当たりません。2015年に初めて見た時に全くの素人の推測ですが野田平業の作品と感じました、間違っている場合もあります。
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矢吹神社住所:福島県西白河郡矢吹町中町21。神社は国道4号線から矢吹駅に向かう賑やかな町の中にありました。鳥居の前に車を止めるスペースらしきものがあったので止めさせて貰いました。鳥居の前に。今はひっそりと眠ったようなフィリピン・パブ、良い組み合わせです。夜はサゾカシネオンが輝く事でしょう。 2015.12.08
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籠彫りの玉を足下に収めた阿像です。年号は見つけたのですが、石工の名前が見つかりません。
白河市の野田平業ではないかと推測しています。知識が中途半端ですので間違っているかもしれません。 2015.12.08
白河市の石工・野田平業について |
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↑画像は2017年10月に白河市の石工・野田平業について に掲載してある野田平業が自製した絵葉書に描かれた狛犬の写真です。この矢吹神社の狛犬とほぼ同じデザインだと思われます。説明の文字が下の年号のように旧式に右から書かれていました。
左に置かれた吽像の子供の表情などはまさにそっくりに見えます。個人的には野田平業の狛犬だと思いました。素人の推測ですので間違っているかもしれません。
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年号と奉納した人の名前が見えますが石工の名前がありませんでした。 2015.12.08
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2番目の狛犬・吽像・昭和15年(1943年) |
子供の獅子もやんちゃな顔付です。細部にわたって緩みのない彫りが見られます。白河市の石工・野田平業について |
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水雲神社住所:福島県伊達市伏黒宮本19 。福島市愛宕神社から水雲神社に進んできて399号線を左折すると神社の赤い鳥居の前に出ました。心配だった車は境内に止める事が出来ました。
辺りは人家と果樹園が見える静かな場所です。 2018.04.09
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水雲神社狛犬・野田平業昭和14年(1939年) |
綺麗に浄められた境内に平業の狛犬が置かれた居ました。狛犬の歯と目の部分が彩色されているせいか、表情がどこか活き活きとして見えます。
若干大型で出来の良い作品に見えます。素人で名称が分かりませんが、体に彫られた多数の丸い凸部にも細かな彫りが見られます。籠彫りの玉も若干大型です。 2018.04.09 |
左に置かれた吽像も歯と目に彩色が施されていて表情が生き生きとして見えます。
足下に子供の狛犬が彫られています。尻尾の部分の毛が複雑に絡み合っている彫りなどを見ると、奉納した人がかなり手が込んだ依頼をしたのだと感心しました。 2018.04.09 |
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棚倉町・近津神社狛犬・昭和11年(1936) 石工 野田平業・38歳作品 |
右に置かれた阿像、やや大き目の籠彫りの玉の一部が破損しています。苔なども見られない綺麗な保存状態の平業の狛犬です。平業の危なげのない彫の狛犬です。どこか漲る自信のようなものが感じられます。
2018.06.25
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棚倉町・住吉神社狛犬・ 昭和12年(1937年) 野田平業39歳作品(推定) |
右に置かれた阿像と思われれる狛犬、足下に納められている玉は平業の特徴である籠彫ではありません。
状態がきれいな平業らしい動きが表現された見応えのある作品です。狛犬大きさは一般的なサイズに見えます。
2018.06.25
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左に置かれた吽像と思れる狛犬です。子供の狛犬は目一杯力んだ姿ですがこの阿像はどこか風貌が穏やかに見えます。
2018.06.25
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熊野神社住所:白河市表郷深渡戸森前88。277号線から僅か右に入った集落の中に野田平業の狛犬が入り口に置かれた神社はありました。 2018.お6.25
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白河市表郷・熊野神社狛犬・昭和8年(1933年)野田平業(推定)35歳作品 |
右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。
彫が繊細な素晴らしい狛犬に出会えました。平業の特徴である籠彫りの玉と同じく流れるような毛の線の彫りの出来栄えが良いように見えます。ゆったりとした風貌と全体の作りからは、平業の脂の乗り切った35歳の自信さえ感じられるやや大型の作品です。
勿論この素晴らしい狛犬の制作には、奉納した氏子の人々の志が極めて大きく寄与した事は言を俟つまでもありません。 2018.06.25 |
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神社参拝を済ませたのでゆったりした気持ちで入口の狛犬を見させて貰う事にします。一見して白河市の石工・野田平業の狛犬である事が推定できます。
大きさは通常よい微妙いに小さいかもしれません。彫がかなり精緻な仕上がりを感じさせる良い狛犬です。
右に置かれた阿像は玉取りの意匠であったと思われます。閉業の狛犬の一つの特徴である籠彫りであったと思われますが、その多くの例に漏れず寒冷地故に凍結・破損したと思われます。 |
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狛犬は間違いなく野田平業の作です。村社・都々古和気神社の石柱が立っていました。
村社の呼称が表しているように、長い杉並木の石段が続く素晴らしい参道を登った先に美しい社がありました。上り詰めた境内も綺麗に清掃がなされていて社も手入れが行き届いていました。氏子の人々の思いが感じられる素晴らしい神社です。 2018.05.28 |
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白河市表郷・都々古和気神社・狛犬・昭和9年(1934年)・野田平業36歳作品 |
素人の印象ですが、ほぼ平業の意匠が定まった時代の作品に見えます。20代の作品より顔が細面で鼻も独特の形が完成されているようです。全体のデザインも従来のどちらかというと扁平なイメージからシャープな洗練された姿の狛犬になっているように感じます。
安定感を感じせる作品に思えます。この狛犬には氏子の人々の喜捨がかなり集まって作られた完成度の高い狛犬に見えます。
大きさはやや大き目、平業の昭和の狛犬としてはかなりグレードの高い作品に見えます。籠彫りの美しい玉がかなり破損していますが、私にはその瑕疵が全く気にならない見応えのある狛犬です。 2018.05.28 |
左に置かれた吽像、子供が添えられています。目の意匠も大変リアルで狛犬が動き出しそうな印象を受けました。 2018.05.28 |
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日立市・大甕神社狛犬・(推定) |
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昭和8年(1933年) |
彫りと全体の風貌を見てこれは白河の石工・野田平業の作ではないかと直ぐに推測出来ました。毛の透かし彫り、玉取りの意匠の彫り(篭彫りではありませんが)、大正から昭和初期の平業の特徴である若干横長の顔の意匠等が私の推定を裏付けてくれていると思いました。 平業の狛犬の中でもかなり手の込んだ良質の石像に見えます。もしこれが野田平業の狛犬だとすると平業35歳の作品になりそうです。 |
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白河市白井・愛宕神社狛犬阿像・昭和7年(1915年) 野田平業(推定) |

右に置かれた狛犬で口を多くく開けた阿像と思われます。阿像の意匠は私の知る限り野田平業の作品に感じましたが台座にはその名前を見つける事が出来ませんでした。野田平業の狛犬と言うのは個人的な推定でまちがっている場合もあります。
未だ、平業の大正時代の作りの面影が残った若干扁平な顔になっています。
白河の石工一覧をご参照ください。
2018.10.16
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左の吽像、この狛犬は鼻は平業の特徴に似ていますが全体の印象が若干特異に見えます。扁平な顔から若干縦長の顔に平業の狛犬は昭和に入り意匠が変わりますがその過渡期の石像なのかとも思います。 2018.10.16 |
台座に彫られた文字にも野田平業の特徴らしきものが見られます。他の白河の石工の狛犬では余り見られない”建之”の文字を平業は幾つかの狛犬に認めています。又、狛犬の全体の意匠や文字の彫などにも野田平業の他の狛犬との類似性を感じます。以上は素人の拙い知識からの推測なので違っている場合もある事をお許しください。 2018.10.16 |
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保存状態が極めて良好な野田平業の狛犬が出迎えてくれました。彫もかなり良好な石像です。台座には石工・平右衛門と彫られていますが、狛犬を平業が彫り台座などをこの石工の人が製造したと推定されます。
大きさは通常より僅かに小さいような印象を受けます。玉は籠彫りではありませんが全体の彫がかなり良いように見えます。
この狛犬を作った一年後の昭和7年に白河市・愛宕神社の狛犬を彫っていますが、阿像は非常にこの熊野神社の狛犬と似ているように感じます。 |
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平業の狛犬としては精緻な彫りの印象より力の漲る石像に見えます。
子取りの意匠で、子供が背中にも彫り込まれています、つまり2頭の子供が見られます。大きな狛犬の迫力は圧倒的な存在感を辺りに漂わせて居るように感じました。 |
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下段の、鹿島神社の鳥居の前に置かれた最初に対面する平業の狛犬に続いて、もう一つこの平業の狛犬が奉納されていたことを迂闊にも気づきませんでした。見たと思うのですが、まさかと思っていたのでこの狛犬もあったのでしょうが全く記憶にありません。
1月に奉納された下段の平業の狛犬より若干小型で彫りも若干簡素です。阿像は玉取りの意匠、篭彫りではありません。無銘ですが平業の狛犬と推定して間違いではないと思われます。鹿島神社には二つの平業の狛犬狛犬が奉納されています。 2020.01.05 |
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 野田平業と言う人は白河市横町にいた石工と福島県の説明にありました。今でも白河石の石切り場がある土地ですから、当時市内に多くの石工が居た事は当然な事でしょう。この名前が彫られた狛犬はかなり多く存在するようです。神社入り口の鳥居近くの狛犬です。毛並みが美しい意匠です。少し立った姿勢の為に見上げるような感じになります。確か銘などが記されていなかったと思います。初めての狛犬を巡る旅なので様子が分かりません。 2015.06.29
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こちらが吽像です。この狛犬は1月に奉納されています。 |
2回目の鹿島神社参拝です。 |
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鳥居をくぐると長い参道が見えます。すぐ地元白河市の石工(この人は大体彫刻師と彫っています)・野田平業の大型の狛犬が置かれています。阿像の精巧な玉は残念ながら破損しています。表情豊かな厳しい狛犬の表情が活き活きと表現されているように見えます。 2015.10.27
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黒磯神社・昭和4年石工 鹿野三吉(狛犬は野田平業と推測) |
黒磯住所:那須塩原市宮町3−34。拝殿から大通りに向かう長い参道の先に大きな鳥居が見えます。狛犬は二の鳥居の脇に見えました。
大きさはやや大き目、高い立派な台座の上に置かれているので見上げる事になります。台座には伊勢神宮参拝と天皇陛下御大典(昭和3年)式場拝観記念と刻まれています。
昭和4年(1929年)に奉納されたとすると大よそ90年程経っていることになります。社掌の方の名前に並んで石工 鹿野三吉と彫られています。
*野田平業の狛犬をかなり見て来た印象からもしかすると野田平業の作品ではないかという印象が強くなっています。石組等を鹿野三吉という石工の人が行い(多分地元の人で元受けと思われます)平業が狛犬を彫ったのではないかと思われます。このような事例もかなり有る事が分かった事もこの推測の元になっています、但し全くの個人的な印象なので違っている可能性も大いにあります。 2017.12.31
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福島県白河市表郷三森都々古山 都々古山1番地とカーナビに入力すると神社の鳥居の前に戸着します。そこに白河の野田平業の狛犬があります。 |
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吽像の狛犬のシルエットが大変美しいと思いました。違和感を感じません。細部の彫の線もスムースな感じがします。心地よく対面が出来る狛犬です。 2015.06.29 |
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吽像の狛犬です。一部の石の部分に苔が付いています。ふっくらとした姿です。 |
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建立年月日が昭和3年、寄贈者が芳賀さんと言う方のようです。白河市の横町に住んでいた野田平業の名前(彫刻師 白河之住 野田平業作)が彫り込まれています。
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熊野神社住所:泉崎村踏瀬熊ノ森58。白河方面から4号線を北上すると佐川急便が道路左にあります。そこから100m程手前を左に曲がりますす。車は神社の道路脇に止める事になります。杉木立の長い参道が美しい社です。 2018.09.10
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白河の彫刻師・野田平業の狛犬が近くの泉崎村にあるとは知りませんでした。グーグル・マップで神社を探していて見つけました。この狛犬は状態が非常に良好で平業の狛犬としては大型でどっしりした印象です。震災後の改修が行われたのかもしれませんが目に彩色が施されています。狛犬が生き生きとして見えます。こちらは右に置かれた阿像と思われます。これだけの作品なのに玉が平業の特徴である篭彫りではありません。それでも十分に見ごたえのある狛犬です。 白河の石工一覧をご参照ください。
2018.09.10
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白山神社住所:棚倉町大字流。カーナビには白山神社の目に見える特別養護老人ホーム ほたるの里(0棚倉町関口豊郷103)を入れると良いでしょう。グーグル・マップを拡大すると位置関係が分かります。
この神社の住所を、”神社と寺”のサイトで見つけてカーナビに入れた処実際とはかなり違っていたようで細い道で途方に暮れてしまいました。近くで草刈りをしていた地元の方が居たので聞いたところ、親切に場所を教えてくれました。
それでも、道がグーグル・マップでの感触より狭く水郡線の線路を渡ってしまったりして又迷子になりました。これが最後と3度目、集落の中の細い道に戻ると、先程道を教えてくれた人が軽トラックから手を振って後に着いてくるようにと合図をしてくれました。細い道を進むと僅かで左手に神社の入り口、右に老人ホームがありました。車は神社の前の道路脇に止める事が出来ます。
親切に道案内をしてくれた地元の方にお礼を言って別れました。このような親切に出会う事が狛犬を訪ねる旅ではしばしばあります、何時までも心に残る思い出です。 2018.06.25
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棚倉町・白山神社狛犬・ 昭和3年(1928年) 野田平業30歳作品 |
右に置かれた阿像と思われれる狛犬は口を開いています。平業の特徴である籠彫りの玉がかなり破損してしまっていました。
狛犬全体にカビのような変色した個所が見られます。
イキイキとした目にも彩色の跡が見られます。何故か今日見テきた平業の狛犬には黒目が残っています。
2018.06.25
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棚倉町・羽黒神社狛犬・昭和3年(1928年)・野田豊吉(平業)30歳作品 |
右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。
先程見た白河市表郷の熊野神社の狛犬と類似した作りの良い狛犬です(僅かに小さいかもしれません)。気力・体力・技量の充実振りが推測できる出来です。勿論氏子の人々の寄進が大きな力を与えた事でしょう。 2018.お6.25 |
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山本不動尊から宇迦神社を探しながら棚倉町の旧道を白河・那須方面に戻ります。棚倉町は城下町の雰囲気が感じられ、由緒ありげなお菓子屋さん等が多く見られました。次回は幾つかに立ち寄ってみたいと思います。 2016.12.06
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野田平業狛犬阿像・昭和2年(1927年)・29歳作品 |
 全体に骨太のどっしりとしたボリュームのある野田平業の石像です。平業の狛犬の特徴が良く表れています。私の印象では少し太めの狛犬の印象を受けます。
平業の特徴である精緻な籠彫りの玉が見られません。太目の足などはそれとのバランスなのかとも思いますが、個人的には本質だけの意匠はそれで好ましいと感じました。それはそれで難しい造形なのではとも思いました。阿像に埋め込まれた白い石には厄年と思われる”初老記念”の文字と昭和2年正月と奉納された年が刻まれています 2016.12.05
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阿像の台座に”白河町 野田平業 彫刻”の文字が彫られています。 |
 幾つかの文字が台座に見えますが年号などが判読できませんでした。”棚倉町・石工・藤田亀治”の名前がしっかりと残っていて、地元の棚倉の人が平業の狛犬の台座の制作や据え付けを行ったと推測されます。
2016.12.05
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野田平業狛犬吽像・昭和2年(1927年)・29歳作品 |
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左に置かれた吽像と思われる狛犬の頭には角と思われるトンガリが見られます。昭和初期からそれ以前の狛犬を推測させます。吽像も阿像と同じく四肢を張った堂々とした姿が彫られています。
素人の個人的な印象ですが二つの狛犬は多少異なった印象を受けます。平業の狛犬の表情としてはかなり変わった意匠に見えます。
2度目の訪問でやっと巡り合った狛犬は素晴らしい境内の中で迎えてくれました。 2016.12.05 |
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三島神社狛犬・大正15年(1928年)野田平業28歳作品 |
右に置かれている阿像、平業の大正時代の狛犬の特徴が表れた良い狛犬に出会いました。彫りの薄さと言うか繊細さというか・・・個人的に大変気に入っている作りなのです。
篭彫りの玉は大きく破損していますが、殆ど気になりません。 2018.06.25 |
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日吉神社住所:西白河郡矢吹町大和内。泉崎村の熊野神社から4号線を郡山方面に進むと僅かで東北道矢吹IC、ICチェンジと4号線の信号機のある交差点、角にはガソリン・スタンドのあります、を右折して小山をぐるっと左に回るようにして進むと神社があります。若干分かりにくいかもしれません。車は参道の中に駐車場があります。
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右に置かれた狛犬、口を開いた阿像と思われます。吽像の台座に彫られた年代の内、大正15年(1926年)が製作年代と推定するのは、この年代の平業の狛犬の顔が若干扁平な意匠であることです。まさにこの狛犬はその特徴が見て取れます。
この阿像の台座に彫られた獅子(一般的に阿像のこと)・野田豊吉(平業の本名)納主とあるのは、平業がこの狛犬を奉納したと推測されます。狛犬は若干小型です。 2018.09.10 |
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塙町東河内・熊野神社・大正15年1月9日(1866年)28歳 ・”野田平業 彫刻” |
通常の阿吽像の位置と異なり左に置かれた阿像、2頭の子供が彫り込まれています。私には精緻な彫が生み出す高い表現力が感じられます。平業の狛犬に見られる歯の繊細な彫や透かし彫りに彫られた流れるような毛の立体的な丸み等は流石と何度も石像の周りを回りながら楽しく見させて貰いました。 2020.01.06 |
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カーナビに入れる住所:白河市表郷番沢御殿ケ入41。道路脇に石燈篭、この道の先に狛犬が見えます。多分車も参道の終わりまで入れるのでしょうが、石で底を擦りそうなので車を道路の脇に置いて歩きました。美しい作りの社まではかなりの距離があります。 2015.07.14 |
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トウモロコシ畑の中を真っすぐ伸びる道を進むと比較的大きな狛犬が見えてきます、一見すると新しいようにも見えます。地震の被害があったようで一部が補修されていました。
これが右手にある狛犬で通常は阿像になるのでしょうが、口を開き子供を背中と手の下に2頭纏わりつかせています。一般的にはこれは吽行の仕様だと思うのです。五龍地神社と同じ阿像と吽像が入れ違っているように思います。彫は若干甘いようにも見えますが、バランスと表情は悪くないように見えます。台座が高く詳細が見えません。 |
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吽行の位置に置かれた狛犬です。篭彫と言うそうですが、技術の高い玉を足下におさめています。表情も彫も中々の物に見えます。
口が開き気味です、一般的には阿像の形態を持っているように見えます。
阿吽の位置が入れ替わっているように思いますが五龍地神社と此処にもある事を見ると間違いとは言 えないように感じました。
鳥居は地震の振動で折れてしまったようです。地面にまとめられていました。 |
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 *後日他の方のHPを見ると白河の野田業平の良い狛犬(震災前の)がここに置かれている写真がありました。同じ作者の都々古和気神社の狛犬に良く似ています。現在の狛犬と少し違うような印象を受けました。どうも一見してどこか新しい石像に感じたので、改修時に苔を落として綺麗にしたというのが最も妥当な推測かもしれません。
台座には”磐城白河住 彫刻師 野田平業”の文字が見られます。この書き方は福島市愛宕神社の台座の文字と同じ様式です。嵌め込まれた銅板に”大正13年甲子(きのえね)建之(1924年)”の文字が見られます。 2015.07.14
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村のメイン・ストリートのような道に出ました。郵便局があります。カーナビは目的地としきりに告げるのですが鳥居が見えません。通りがかりの人に尋ねるとこの道沿いにあるとの事、30mも進むと鳥居と狛犬が道路脇に見えました。道の膨らみ部分に止めさせて貰いました。風格のある神社です。 2015.10.27
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**2021年11月9日・狛犬を訪ねてbS3・福島県白河市から鮫川村の狛犬Aにて確認に八幡神社に出掛けました。台座に書かれた年号が正しければ”昭和11年(1936年)・野田平業 作平業38歳”の文字が彫られていました。上記の白河市・南湖神社の狛犬よりかなり新しい狛犬である事が確認できました。 |
社までは狛犬から長い石段を登ります。一つ目の石段を上ると広場、更にこの2つ目の石段を登ります。木漏れ日の差込む心地良い石段が続きます。 |
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八幡神社住所:東白川郡鮫川村赤坂中野道少田162。道路脇に鳥居と狛犬が見えます。 |
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野田平業・狛犬阿像 |
白河の野田平業の精緻な彫りが美しい狛犬です。当時としてはかなり遠くまで仕事で呼ばれたものだと思いました。腕を見込まれたと言うことなのでしょうか。白河市・ 都々古和気(つつこわけ)神社の狛犬を思い出しました、これは更に彫りが細かいように見えます。 2015.10.27
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 阿像の台座に白河市横町・彫刻師・野田平業の彫り込み。 |
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野田平業・狛犬吽像 |
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狛犬自体も若干大き目で風格が感じられます。足下の大きな玉の籠状の彫りが極めて精緻です。多くの野田平業の狛犬でこの籠状に彫られた玉が見られますが、これはその中でも最も美しいものかもしれません。
年号が見られませんでしたが、白河市・ 都々古和気(つつこわけ)神社の狛犬が作られた昭和3年前後の作かもしれません。 2015.10.27 |
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吽像の後ろから阿像を見ています。右下がメイン・ストリートになります、と言っても喧騒とは無縁の静かな町の佇まいが続きます。 撮影2015.10.27 |
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人家が辺りを取り囲む中に鎮座する神社です。風格のある屋根の社殿が鎮座する静かな境内でした。
近くのそろばん塾の生徒と思える子供達が手を合わせて行きました。
狛犬はやや大型で極めて印書的な造りの狛犬でした。野田平業25歳の作品です。前年に、個人的に平業の出来の良い狛犬の一つであろうと思っている白河市の南湖神社の狛犬を製作しています。 2018.04.09 |
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八幡神社住所:福島市八島田東本庄町。グーグル・マップに番地が載ってい居なかったので近くの八島田駐在所(福島市八島田東本庄町1)をカーナビに入れて向かいました。人家の中の神社で駐車が心配でしたが、交番の角を曲がり一本目の道を直進すると神社に出ました。境内に駐車スペースがありました。 |
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福島市・八幡神社・野田平業狛犬・大正12年(1923年)・25歳作品 |
右に置かれた阿像と思われます。私の知る平業の狛犬とは若干意匠が異なるように見えます。若干25歳の作品なので未だ固定した意匠が定まっていなかったものと思われますが、それだけに私は新鮮な印象を持ちました。
歯と目に彩色が施されている事もありますが、それ以上に25歳の平業の若さが生み出すエネルギーを感じました。
氏子の人が震災で倒れそうになった狛犬を棒で保護したようです。子供の脇には牡丹が彫られています。 2018.04.09 |
左に置かれた吽像と思われる狛犬は震災の被害が最小限に抑えられてようです。
表情に力がみなぎっているように見えます。籠彫りの玉のサイズもかなり大型です。彩色は今見て来た伊達市の水雲神社の色と極めて似ています。非常に良い狛犬で出会えました。平業はこれだけの狛犬を彫る事に何の不安も躊躇もないでしょうから、依頼し負担を背負った奉納した氏子の人に感謝しなくてなりません。 2018.04.09 |
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(*筆者注)野田平業のお孫さんからのメールで野田平業が1898年に生まれた事が分かり、それぞれの作品を制作した年齢が特定できることになりました。
私の見た野田平業の狛犬では2番目に古い年代ですが、24歳でこれ程の作品を作ったとは驚きです。これだけの作品を完成させるには基礎工事・台座の据え付け等多くの石工達の差配を伴うでしょうから24歳の年齢の青年(当時の風潮では十分な大人と考えられていたかもしれませんが)が行ったとはたいしたものだと思いました(いまでもエクセルの計算が間違っていたかと半信半疑なのです)。
南湖神社は松平定信を祭神として祀る神社で、市内に多くの古くから住まいする目利きの氏子の人々がいる神社と思われますから、24歳にしてその人々が任せるに足る技量に加えて信用があった事になります。もしかすると野田平業は少なくてももう一代前から続く石工であったのかもしれないとも思いました。台座の年代の11年の前に二十の古い漢字が入ったのかなどと案じてしまいます。いずれこの謎が解けるかもしれませんが・・・
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国道4号線沿いの”り菜庵”から南湖神社はすぐ近くです。何度も南湖神社は訪れているのですが楽翁桜の折々の記憶は鮮明に残っていますが狛犬の記憶が全くありませんでした。 2016.12.05
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野田平業狛犬阿像・大正11年(1942年) |
かなり大きくて迫力のある狛犬です。野田平業の地元、白河の氏子の人達の依頼ですから、技巧に秀でた野田平業の見事な彫りに更に腕によりをかけた作品に仕上がっているようです。大きく開いた口の中の牙が活き活きとした表情に見せてくれます。細部も緩みなく彫られていると思いました。
白河市・関辺の八幡神社・大正5年(1916年)18歳作品・本名野田豊吉銘が私の知る限り最初の狛犬と推測されます。そして24歳のこの南湖神社の狛犬が2作目ではないかと思っています(もしかすると年代が不詳の狛犬のどれかが古いかもしれませんが)。
そしてこれが、野田平業の技量の転換を示す作品のように思えます。当時、福島県でも経済力のあった城下町・白河市の神社は、他の地域の人々に見られる機会が多かったのではないかと推測されます。完成した狛犬の運搬にも適した場所でもあったでしょう(特に南北の方向に)。それらが相まって野田平業のこの狛犬がサンプルとしての役割を果たし、県内のかなりの広い範囲からの依頼が寄せられたと思われます。尚、この狛犬が2番目の作品でない場合もあります、分かり次第訂正します。 2016.12.05
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木陰の中に置かれた阿像は台座が立派で高い上に狛犬自体が大きく全体が脚立でもないと撮れないようです。横からも写してみました。現在は同じ白河市内になる表郷の都々古和気神社(つつこわけ)、鮫川村の八幡神社の完成度の高い野田平業の狛犬を思い出しました。何時も狛犬と向かい合うたびに、作者の技量と地元の氏子の人々の手厚い寄進があってこそ、素晴らしい石像を見る事が出来ると感謝の念がわいてきます。 2016.12.05
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大正11年の年号と、野田作品にしばしば見られる”彫刻師”の肩書に”石材”が加えられています。
弱冠24歳の青年の作品との推定は大正11年の年号に依っています。どこかでまちがっているのではと、少し不安な気がしています。 2016.12.05 |
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野田平業狛犬吽像・大正11年(1942年) |
左に置かれた吽像と思われる狛犬は少し柔和な印象を受けます。野田平業の狛犬にしばしば見られる透かし彫りの玉を足下に抑えています。地震の為か一部破損していました。日を浴びてまるで生き物のように見えます。 2016.12.05 |
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阿像から吽像を見ました。参道にも人通りはわずかです。 2016.12.05 |
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カーナビに入れる住所: 福島県白河市関辺大久保1。車のすれ違いが難しいような細い道を奥へと進んで行くと集会所が左にあって右手の山の上に目的の神社がありました。 |
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八幡神社の狛犬(野田豊吉銘)・大正5年(1916年)18歳作品 |
*この八幡神社の狛犬の文章は未だ平業と豊吉が同一人物である事が分かりませんでしたので、内容が少しこなれていませんがそのまま残しました。
阿像の位置に置かれた狛犬ですが、子供を足下に納めた吽行に見えます。白河市では阿吽の位置が逆の場合があるようです。
少し立った姿勢、中々姿の美しい狛犬です。 2015.07.27 |
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吽像の位置にある狛犬ですが玉を足下に納めた阿像のようです。彫は力強いような印象を受けます。中々美しい狛犬に思えます。台座の半分ほどまで彫が施されていて丁寧な仕事だと思われます。 2015.07.27 |
左・吽行の位置に置かれている阿像の台座には”彫刻師 白河横町”と彫られています。白河市横町在の野田業平が同じく”彫刻師”と彫っている狛犬が都々古和気神社(昭和3年)と鹿島神社(昭和4年)にあります。 |
右・吽行の位置にある阿像の台座には”野田豊吉”と彫っています。この名前は,今朝、訪れたばかりの西郷村の永倉神社の狛犬にも彫られています。野田平業の別称なのでしょうか、それとも別人なのか不思議です。因みにこの狛犬は大正5年(1916年)に奉納されたようです。永倉神社の狛犬より26年前の作品と考えられるのでしょうか。余りこのような事に拘ると、ゆったりと狛犬と神社とその土地の風情を楽しむ事がおろそかになるので、程々にしなくてはと反省しているところです。
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10/07/2021 |
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