県境の村から狛犬を探して静かな社を訪ねる旅で出会う石像を目にするたびに、黙々と石を刻んだ人々の一生に思いを馳せる事がしばしばあります。
狛犬を訪ねだした最初の頃は、石像自体の造形に驚きながら見る楽しみを堪能していました。数年を経てかなりの社を訪ねた今では、氏子の人々の守る神社の全ての佇まいや集落の様子、そこで巡り合った親切な人々の思い出などが楽しさに加わっています。
近頃では主人公(氏子の人に次いででしょうが)である狛犬の作者・石工の人々への思いが加わり、狛犬巡りの楽しさが幾何級数的に深まって来ています。陳腐な思い込みなのですが、石像を見つめていると、あたかも鑿を振るう石工の人の息遣いまでもが聞こえてくるような気がしてきます。
個人的な使用目的もあり石工の人々を一覧で整理してみました。
⇦大高長八・狛犬・文政11年(1828年)の鹿島神社狛犬。台座には長坂村と書かれています、現在の白河市長坂と推定できます。下記一覧表に”大高三二”と言う人が載っていますがもしかすると関係があるのかもしれません(全くの勘違いの可能性が高いのですが)。
左の狛犬は西白河郡泉崎村・関和神社の白河市・双石の石工・伊右衛門作の文久3年(1863年)の江戸時代の狛犬。
完成させた狛犬に、色々な事情から名を刻むことが出来なかった(もしかするとそのような事を好まない彼等の見上げた気質だったかもしれませんが)かなりの彼等の作品の幾つかを類推する手がかりを探す一助にしてみたいと思っています。
因みに私の知る限り、保存状態の良い白河の古い狛犬としては、表題写真の白河市大鹿島鹿島神社狛犬・慶応2年(1866年)、石工・双石村、伊右衛門と上記写真の大高長八・狛犬・文政11年(1828年)の狛犬が思い浮かびます。伊右衛門に付いてはかなりの技量の石工であったと思われます。白河地方でも多くの参拝客を集める鹿島神社にある事から、以降の白河の石工の人々に何らかの影響を与えた狛犬ではないかと思えるのです。
*白河市の狛犬一覧と狛犬マップ *白河市狛犬データ・ベー・ス年代別一覧表
〇印は狛犬に石工名が記されていない為個人的に推測した石像です。記載の文章で間違っている場合もあることをお許しください。2018.03.05