那須烏山市鴻野山・星宮神社狛犬・昭和8年(1933年)石工 高橋鉄衛*(禁)無断転載 |
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2019年冬季休暇の神社と狛犬巡り・U |
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栃木名物のイチゴの大きなビニール・ハウスが固まっている畑の向こうには雪の日光連山(多分ですが)が見えます。青空に雲が心地良さそうに浮かんでいました。2020.01.02 | |||||||||||||||||||||
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那須烏山市福岡・星宮神社狛犬 |
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右に置かれた阿像、通常より僅かに小さ目の狛犬です。玉取りの意匠、彫りはシンプルです。2020.01.02 |
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右の阿像から左の吽像を写しています、この神社も訪れる人も無く静かな境内は私一人で参拝をさせて貰いました。2020.01.02 |
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左に置かれた吽像、かなり摩耗が進んでいる事もあり子取りと思われる子供狛犬の様子もはっきりとは見る事ができません。 台座には奉納した人の名前や品物の名前は書かれていましたが年号や石工名は見つける事がで居ませんでした。 2020.01.02 |
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拝殿で参拝を済ませてから阿吽像に挟まれた参道の先の鳥居を見ています。杉木立の緩やかな上り道の参道・鎮守の杜の緑に囲まれた境内、どれもが私の好きな神社の静かな佇まいです。 喧騒とは無縁の清々しい神域に身を置く至福の時間です。2020.01.02 |
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那須烏山市鴻野山・星宮神社狛犬・昭和8年(1933年)石工 高橋鉄衛 |
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右に置かれた阿像、90年の風雪に耐えた石像としては大変保存状態が綺麗です。力強い彫りの線は摩耗する事無く今も狛犬に力を貯め込んでいます。 子取りの意匠、その力漲る風貌からは子供を甘やかす様子は見られません。2020.01.02 |
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阿像の後ろから吽像を写しています。阿像の後姿の彫りにも力が込められて居る様に感じました。2020.01.02 |
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台座に綺麗な状態で年号と石工の名前がはっきりと残っています。台座に年号の昭和8年(1933年)と”文挟 石工 高橋鉄衛”文字が書かれている事から”日光市文挟”の人と推測されます。 この”高橋鉄衛”と言う石工の名前は少し前に訪ねた高根沢町・出雲神社・昭和2年(1927年)の狛犬を作った石工でもあります。6年後の温泉神社のこの狛犬は出雲神社の狛犬とは一変した石像に見えます。 この後、更に高根沢町伏久の星宮神社で高橋鉄衛との関連が推測される”文挟・石工 高橋政一”の名前を目にする事になります。高橋鉄衛に付いては白河の石工をご覧ください。
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左に置かれた吽像、彫りの線の力強さが石像に漲るエネルギーを放射しているように感じました。玉取りの意匠、彫りにも全体のバランスには齟齬が見られない見応えのある狛犬に出会ったようです。 この狛犬は、私の好む石工の一人・白河市の野田平業の一部の石像を思い出させる雰囲気を感じます(全くの個人的な印象です・鼻の形は明らかに違いますが)。この石工の人の石像に出会うことが楽しみになりました。2020.02.02
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