二本松市・八幡神社と西郷村・永倉神社の野田平業作狛犬*禁・無断転載 |
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2019.04.22・狛犬を訪ねて№27の神社参拝順路 |
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安達北郷総鎮守の文字がみえます。石段の先の鳥居を目指して登ります。鳥居の先には静かな神域が広がっていました。2019.04.22 | ||||||||
木鼻狛犬を含めた見応えのある木彫を見上げています。2019.04.22 | ||||||||
自然木の経年による程よい色合いが八幡神社の扁額の背面を飾る美しい彫りを引き立て居るようです。2019.04.22 | ||||||||
木鼻の右側に取り付けられた狛犬も木目が生かされたリアルな姿です。口を開けた阿像と思われます。2019.04.22 |
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左の吽像の木鼻狛犬、力強い姿が表現された木彫に見えます。2019.04.22 | ||||||||
”医王善逝(いおうぜんぜい)殿”の扁額が掛かる美しいお堂が本殿の右に祀られていました。薬師如来を祀るお堂のようです。2019.04.22 | ||||||||
二本松市上川崎宮・八幡神社狛犬・彫刻師 野田平業42歳作品・昭和15年(1940年) |
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右に置かれた阿像と思われます、一見して彫りが繊細で極めて保存状態の良い狛犬だと思いました。平業の特徴である大きな籠彫りの玉の彫りも繊細で中の残された玉も残っていました。 目や平業の文字等にも彩色が施されていて、氏子の方々の長年の手入れの良さのお陰ででこれだけの姿で残されていたのでしょう。苔などが見られない美しい石像と対面出来ました。2019.04.22 |
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左の吽像、目の彩色のせいか平業の狛犬の表情が生き生きとして見えます。凹凸の差が大きいように見えます、それが立体感を産み出しているように見えます。透かし彫りの個所も数か所見られる事からも力を入れて彫った事が分かります。 美しい社と平業の力作に出会えて二本松市の一本桜を訪ねる旅の最後としては申し分ありません。大きな満足感が思い出に残りそうです。2019.04.22 |
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西郷村・永倉神社 1回目 |
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西郷村・永倉神社狛犬・大正13年 (1924年)野田平業・26歳の作品 |
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境内の一番奥・本殿への石段の登り口に置かれた狛犬が石工名を確認したかった石像です。 推測通り白河の彫刻師 野田平業の大正13年・若干26歳の狛犬でした。大正時代の平業の狛犬の特徴である若干扁平な顔の意匠が見て取れます。 右に置かれた阿像と思われる狛犬、玉は平業の特徴である籠彫りではありませんが美しい模様が彫られています。
2019.04.23 |
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右阿像から吽像を写しました。竹藪に囲まれた暗い境内は日の差す表とはまるで別世界です。2019.04.23 |
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左に置かれた吽像、子供も2頭彫られています。薄暗がりの中なので細部が見にくいのですが弱冠26歳ながら全体のバランスにゆがみを感じさせない石像です。 2019.04.23 |
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”彫刻師 白河之住 野田平業作”の文字がはっきりと台座に彫り込まれていました。私の推測は確認出ました。2019.04.23 | ||||||||
永倉神社・2つ目の狛犬・昭和36年(1961年)・石工 坂上清勝(推定) |
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2つ目の狛犬です。これは右に置かれた吽像と思われます、つまり一般的な阿吽像位置が逆に置かれているタイプのようです。 この近辺ではあまり目にしませんが、胸の部分が大きく膨れた意匠になっています。2019.04.23 |
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左に置かれた阿像、口を大きく開けてかなりの迫力に見えます。玉も彫りこまれています。2019.04.23 | ||||||||
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二つ目の狛犬の上部から本殿方向を見ると永倉神社の石柱と野田平業の狛犬が見えます。下を見ると2番目の狛犬が見えます。 竹藪に囲まれた参道は昼でも薄暗い空間が広がっています。2019.04.23 |
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3つ目の狛犬・昭和17年3月(1942年)・石工 野田豊吉(野田平業本名) |
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右に置かれた阿像、台座には”大東亜戦争記念”と彫られています。それもあるのか狛犬の表情が険しい印象を受けます。名前も”石工 野田豊吉”と本名が彫られています。2019.04.23
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右の阿像から吽像を写しています。人家の間に参道が右に曲がりながら小山の斜面を登って行きます。2019.04.23
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昭和17年まさに戦時下に奉納された狛犬です。この昭和17年が野田平業の狛犬製作の終盤となります。戦後に入り占領政策から神社への締め付けが強まり、現時点で私の知る限りでは残念ながら2対の狛犬を製作したにとどまりました。2019.04.23 | ||||||||
左に置かれた吽像も、錯覚かもしれませんが表情はどこか険しさが見えるような気がします。2019.04.23 | ||||||||
神社の外に出て阿武隈川の橋に向かいます。右手には田に水を入れる準備作業を進めている農家の人の姿が目に入ります。その先には残雪の残る那須連山の山並みが望まれます。2019.04.23 | ||||||||
阿武隈川の八重桜 ソメイヨシノ |
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県境の高原の村に戻るべく阿武隈川の橋を右岸に渡りました。土手に八重桜の並木が見えます。 昨日4月22日、二本松の一本桜を辿る旅の出だしにも2km程上流の土手でソメイヨシノの桜並木を見たばかりです。 誰も見る人の居ない八重桜の土手に行ってみました。2019.04.23 |
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渡ってきた阿武隈川の橋の方向を見ています。まさに満開の時を迎えたようです。2019.04.23 | ||||||||
未だ開いていない八重桜もかなり見えます。最も美しい色の桜を見たことになります。 標高の高い村の八重桜は未だ蕾でした。2019.04.23 |
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100m以上あるのではないかと思われる桜並木を歩く気にはなりません。予期しない長い桜の帯を眺めてその美しさに酔ってしまいました。右側には阿武隈川が流れています。2019.04.23 | ||||||||
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