大田原市西郷神社・明治36年6月(1903年)・石工 小松寅吉(布孝・推定) *禁・無断転載 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2018.12.31・狛犬を訪ねて№24・①那須の狛犬を訪ねての神社参拝順路 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
右に置かれた阿像、直ぐ平業の狛犬を分かる特徴が見てとれます。 玉の籠彫りなども破損せずに綺麗に残っています。台座の昭和29年の年号を見て驚きました。平業の狛犬は私の知る限り、今まで一例を除いて、白河市が町制を敷いた明治12年(1879)から市制を施行した 昭和24年(1949)の間に製作されています。その一例は昭和26年に作られた棚倉町・御霊神社の狛犬です。 この狛犬はそれよりも新しい狛犬となり、当然白河市の地名が書かれています。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
台座には”白河市横町之住 彫刻師野田平業作” と刻まれています。手前の阿像はかなり苔が密生しているようです。 平業の狛犬では大変珍しい牡丹が台座に彫られているのが分かります。平業の名前も一般的に狛犬の直下の石板に横に刻まれるのですがこれは台座に縦に刻まれています。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この狛犬は私の知る平業の狛犬とは異なる特徴が見られます。台座に牡丹の花が彫られています。大変珍しいので左に置かれた吽像は台座も写しました。 野田平業にとっては新しい挑戦であったでしょうが、制作を依頼し狛犬を奉納された氏子の方の負担も大きかったと思います。奉納者の方はご夫婦であったようで、微笑ましい事に奥様の名前が刻まれていました。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
氏子の人達にお礼を言ってから車まで戻る事にします。神社の横には東北新幹線の高架橋が望まれます。私にはこのような人々の暮らしと共にある神社の佇まいが最も心安らぐ神域に感じられます。 車までは坂道を登る事になります。何度も美しい神社の風景を振り返りながら大晦日の神社巡りの旅の楽しさを思い出しています。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
神社の雰囲気は私の知る佇まいといささか異質で不思議な感じがします。この神社の案内板等が見られなかったのでこの神社の由来が知れませんでしたが、西郷・西郷清子・西郷元帥神霊等の文字が彫られている事を見て西郷従道を祀る神社ではとは推測出来ました。 家に帰って調べて見ました。明治政府の殖産興業策実現の一端として、那須疎水の開削に合わせて明治の元勲による那須野が原の開拓が盛んに行われた事を知りました。殆どが経営難でその姿を消すか変えるかして千本松牧場のように一部が残っているようです。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石作りの小さな社が神社でした(もしかするとかっては拝殿などが存在したのかもしれませんが)。一般的な社とは異なる佇まいが不思議な空間を生み出しているようです。2018.12.31 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西郷神社狛犬・大正11年(1922年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仮面を着けたようなかなり異相の狛犬です、右に置かれた阿像、通常のサイズより僅かに小さな狛犬です。 薄暗い境内で見ると一艘その特徴的な風貌が際立ちます。多分地元の石工が彫った狛犬と推測されます、それがこのような極めて特徴のある狛犬を誕生させた要因と思われます。ユニークな狛犬に出会うことは大変楽しい思い出になります。 この極めてミステリアスな印象を受ける特異な意匠の狛犬を2019年8月27日に大田原市上石上・温泉神社(同じく大正11年作)で遭遇する事になります。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
左に置かれた吽像、こちらはさらに異相です。どこか不貞腐れたような風貌で私には人間くさいリアルな狛犬に感じられました。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西郷神社社殿・明治36年6月(1903年)・石工 小松寅吉(布孝・推定) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この石の社は何の予備知識もなく家人と二人で見まわしていました。二人して直ぐに直感的に”寅吉”ではと言う言葉が出てきました。 特異な透かし彫りの彫りや4隅を飾る狛犬の風貌、二人して寅吉作ではと言う感じが見るほどに確信に近くなります。まさかと思うと興奮が収まりません。確かに近くの寺に寅吉の石像が奉納され、ているので土地勘が無いわけではありません。扉の部分は洗浄されたか修理が施されているように見えます。 素人が二人して直感で小松寅吉(布孝)推定していますが間違っている可能性も大いにあります。2018.12.31 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小さな石の社に再度頭を垂れてお礼を申し述べました。多分県境の村への帰路のドライブは楽しいものになるだろうと思います。那須の狛犬巡り、№25の①②③終わり。2018.12.31 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved. |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|